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戦火の記憶(中)ちば戦後70年 遺構は語る

南房総市に残る発射台

新型桜花の出撃準備、基地建設で少年兵ら犠牲

(千葉日報2015.9.30付)‥⇒印刷用PDF


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15年9月30日 7,003

文化歴史〜戦跡考⑥

赤山地下壕跡

ツルハシで掘削、目的不明

(読売新聞2015.9.30付)‥⇒印刷用PDF


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15年9月30日 9,766

Landing point of U.S.occupation force Tateyama, Chiba Pre.

Mystery of only 4 days-long military rule

(The Japan News by The Yomiuri Shimbun ~sep.22.2015)

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15年9月22日 3,884

『昭和の爆笑王 林家三平 いま明かされる戦争秘話』

BS朝日
2015年9月20日(日) 21時00分〜22時54分

初代林家三平は、本土決戦迫る九十九里で塹壕堀に従軍していたという。

房総半島の本土決戦体制はどういう状態だったのか、

NPO法人安房文化遺産フォーラムは取材に協力し、

館山の戦争遺跡や、証言者として、

動員され壕の掘削作業に従事した会員の西村榮雄さんを紹介した。

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15年9月20日 6,256

館山病院で戦後70年企画展

米軍と館山市民の友好窓口

英会話教室の写真など紹介

(房日新聞2015.9.19付)‥⇒印刷用PDF


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15年9月19日 6,246

全国戦跡シンポに400人

館山舞台に公開討論や事例発表

(房日新聞2015.9.8付)‥⇒印刷用PDF

「第19回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会」(戦争遺跡保存全国ネットワーク、同シンポ実行委主催)が7日までの3日間、館山市の南総文化ホールなどであり、戦跡保存活動をする全国の団体や大学関係者など約400人が訪れ、戦跡を活用したまちづくりの取り組みや館山の「直接軍政」に関する分科会などに耳を傾けた。

初日の5日は「戦跡と文化財を活かしたまちづくり」をテーマにパネルディスカッションがあり、沖縄県南風原町、高知県香南市の関係者らが事例発表。

館山市からは市主任学芸員の池田英真さんが、年間入館者が2万人を超えた赤山地下壕、古い商家、民家を活用した長須賀のまちなか再生などの取り組みに触れ、館山を訪れる目的は、海水浴より戦跡など文化財見学の方が多くなっていることなどを紹介。

NPO法人安房文化財遺産フォーラムの愛沢伸雄代表は、これまで20年以上にわたる地域の戦跡、文化財の保存、活用、平和学習などの活動を語り、「足元から平和のあり方を考える文化をつくりたい。文化財を平和に生かすピースツーリズムを創出したい」と訴えた。

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15年9月8日 10,743

赤山地下壕着工、日米開戦の前か

館山で戦跡シンポ「39年ごろ残土運搬」証言

(朝日新聞千葉版2015.9.7付)‥⇒印刷用PDF

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15年9月7日 8,484

布良沖の惨劇、新事実報告、「赤山地下壕」でも新事実

戦争遺跡保存全国シンポジウム

(読売新聞2015.9.7付)‥⇒印刷用PDF

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15年9月7日 7,514

戦争遺跡保存全国シンポジウム④

韓国と日本、二つの祖国を生きる

河正雄(ハ・ジョンウン)=韓国光州市立美術館名誉館長

(房日新聞寄稿2015.9.5付)⇒印刷用PDF(連載5本)

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第二次世界大戦が勃発し、朝鮮人に対する徴用が法制化、創氏改名令が施行された1939年、私は在日韓国人二世として生まれた。不条理な戦争への恐れと民族的な「恨(ハン)」とがインプットされ、平和と幸福を希求する人生観と哲学が形成された。「恨」とは、人間の意思ではどうにもならない運命に振り回され、力が及ばない感情である。私は、韓国と日本、二つの祖国の故郷を愛し、信頼し合える兄弟になるための架け橋になろうと祈念してきた。

