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◎青木繁の「海の幸」記念碑

解説モニュメント設置

…地区の観光振興に期待

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明治の洋画家・青木繁が滞在した館山市布良の地に建立されている「海の幸」記念碑脇に、その経緯などを詳述した解説モニュメントが設置された。記念碑の保存活用をめざす地元の声を受け、国の地域活性化・生活対策臨時交付金で市が事業化。新たな観光スポットとして期待されている。

1904(明治37)年夏、東京美術学校を卒業した青木は、恋人の福田たねや画友の坂本繁二郎らとともに写生旅行に布良を訪れ、網元の小谷家に滞在。ここで、後に近代洋画では最初の重要文化財に指定された「海の幸」を描いた。

記念碑は、青木の没後50年を記念して1962(昭和37)年、当時の館山市長らが発起人となり、「海の幸」の舞台となった阿由戸の浜が一望できる小高い丘の上に建立された。

布良を含めた富崎地区では最近、地区住民などが中心となり、「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」も設立され、青木繁や「海の幸」を題材とした地域活性化に向けた動きが活発化。地区内には青木繁が逗留した小谷家住宅や阿由戸の浜、布良崎神社などの地域資源も多く点在する。

そこで、市商工観光課が「地域における観光振興の一助になれば」と解説モニュメント設置を事業化。高さ1メートル、幅1.6メートルほどの台座にCAPPセラメタルで「海の幸」のレプリカを、さらに経緯などをまとめた解説を加えた。事業費は約173万円。

09年7月25日 5,111

●里見氏調査会の報告会〜終焉地への足跡たどる

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「南総里見八犬伝」のモデルとされる里見忠義の研究をしている里見氏調査会の報告会が22日、倉吉市関金町大鳥居の関金総合文化センターで開かれた。調査会のメンバーらが、里見氏終焉の地である関金町での調査結果などを踏まえて講演したほか、座談会で意見を交わした。

里見氏は、戦国時代に安房国(千葉県)を支配した大名。里見氏十代の忠義は、徳川幕府の政策で伯耆国(倉吉市)に転封されて没した。同市東町の大岳院には、忠義と家臣の墓がある。

調査会は、千葉経済大学の川名登名誉教授らによって発足。2007年12月には、同市周辺で総合調査を実施し、同寺から出された文書の原本を核にするなどした。昨年10月には、関係資料などをまとめた報告書「今よみがえる里見忠義の足跡」を出している。

報告会には、里見氏の歴史に関心を持つ約100人が出席。川名名誉教授ら3人が終焉の地への訪問の歴史や忠義と主従の足跡などについて講演した。この中で、里見屋敷があったとされる同町堀の山郷神社で、家臣の命日に執り行われている「六人塚祭典」の様子を撮影した映像が初公開された。

座談会では、堂本暁子前千葉県知事らも加わり、それぞれの所見を述べるなどした。

…日本海新聞2009.8.29付(関金通信部・石田博部長)

09年8月29日 5,130

安房地域在住のアーティストが、ジャンルを超えて作品を出品する「安房・平和のための美術展」(同実行委員会主催)が、南房総市富浦町の枇杷倶楽部ギャラリーで開かれている。地域で57人もの作家が一堂にそろい、多彩な作品が展示されるのは同美術展だけ。会場を訪れた市民や行楽客が熱心に見入っている。6日まで。

先の大戦で自由な表現が阻害され、かけがえのない自然が破壊されたことから、安房から美術展をとおして平和と自然環境を守る精神を発信しようと始まった。今回が5回目。

ギャラリーには、木彫、油彩画、陶器、イラスト、墨彩画などさまざまなジャンルの作品が展示され、見ごたえ十分の展示会。別室の第2会場では、チャリティとして、作家の作品が販売されているほか、ウガンダの子どもたちの絵も展示されている。この絵は、長年支援活動を続けている愛沢伸雄さんに送られてきた。12年前の絵と現在の絵で、12年前は内戦状態のためかエンピツのみで描いた戦闘シーンが、現在の絵は色エンピツで

カラフルに風景などが描かれている。

事務局を務める橋本芳久さんは、「美術展も5周年。アーティストの皆さんの平和と、安房地域の自然に対する思いが素晴らしいエネルギーとなって続けてこられた。今gおも続けていきたい」と話していた。

09年9月2日 5,191

◎「直接軍政」知っていますか?

