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ウガンダの恵まれない子どもたち13万円

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09年10月24日 4,426

「しんぶん赤旗」日曜版

2009.1.18付


戦国武将ブームの現場

-信長、家康よりも石田三成、直江兼続- 戦国武将人気

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上杉謙信、真田幸村、伊達政宗、石田三成・・・。若い女性に戦国武将が大人気です。書籍やグッズがよく売れ、各地でイベントが開かれ、戦国ロマンツアーも。何が魅力なのか。ブームの現場を歩いてみました。

《玄間太郎記者》

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■コスプレ 手作り80着「変身したい」

千葉県にある館山城跡。『南総里見八犬伝』(曲亭馬琴)のモデル、里見氏の居城です。 ここで昨年、春と秋の2回 「戦国コスプレ(仮装)大会」が開かれました。全国のコスプレイヤーと地元の手作り甲冑(かっちゅう)武者が80人余参加。殺陣の演武などでにぎわいました。主催は、里見氏の城跡保存や活用に取り組んでいるNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)。

コスプレイヤーの大道寺鎌さん(31歳、会社員)に聞きました。

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-なぜ戦国武将?-

「子どものころからアニメやゲームが大好きで、何かに変身したいと思いました。高校生のときは歴史が得意で、戦国武将に興味をもち、いろいろ調べました。一本筋を通した石田三成などの生き方にひかれました」

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-コスプレ歴何年?-

「14年。武将のコスプレ、約80着作りました。手間ひまがかかり、神経を使うので、完成した瞬間はほんとにうれしい」

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-武将の地へも?-

「ええ、コスプレ作りの勉強のために。上田城や大坂城、関ヶ原にも行きました」

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■専門店 来店者6割 10代、20代の女性

東京・神田小川町。ブームを象徴するような店があります。その名も「時代屋」。 1階は、1万5千冊余の書籍(新刊・古書)。作家400人余の時代・歴史小説、歴史専門書をそろえています。NHK大河ドラマ「天地人」コーナーもあります。 2階はグッズ。戦国武将Tシャツやのぼり旗、ストラップ、合戦ゲーム・・・。その数約2万点。 土曜・日曜は6割が10〜20代の女性客です。 2階には、戦国メニューの「茶屋」も。ここで2〜3時間“武将談義”をしたり、待ち合わせて武将の地へ旅行したり。

このブームは、どこからきているのでしょう。女将(おかみ)の宮本みゆきさん(33)は、こう見ています。

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店に若い女性が増えたのは、戦国もののゲームソフトや、ジャニーズ系タレントが出演するNHK大河ドラマなどの影響ではないか、と。

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グッズの売れ筋などから見えてくる特徴は?

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かつては織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった“勝ち組”の英傑が人気でした。が、今の若い女性は、真田幸村や石田三成など“負け組”の武将、さらには伊達政宗の懐刀・片倉小十郎や上杉景勝の若き参謀・直江兼続(かねつぐ)といった2、3番手の武将に心を寄せているといいます。

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男性が合戦の戦略・戦術に関心を向けるのに対し、女性は?

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「戦国武将に理想の男性像を求めている、とも違うんですね。死を覚悟した鮮烈な生き方、個性豊かな人間像にひかれるようです。図書館で調べ、本を買い込み、すごい知識です」。そして楽しそうにこうも。「一度ハマったらキケンです」

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○著者番付(時代屋)

横綱 佐伯 泰英 (『陽炎の辻』居眠り磐音シリーズなど)

大関 司馬 遼太郎 (『竜馬がゆく』、『功名が辻』、『夏草の賦』、『国盗り物語』など)

大関 池波 正太郎 (『鬼平犯科帳』、『剣客商売』、『真田太平記』など)

関脇 北方 謙三 (『三国志』、『水滸伝』など)

小結 風野 真知雄

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○人気武将

1 真田 幸村

2 伊達 政宗

3 石田 三成

4 直江 兼続

5 上杉 謙信

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■関ヶ原 事前に勉強 史跡めぐり

戦国時代の合戦といえば、やはり“天下分け目の関ヶ原”(岐阜県)。東軍・徳川家康と西軍・石田三成の激戦地です。古戦場を訪ねる若い女性がふえています。

「みなさん、よく勉強しています。ガイドを必要としないほどです。戦国武将への興味を機に、歴史への関心を広げてくれればうれしいですよ」

関ヶ原町歴史民俗資料館の高木優栄館長です。

関ヶ原には史跡が点在。女性が巡るのは、主に三成軍の陣跡や墓です。 笹尾山にある三成の陣跡。竹矢来を二重に巡らし、前面に島左近、中間に蒲生郷舎(がもう・さといえ※赤旗では「いえさと」とあったが誤植だろう)を配置。三成は山頂で指揮。が、たたかいに敗れ、敗走中に捕縛され、京の六条河原で処刑されます。

