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◎「直接軍政」知っていますか?

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1945年9月3日、米占領軍が館山市に上陸し、4日間にわたって本土では唯一の「直接軍政」を敷いたが、当時の市民が、どのように受け止めたかを伝える資料は乏しい。NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)は、上陸の場面などを撮影した記録映画の上映会を9月3日午後1時半から同市館山の館山地区公民館で開催し、映っている人たちの証言を呼びかける。無料。

東京湾上の戦艦ミズーリ号で降伏文書調印式があった翌日午前9時20分、米陸軍部隊約3,500人が上陸用舟艇で市の旧館山海軍航空隊水上班滑り台に上陸した。その様子を撮影したフィルムには、上陸シーンと街をパトロールする様子、それを見守る市民の姿などが記録されている。

カニンガム准将が率いるこの部隊は、日本軍の武装解除と民政監督を任務としていたが、その日のうちに裁判所権限や財産管理、市民の夜間外出などを禁じ、市を事実上の「直接軍政」下に置いた。

これに対して、外務省館山終戦連絡委員会は日本政府を介して撤回を求め、同准将もこれに応じた。安房中学校(現県立安房高校)の宿直日誌には「九月三日米8八館山上陸、学校ハ当分ノ間、閉鎖ヲ命ゼラル」とあり、7日付で「全校出校、連絡不充分ノタメ出校者約半数」などとこの間の経緯が記されている。

こうして沖縄以外でただ1ヵ所の「直接軍政」は4日間で終わった。

上陸部隊には、太平洋戦争で孤島を死守する日本軍と強襲上陸を試みる米軍兵士たちの人間ドラマを描いた「裸者と死者」の著書で、後にベトナム反戦運動の体験を下敷きにした「夜の軍隊」でピューリッツァー賞に輝いたノーマン・メイラー氏(故人)がいた。同氏は本社記者とのインタビューで「占領軍の一員として館山の空港に到着した。周囲の高い丘から機関銃がいくつもこちらをにらんでいた。日本軍が抵抗していたら、きっと砲火を浴びて殺されていただろうと思った」('06年9月9日朝刊)と語っている。

また、当時、米テキサスの州兵で、この時期、同市で任務についていたウィリアム・ガルボさん(84)は帰国後、地元の大学教授のインタビューで、同市布良の住民との交流などについて詳しく語っており、米軍側の証言や資料はいくつか残っている。

ところが、館山市民の証言は、敗戦による混乱のさなかだったこともあって数少ない。愛沢さんは「映像には、占領軍を迎えた館山市民もかなり映っている。その人たちを知っている人がいたら、ぜひ連絡して欲しい。貴重な証言を引き出すきっかけにしたい」と呼びかけている。

09年8月25日 5,269

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

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