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1945年9月3日、米占領軍が館山市に上陸し、4日間にわたって本土では唯一の「直接軍政」を敷いたが、当時の市民が、どのように受け止めたかを伝える資料は乏しい。NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)は、上陸の場面などを撮影した記録映画の上映会を9月3日午後1時半から同市館山の館山地区公民館で開催し、映っている人たちの証言を呼びかける。無料。

東京湾上の戦艦ミズーリ号で降伏文書調印式があった翌日午前9時20分、米陸軍部隊約3,500人が上陸用舟艇で市の旧館山海軍航空隊水上班滑り台に上陸した。その様子を撮影したフィルムには、上陸シーンと街をパトロールする様子、それを見守る市民の姿などが記録されている。

カニンガム准将が率いるこの部隊は、日本軍の武装解除と民政監督を任務としていたが、その日のうちに裁判所権限や財産管理、市民の夜間外出などを禁じ、市を事実上の「直接軍政」下に置いた。

これに対して、外務省館山終戦連絡委員会は日本政府を介して撤回を求め、同准将もこれに応じた。安房中学校(現県立安房高校)の宿直日誌には「九月三日米8八館山上陸、学校ハ当分ノ間、閉鎖ヲ命ゼラル」とあり、7日付で「全校出校、連絡不充分ノタメ出校者約半数」などとこの間の経緯が記されている。

こうして沖縄以外でただ1ヵ所の「直接軍政」は4日間で終わった。

上陸部隊には、太平洋戦争で孤島を死守する日本軍と強襲上陸を試みる米軍兵士たちの人間ドラマを描いた「裸者と死者」の著書で、後にベトナム反戦運動の体験を下敷きにした「夜の軍隊」でピューリッツァー賞に輝いたノーマン・メイラー氏(故人)がいた。同氏は本社記者とのインタビューで「占領軍の一員として館山の空港に到着した。周囲の高い丘から機関銃がいくつもこちらをにらんでいた。日本軍が抵抗していたら、きっと砲火を浴びて殺されていただろうと思った」('06年9月9日朝刊)と語っている。

また、当時、米テキサスの州兵で、この時期、同市で任務についていたウィリアム・ガルボさん(84)は帰国後、地元の大学教授のインタビューで、同市布良の住民との交流などについて詳しく語っており、米軍側の証言や資料はいくつか残っている。

ところが、館山市民の証言は、敗戦による混乱のさなかだったこともあって数少ない。愛沢さんは「映像には、占領軍を迎えた館山市民もかなり映っている。その人たちを知っている人がいたら、ぜひ連絡して欲しい。貴重な証言を引き出すきっかけにしたい」と呼びかけている。

09年8月25日 5,300

現在、房州地域の2つの風力発電建設計画をめぐって住民の反対運動が起こっているのをご存知だろうか。

ひとつは、南房総市千倉町の白間津・大川地区。計画を進めているのは北海道に拠点を置く事業者で、房州特有の海に迫った低い山並みの尾根伝いに風車10基を建設しようというものだ。

風力発電施設は風車が大きいほど採算性が向上するとして近年、大型化の傾向が強まっており、今回建設が予定されているのは高さ135m、羽根の長さ50mの国内最大級の風車という。

これだけの高さがあるとまず思い浮かぶのが景観の変化である。同地区は春はお花畑、夏は海を目ざしてたくさんの観光客が訪れる。4年に一度の白間津の大祭には遠方からも人が訪れる。そんな景勝地に果たして巨大風車がマッチするだろうかという問題。