三成はどんな思いで死んでいったのか。悲運の武将にだれもが思いを馳せるのでしょう。

石田方の大谷吉継(よしつぐ)。人気の武将の一人です。ハンセン病を患い、戦場では輿(こし)に乗って指揮。その大谷の墓は、杉木立の中。墓前に菊の花が手向けられていました。

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佐賀市からきた森祐子さん(24)は、メモ帳を手に史跡を歩いていました。岐阜市内で地元のサガン鳥栖(とす)のサッカー試合を見た後、関ヶ原に足を延ばしました。

関ヶ原の合戦は、教科書で知ってはいました。が、どんな武将たちの、どういうたたかいだったのか。現地を歩いて学びたかったのです。

「勝っても負けても、戦国武将にはさまざまなドラマがあったんですね。きてよかった。大谷吉継、なんだか好きになりそう」

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識者こうみる

愛のカブトを政治にも -NHK大河「天地人」の原作者、作家 火坂 雅志さん-

戦国武将には、強い覚悟、凛々(りり)しさがあります。女性たちは今の男性とくらべ、武将に感情移入するのかもしれません。

例えば、『天地人』の主人公・直江兼続。「長高く、姿容美しく、言語晴朗なり」と伝えられています。 兼続に人気が集まるのは、彼が貫く「義と愛」からでしょう。乱世の中の謀略、裏切り、「利」のみの行動原理。が、兼続は「利」より「義」(道義)を重んじました。

兼続は兜(かぶと)の前立てに「愛」という文字をかかげました。「愛」とは人を思いやり、慈しむ心です。たとえ不利益をこうむっても弱者をかばい、助けることなんです。「愛」は、今の政治家にもっとも欠けています。若い女性たちはきっと、そこに兼続への思いを重ねるのでしょう。

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想像膨らむサブキャラ -時代劇コラムニスト ペリー・荻野さん-

アイドルの新陳代謝がすごく緩いんです。かげりがあるといっても、いまだにSMAPです。スーパースター・ヒーローが出ていません。 昔のような時代劇の人気シリーズがなくなり、若い女性が時代劇から離れていました。でも、ゲームやテレビの大河ドラマに戦国ものが現われてきた。戦国武将は、いつも死と隣り合って、波乱万丈。そんな生き方が、新鮮だったのでしょう。 そのうち“自分だけのアイドル”がほしくなる。有名な武将ではなく、サブキャラクターに心を寄せ、自由に想像をふくらませていくんです。 それに戦国時代はファッショナブルです。直江兼続の兜には「愛」をかたどった前立てが付けられ、甲冑の下の着衣も美しい。女性はストーリー性とファッション性にとても敏感なのです。

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09年1月18日 3,966

■館山地区公民館、戦争体験語る会

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館山市の館山地区公民館は1月15日午後、同館の主催行事として「米占領軍館山上陸フィルム上映と戦争体験を語る会」を開く。

1時から、NPO法人安房文化遺産フォーラムが入手した終戦直後(昭和20年9月3日)の記録フィルムを上映。2時からは、太平洋戦争時に学生だった3人の女性が自らの体験を語る。

資料代100円。参加者は同公民館(月・水・金曜の午前9時-午後4時、電話23-2482)への申し込みが必要。先着で定員40人。

証言者と内代うは次のとおり。

▽青木うめさん(同市上真倉)「『日本建鉄』(船橋)への学徒動員」

▽黒須禮子さん(鴨川市大里)「白浜の艦砲射撃」

▽佐野ふさ子さん(館山市波左間)「国民学校のころ戦争があった」

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(房日新聞2009.12.20)

09年12月20日 8,460

1945年9月、占領軍上陸の館山

元国鉄職員らの証言集まる

09年9月9日 7,177

◎版画家・秋山巌氏が作品展、1月にトークショーも

…落下傘部隊・棟方志功の弟子・山頭火の世界…

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種田山頭火の俳句やフクロウなどの動物、民話を主な題材とし、作品がロンドンの大英博物館にも所蔵されている版画家・秋山巌氏(88)=松戸市在住=の作品展とトークショーが、館山市で1月に開かれることになった。