18歳まで秋田県で育ち画家を志したが、母に猛反対され、断念した。教師や新聞記者、弁護士にもなりたいとも思ったが、国籍条項や貧困のために諦めざるを得なかった。

埼玉県川口市で電気店を経営することになり、事業に成功した。私は画家になれなかったが、顧みられずに苦労してきた同胞(在日韓国人)の美術作品に出合って心揺さぶられ、その収集を始めることとなった。その後、多くの在日作家は両国の美術界で歴史的評価が高まっていった。

日本と韓国の間には歴史認識問題の溝があり、それらを乗り越えようと努力している人びとがいる。歴史を知らないということは、未来への展望が拓けない。平和を培っていくためには、しっかり歴史を学ばなければならない。その事例を紹介したい。

私が生まれた年、辰子姫伝説の伝わる田沢湖畔に姫観音像が建立された。これは、国策でダムと発電所が建設された時に絶滅したクニマスという魚類と辰子姫の霊を慰めるために建立した像であると、戦後に町当局は掲示板を立てた。私はこの解説文に納得がいかず調査を始め、10数年かけて建立趣意書を探し出した。すると、ダムと発電所建設のために徴用され、過酷な労働で亡くなった朝鮮人を慰霊する観音像であったことが明らかになった。私が朝鮮人無縁仏追悼慰霊碑を建立した翌1991年のことである。

私は在日韓国人画家の作品を収める「田沢湖 祈りの美術館」を建設し、戦前の朝鮮人犠牲者を慰霊したいと願ったが叶わなかった。しかし、韓国光州市立美術館に在日画家の作品を寄贈する縁に恵まれ、その後両国の美術館に1万余点を寄贈することになり、私の名を冠した霊巌郡立河正雄美術館も開かれた。霊巌郡は両親の故郷であり、日本に古代文化を伝えた王仁博士ゆかりの地でもある。

私のコレクションのコンセプトは「祈り」である。平和への祈り、心の平安への祈り。犠牲となった人々や虐げられた人々、社会的な弱者、歴史の中で受難を受けた人々に向けられた人間の痛みへの祈り。芸術の力は、韓日のわだかまりの根源と矛盾を克服し、地平を切り拓くことになった。文化こそが、平和をつくる上で大きな鍵となる。

私が尊敬する、浅川巧という日本人がいた。日本の統治下にあった韓国へ農林技師として渡り、禿山に植林して山を蘇らせた。朝鮮服を着て、朝鮮の食事をし。朝鮮の言葉を話して、朝鮮人を友とし、朝鮮の風習を身につけて暮らした。朝鮮の陶芸や民具の価値を認め、光を当て、韓国の文化を広く知らしめた。朝鮮人からも愛され、感謝されている。戦後、韓国では多くの日本人の墓が取りつぶされたが、浅川巧の墓は韓国の人びとによって守られてきた。

私も日本で生まれた以上、日本の国で日本を愛し、日本人にも愛されて、日本に貢献し、日本人と一緒に力を合わせて地域社会をよくする生き方をしようと、浅川巧から学んだ。異国人を見下すことなく、その文化を認めながら、両国の魂を結びつけて交流した先人の精神を忘れないようにと、私は山梨県北杜市の浅川伯教・巧兄弟資料館で「清里銀河塾」を開催している。

館山市には、戦跡やハングル四面石塔などの文化遺産を大切にして、平和祈念活動をする皆さんがいる。私は心より敬意を表している。なかでも、青木繁『海の幸』誕生の小谷家住宅を保存するために、全国の画家の皆さんと一緒に募金活動をしていることも素晴らしい。この作品は私が大好きな作品である。この絵は労働者の象徴である。苦労して私たちを育てた在日一世の姿にも重なる。小谷家住宅が公開され、船田正廣さんが制作した刻画『海の幸』のブロンズ像が設置されるときには、私も韓国の光州市立美術館に常設し、日韓の友情の証にしたいと願っている。

15年9月6日 5,538

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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