また、風車建設には山の造成と林道の整備が必要になるため、周辺環境への影響が懸念される。付近の海は海女や海士が潜る天然の漁場。清流で知られる長尾側の源流にもあたる。工事で海や川に土砂が流出することはないのだろうか。風力発電施設が引き起こすといわれる騒音や低周波による周辺住民の健康被害も気になる。

もう1ヵ所は南房総市平久里の井野、荒川、平塚3地区に高さ118mの風車を7基建設しようという計画。予定地は南房総市ながら、自治体境界線上にあるため鋸南町佐久間、鴨川市平塚・大山平塚など隣接する地域にも影響があろう。

千倉では短期間に5,000人を超す署名が集まり、住民グループによる説明会も開催されて、一旦は建設に同意した地権者の中に同意を撤回する動きも出ている。一方、平久里のほうは、今月中にも補助金が下りるかもしれないというさらに差し迫った状況の中で反対署名が展開されている。

クリーンエネルギーとして期待される風力発電であるが、民間事業に補助金をつける形で普及促進が図られているため、建設に際しては市の同意は必ずしも必要ではなく、また法的な環境アセスメントも要求されていない。

したがって、今回の2件のように、これだけの巨大施設建設にも拘わらず直接の地権者以外、地元を蚊帳の外に置いたままで計画が進んでしまうところに制度上の問題があり、根耳に水の周辺住民の反発はその分大きい。


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09年7月22日 5,378

●和島誠一賞、安房文化遺産フォーラムが受賞

●文化財保護の功績を評価


文化財保存全国協議会(事務局・大阪市)が設立し、文化財保護に功績のあった個人・団体に授与される「和島誠一賞」の第10回受賞者に館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)が選ばれ、14日に京都市の同志社大学で授賞式が行われた。

全国協議会は、同フォーラムがこれまで手掛けた館山市の赤山地下壕をはじめとする戦争遺跡、里見氏稲村城跡などの保存・活用運動を高く評価。「市民に広く文化遺産の歴史的意義の普及をはかられたこと」を「顕著な功績」とたたえた。

愛沢代表は「われわれの活動だけでなく、安房地域の市民がつくり上げたものを全国が評価してくれたのだと思う。これまでの多くの方々の集会参加、署名の取り組みに感謝している」と喜びを語った。

同フォーラムの設立母体は、1989年に安房地域の戦争遺跡の調査、保存を目的に活動をスタート。太平洋戦争中「海軍のまち」だった館山市の当時の歴史掘り起こしに尽力したほか、戦争遺跡を保存し平和学習に活用する取り組みを進めてきた。

96年には里見氏稲村城跡の保存運動に乗り出し、地域住民との現地ハイクを繰り返すなど粘り強い活動を展開。城跡の上に計画された市道建設ルートの変更を勝ち取るなどの実績を挙げた。

和島誠一賞は、文化財保護思想の普及を広く提唱し、神奈川県三殿台遺跡などの遺跡保存を積極的に進めた考古学者、故和島誠一氏を記念し2000年に設立。これまで長岡京東院の保存運動に尽力した作家の永井路子さん、国立歴史民俗博物館館長を務めた故・佐原真氏、長野県の「松代大本営の保存をすすめる会」などが受賞した。


【写真説明】表彰状を手にする愛沢伸雄代表(右)と池田恵美子事務局長


※和島誠一賞の詳細はこちら。

※読売新聞掲載記事はこちら。

※房日サイトの記事紹介はこちら。

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●愛沢代表の受賞挨拶はこちら●

09年6月19日 5,427

●館山市は公的病院に支援を、公認会計士・長氏が講演

新助成制度を説明、安房地域医療センターで提言


旧安房医師会病院の経営改革委員長、総務省の公立病院懇談会座長などを務めた公認会計士、長隆(おさ・たかし)氏の講演会が5日、館山市の安房地域医療センターであった。長氏は、現在は社会福祉法人太陽会が運営する安房地域医療センターの経営について「不採算医療を行う公的病院に対しては、自治体による財政支援が必要」と指摘。館山市が国の新たな制度を利用して、財政支援に踏み切るべきだと提言した。