秋山氏は昭和16年(1941)、海軍落下傘部隊の隊員として館山海軍航空隊で3か月間の訓練を受け、太平洋戦争開戦時の作戦に参加した。これまで戦争体験を外部に話すことはなかったが、TBSテレビのドキュメンタリー番組の取材を受け、当時の模様を証言したことをきっかけに「思い出の地」館山での作品展開催を決めたという。

2つの企画を進めている館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子事務局長は「戦中戦後を通し、落下傘兵から版画家として生きた秋山先生の生きざまは、閉塞した現代社会に生きる私たちにも、大きな気づきと祐樹がもらえる気がします。1人でも多くのと分かち合い、まちづくりのヒントにしたい」と話している。

秋山氏は大分県竹田市出身。開戦時は横須賀鎮守府第三陸戦隊としてティモール島のクパン(現・インドネシア)に落下傘で降下。さまざまな作戦に参加し、ラバウルで終戦を迎えた。

戦後は美術の道に進み、棟方志功や坂本繁二郎に師事。独学で民族学、仏教学、俳詩、水墨画などを学び、山頭火の世界を描いてきた。

作品展開催を決めた秋山氏は14日から3日間にわたり、65年ぶりに館山を訪問。安房神社にある「落下傘部隊戦没者慰霊碑」を参拝した。

同部隊の総勢1,500人のうち、生きて終戦を迎えたのはわずか200人だったという。関係者は「戦争体験を語ったことで若い日の思い出がよみがえり、館山へ行きたいとの思いが強くなったようだ」と話した。

作品展は1月19日から25日まで、同市の大巌院で。入場無料で、木版画約30点が展示される予定。トークショーは1月23日午後7時から南総文化ホール小ホールで。入場料500円。チケットは同ホール、宮沢書店、松田屋などで今週末ごろから発売される。

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(房日新聞2009.12.22) …催しの詳細はコチラ

09年12月22日 10,704

64年前の米軍上陸撮影フィルム上映会に100人来場

「当時の自分が映ってた」元国鉄職員の白坂さん驚き

(房日新聞2009.9.5付)

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09年9月5日 6,691

◎「直接軍政」知っていますか?

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1945年9月3日、米占領軍が館山市に上陸し、4日間にわたって本土では唯一の「直接軍政」を敷いたが、当時の市民が、どのように受け止めたかを伝える資料は乏しい。NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)は、上陸の場面などを撮影した記録映画の上映会を9月3日午後1時半から同市館山の館山地区公民館で開催し、映っている人たちの証言を呼びかける。無料。

東京湾上の戦艦ミズーリ号で降伏文書調印式があった翌日午前9時20分、米陸軍部隊約3,500人が上陸用舟艇で市の旧館山海軍航空隊水上班滑り台に上陸した。その様子を撮影したフィルムには、上陸シーンと街をパトロールする様子、それを見守る市民の姿などが記録されている。

カニンガム准将が率いるこの部隊は、日本軍の武装解除と民政監督を任務としていたが、その日のうちに裁判所権限や財産管理、市民の夜間外出などを禁じ、市を事実上の「直接軍政」下に置いた。

これに対して、外務省館山終戦連絡委員会は日本政府を介して撤回を求め、同准将もこれに応じた。安房中学校(現県立安房高校)の宿直日誌には「九月三日米8八館山上陸、学校ハ当分ノ間、閉鎖ヲ命ゼラル」とあり、7日付で「全校出校、連絡不充分ノタメ出校者約半数」などとこの間の経緯が記されている。

こうして沖縄以外でただ1ヵ所の「直接軍政」は4日間で終わった。

上陸部隊には、太平洋戦争で孤島を死守する日本軍と強襲上陸を試みる米軍兵士たちの人間ドラマを描いた「裸者と死者」の著書で、後にベトナム反戦運動の体験を下敷きにした「夜の軍隊」でピューリッツァー賞に輝いたノーマン・メイラー氏(故人)がいた。同氏は本社記者とのインタビューで「占領軍の一員として館山の空港に到着した。周囲の高い丘から機関銃がいくつもこちらをにらんでいた。日本軍が抵抗していたら、きっと砲火を浴びて殺されていただろうと思った」('06年9月9日朝刊)と語っている。

また、当時、米テキサスの州兵で、この時期、同市で任務についていたウィリアム・ガルボさん(84)は帰国後、地元の大学教授のインタビューで、同市布良の住民との交流などについて詳しく語っており、米軍側の証言や資料はいくつか残っている。

ところが、館山市民の証言は、敗戦による混乱のさなかだったこともあって数少ない。愛沢さんは「映像には、占領軍を迎えた館山市民もかなり映っている。その人たちを知っている人がいたら、ぜひ連絡して欲しい。貴重な証言を引き出すきっかけにしたい」と呼びかけている。

09年8月25日 5,770

●和島誠一賞、安房文化遺産フォーラムが受賞

●文化財保護の功績を評価


文化財保存全国協議会(事務局・大阪市)が設立し、文化財保護に功績のあった個人・団体に授与される「和島誠一賞」の第10回受賞者に館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)が選ばれ、14日に京都市の同志社大学で授賞式が行われた。

全国協議会は、同フォーラムがこれまで手掛けた館山市の赤山地下壕をはじめとする戦争遺跡、里見氏稲村城跡などの保存・活用運動を高く評価。「市民に広く文化遺産の歴史的意義の普及をはかられたこと」を「顕著な功績」とたたえた。

愛沢代表は「われわれの活動だけでなく、安房地域の市民がつくり上げたものを全国が評価してくれたのだと思う。これまでの多くの方々の集会参加、署名の取り組みに感謝している」と喜びを語った。

同フォーラムの設立母体は、1989年に安房地域の戦争遺跡の調査、保存を目的に活動をスタート。太平洋戦争中「海軍のまち」だった館山市の当時の歴史掘り起こしに尽力したほか、戦争遺跡を保存し平和学習に活用する取り組みを進めてきた。

96年には里見氏稲村城跡の保存運動に乗り出し、地域住民との現地ハイクを繰り返すなど粘り強い活動を展開。城跡の上に計画された市道建設ルートの変更を勝ち取るなどの実績を挙げた。

和島誠一賞は、文化財保護思想の普及を広く提唱し、神奈川県三殿台遺跡などの遺跡保存を積極的に進めた考古学者、故和島誠一氏を記念し2000年に設立。これまで長岡京東院の保存運動に尽力した作家の永井路子さん、国立歴史民俗博物館館長を務めた故・佐原真氏、長野県の「松代大本営の保存をすすめる会」などが受賞した。


【写真説明】表彰状を手にする愛沢伸雄代表(右)と池田恵美子事務局長


※和島誠一賞の詳細はこちら。

※読売新聞掲載記事はこちら。

※房日サイトの記事紹介はこちら。

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●愛沢代表の受賞挨拶はこちら●

09年6月19日 5,773

◎農民一揆「万石騒動」から300年

...三義民たたえ来年記念祭 館山

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江戸時代に安房国北条藩で起こった「万石騒動」から300年。騒動で犠牲になった3人の名主の300回忌に当たる来年に、「万石騒動安房三義民300年祭」開催の機運が盛り上がっている。

万石騒動は正徳元(1710)年、当時北条藩(現館山市)の27カ村約1万石を支配していた屋代越中守忠位のとき、藩政を預かった川井藤左衛門が元禄大地震からの復興に、労役や2倍近い年貢を課したことで農民が立ち上がった農民一揆。

数百名の農民が江戸の屋代家に押しかけて門訴し、老中にも駕篭(かご)訴した。農民代表の湊村角左衛門、国分村長次郎、薗村五左衛門の3名主が処刑された一方、屋代家は改易、川井らも処刑されるなど農民勝訴で決着した。

処刑された3名主は「三義民」とたたえられ、処刑場跡地がある館山市国分地区の国分寺には供養塔が建てられた。命日には毎年法要が営まれるほか、50年ごとに記念法要が営まれている。

300回忌の来年を前に今年2月、同地区や市文化財保護協会、NPO安房文化遺産フォーラムが共同して実行委員会(委員長・佐野邦雄市文化財保護協会長)を立ち上げた。17日に開かれた検討会では、来年11月20日の300年記念祭に合わせて、同地区の処刑場跡地に新たに記念碑を建立し、事業費を寄付金で賄う方針を確認した。「万石騒動で農民は武装蜂起せず、言葉で訴えた。“義”の心を後世に伝えたい」と記念事業の意義を示す。

寄付金の振込口座は郵便局で「万石騒動安房三義民300年祭実行委員会」(00150-4-263116)。問い合わせは国分区長の行貝さん(電話)0470(22)4824。

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*千葉日報サイトはこちら

09年8月21日 6,011

◎館山の戦跡、史跡の保存活用を評価

…功績認められ和島誠一賞

…NPO安房文化遺産フォーラム

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09年7月2日 3,992

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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