長氏は、総務省が昨年12月にまとめた「公立病院に関する財政措置の改正要綱」で、小児医療や救急医療などの公的医療を行う施設に対する助成が、新たに特別交付税の措置の対象に加えられたと説明。「館山市にカネを出せと言っているのではない。システムを研究して市が(国から)とってきてほしい」と述べた。また「2億円から3億円、そのぐらいは他の市なら出ている」と指摘し、多額の交付金が期待できるとの見通しを示した。

講演会には安房地域の自治体、医療関係者ら約100人が出席。講演を聞いた金丸謙一館山市長は「制度について調べてみる」と語った。

長氏は、日本の医療機関経営の現状について、「診療報酬制度だけでの医療は破たんしている」と自公政権での医療費削減策を批判。診療報酬の2割アップを掲げる民主党のマニフェストを評価した上で、地域で公的医療を担う民間病院の資金調達を容易にする制度も必要だと訴えた。

一方、民間に比べ給与レベルがはるかに高いなど、公立病院の改革はまだ不足しているとも指摘。公設民営化で自治体一般会計からの繰り出しゼロを実現した愛知県東栄町の成功例を紹介し「この辺で言えば鋸南、富山、隣に鴨川も(国保病院が)ありましたね。そういうところに、いったいいくら税金を投入しているんだということが問われなければいけない。今後は市民の目が厳しくなると思う」と述べた。


●長隆氏の講演要旨


公立、公的病院に対する国の財政支援措置について、県や自治体は必ずしも対応していない。国民に広く知らせ、国の方針に従った財政支援措置を(自治体に)行ってほしいと思い、館山で講演することにした。

公立病院の中には、人件費などの圧縮もせず、従来通りの税金繰り出しを受けている病院も多数みられる。東京都の東大和市周辺の場合、社会医療法人、公立、国立と3つの同規模の病院があるが、社会医療法人が税金投入なしでやっているのに対し、公立は年13億円、国立は4億円の税金が投入されている。

同じような医療をしているのに、こんな税金の使い方を今後も容認していくのか。同じ土俵の上でやらないと。

一方で、公立病院が果たすべき役割の一部を、民間病院が担っている地域も多い。総務省は、民間病院が行っている不採算医療に対して公的支援を行うという方向に舵を切った。自治体はこのような「公的病院」に財政支援してもらい、国はそれを特別交付税の措置の対象にする。

総務省のホームページに、モデルの積算例が書いてある。こういう形で館山市は公的病院に財政支援すべきではないか。 自公政権で毎年医療費を減らし、ひどい状況を招いたことが今回の選挙の結果だ。診療報酬制度だけでの医療は破たんしている。財務省もそれを認めていると私は理解している。国民の命を守るという点で、民主党のマニフェストは評価する。診療報酬20%アップを批判する人には、実際に地方の現場を見てみろと言いたい。

地域の医療、特に遠隔地の医療に貢献している公的病院には、資本的な助成も必要。融資制度の拡大などだ。公立病院と民間病院の条件の格差がありすぎる。

油断すると、公的病院もバタバタ破たんしていく。特に農協が経営している厚生連が多い。一度破たんすると再生は難しい。銚子の例を見ても明らか。予防措置をとらないと町から病院が消えていくことになる。

富山県氷見市の市民病院は、金沢医大の付属病院となる道を選んだ。これはいい例。市の病院の時に比べ、補助金の額は減った。移転新築計画もある。200床を50億円でつくる。市と大学と折半。交付税措置は年2億6000万円で、ほぼ黒字になると言う。

愛知県東栄町では町の国保病院に指定管理者制度を導入し、公設民営に。過疎地だが、平成19年度には税金の繰り出しなしで経営できるようになった。この辺でいえば鋸南、富山、隣に鴨川も(国保病院が)ありましたね。そういうところに、いったいいくら税金を投入しているんだということが問われなければいけないと考える。今後は市民の目が厳しくなると思う。

安房医師会病院は民間移譲した。設立の時は館山市などが多額の資金を出して立派な病院をつくっていただいたが、今までと違ってさらに需要が多くなる中、支援が必要。国からも相当の交付税措置が出るようになった。市にカネを出せといっているのではない。十分システムを研究し、市の行政はそのお金を(総務省から)持ってきてほしい。2億円から3億円、そのくらいのカネは、ほかの市なら出ている。

09年9月8日 5,479

国土交通省より、

平成21年度「新たな公」による

コミュニティ創生モデル事業

に選定されました。

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【モデル事業名】 → *事業概要はこちら

漁村が誇る「3つの〝あ〟」のまちづくり

=青木繁《海の幸》、「安房節」、アジのひらき=

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*【採択一覧】はこちら。

*【募集要項】はこちら。

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*房日新聞記事サイトはこちら。



国土交通省が全国の地域団体を対象に募集した「『新たな公』によるコミュニティ創生支援モデル事業」に、館山市のNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(愛沢伸雄理事長)が提案した同市富崎地区でのまちづくりプロジェクトが新たに選ばれた。21年度は同省から事業費約250万円が交付される見通し。愛沢理事長は「地区の人々と協力し、富崎が持つ漁村集落としての文化遺産、食文化をフル活用して3年計画で地域の活力を高めていきたい」と語った。

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09年6月3日 5,503

戦没画学生の遺作、新たに無言館へ

館山での講演会きっかけ

千葉の北条さんが「提供したい」

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7月10日に館山市の県南総文化ホールであった窪島誠一郎氏=長野県上田市の美術館「無言館」館主=の講演会がきっかけとなり、新たな戦没画学生の遺作が千葉市に残されていることがこのほど明らかになった。遺作は今月5日、窪島館長に預けられ、補修を行った上で近く無言館に展示されることになった。

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09年8月13日 5,576

◎米軍上陸時のフィルム上映

…9月3日、館山地区公民館で当時の目撃者募る

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館山市のNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(愛沢伸雄代表)は9月3日午後1時半から同市館山の館山地区公民館で、終戦間もなく館山に上陸した米占領軍の模様を記録したフィルムの上映会を行なう。

9月3日は昭和20年、米陸軍の3,500人の部隊が、館山に上陸を始めた日。同フォーラムは、所有する貴重な上陸シーンの映像を今回初めて一般向けに上映。この機会に「当時の模様を目撃した人や、終戦直後の館山の様子をよく知る人たちの新たな証言を募り、歴史の掘り起こしに役立てたい」(池田恵美子事務局長)としている。

上映するのは米軍が日本占領時の模様を撮影し、米公文書館に保管されていたフィルムの一部。20年ほど前に愛沢代表が公開部分を業者を通じて購入したが、その中に館山、房州の模様が映っている部分が約20ほどあった。

フィルムには▽米艦船が館山海軍航空隊の施設に接岸し、兵員とともに荷物や自動車が荷揚げされている様子▽館山駅に集合した米兵が、列車で移動する様子—などが記録されている。上陸地点の高の島周辺で米軍の様子を遠巻きにうかがう住民、子どもや、館山駅で改札を通る女性の姿なども映っている。

当日はフィルム上映のほか、愛沢代表が「終戦直後の館山での直接軍政」などについて、これまでの歴史調査の概要を報告する。

同フォーラムによると、マッカーサー将軍が厚木に到着した翌日の昭和20年8月30日、館山と富津岬には米軍の先遣隊が上陸。9月2日の戦艦ミズーリ号での降伏文書調印を経て、3日には館山市に占領軍の第1陣が上陸した。市内には日本外務省の出先機関として「終戦連絡委員会」が置かれ、4日間にわたり米軍の「直接軍政」が敷かれた。

09年8月26日 5,582

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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