
(房日新聞2009.12.1付)
■手づくり甲冑の立ち回りに大きな拍手
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NPO法人安房文化遺産フォーラムが主催する「戦国こすぷれ大会」が29日、館山市の城山公園で行われた。武将や姫君、戦国アニメのキャラクターなどに扮した「戦国コスプレイヤー」約20人が首都圏や関西圏から集合。地元館山の「手作り甲冑隊」も合流し、同じ場所で開かれた「里見市民まつり」(産業まつり)に花を添えた。
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◆千葉遺産33◆
◎かにた婦人の村 従軍慰安婦碑
…歴史の闇ひそやかに、声なき同僚 鎮魂の場
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急勾配の坂を登ると、館山の海とミニチュアのような街並みが眼下に広がる。小高い丘の上に位置する「かにた婦人の村」(天羽道子施設長)。施設内には入所者がパンづくりや陶器づくりに従事する作業棟や農園、教会が並び、それらを見下ろす丘の上に「噫(ああ)従軍慰安婦」と書かれた石碑(高さ約2メートル)が建っている。
かにた婦人の村は65年、東京都のプロテスタント系社会福祉法人「ベテスダ奉仕女母の家」が母体となり、故深津文雄牧師が設立した婦人保護長期収容施設だ。1956年の売春防止法成立を受け、障害のある女性を長期間生活する施設として建設された。
施設には深津牧師の墨書が今も残る。「かにたとは、そこを流れる小さな川の名前でした。(中略)そのほとりに捨てられた、いとも幸うすき女性百人の、共に住む村の名前となりました」。ノンフィクション作家・沢木耕太郎氏が72年に発表したルポルタージュ「棄(す)てられた女たちのユートピア」(新潮文庫「人の砂漠」所収)の舞台ともなった。
これまで全国各地の婦人保護施設から「長期収容が必要」と判断された延べ179人の女性が入所。38人は他施設などへ移り、59人はここで亡くなった。家族に引き取られたのはわずか2、3人だという。現在、20〜90代の女性82人と、職員約20人がともに暮らす。生活費は国、県からの補助金や寄付金で賄われている。
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深津先生
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◎絵を通じ生き方見つめて 館山
無言館の窪島氏が講演
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太平洋戦争末期、画家を志しながら学徒出陣などで戦場に送られて命を落とした戦没画学生の作品を収蔵・展示する美術館「無言館」(長野県上田市)の窪島誠一郎館主の講演会が10日夕、館山市の県南総文化ホールであった。
窪島氏は「画学生らは反戦を訴えるために作品を描いたのではない。妻や恋人、家族など、愛するものを描くことで自分の命を描き、生きる証としたのだ」と指摘。戦後六十数年を経て日本人が大切なものを失い、子が親を、親が子を殺すという時代に「反戦平和という4文字だけでなく、自分の生き方を振り返る場所として無言館を見ていただきたい」と訴えた。
また「人間は感動の記憶を他者の命に伝えていく義務がある」と強調。「自分にしか歌えない歌、描けない絵」とともに人生を歩んでいこうとメッセージを送った。
窪島氏は1941年、東京生まれ。印刷工や店員、酒場の経営などを経て、79年に大正期の洋画家、村山槐多など夭折画家の作品を展示する「信濃デッサン館」を上田市に設立した。97年にはデッサン館の隣接地に「無言館」を設立。異色の美術館として注目され、2005年に菊池寛賞を受賞した。
講演で窪島氏は▽村山槐多の生涯▽信濃デッサン館設立の経緯▽戦没画学生たちの遺作収集に執念を燃やした画家、野見山暁治氏との出会い▽画学生らの作品に込められた思い——などを切々と語った。15年前、なぜ遺作収集をする決断をしたのかという理由については「あの時の自分の気持ちがよく分からなくなることがある。戦争とかはどうでもよくて、私の50年の人生を考えていたのかも」と赤裸々な思いを口にした。
講演会は、同館を訪ねた鋸南町の画家、溝口七生さんや年金者組合安房支部長の橋本芳久さんらが実行委員会を組織して企画。会場の小ホール(300人収容)は満員となり、入場できなかった約30人が別室のモニターで講演を聞いた。



◎「画家になりたい」愛沢さん遺作展
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24歳の若さでこの世を去った館山市の愛沢綾子さんの絵画を紹介する「愛沢綾子回顧展—わたしは画家になりたい—」が、9月20日から23日まで南房総市富浦町の枇杷倶楽部ギャラリーで開かれる。
愛沢さんは安房高校を卒業後、日本女子大学心理学部に入学したが、在学中に統合失調症を発症。自宅療養する中で絵を描き始め、2006年と08年に個展を開催、この年の7月に永眠した。絵画展は、一周忌を過ぎたことから父親の伸雄さんが、綾子さんが残した多くの作品を一般の人に鑑賞してもらおうと企画した。イラストや、抽象画、静物画などおよそ50点が展示される。



【読売新聞】2009.11.20付
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名画「海の幸」舞台
小谷家が館山市文化財に
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明治の洋画家、青木繁(1882〜1911年)が明治37年(1904年)に滞在し、名作「海の幸」を制作した家として知られる館山市布良の小谷家が、市指定の有形文化財に指定された。
小谷家は寄せ棟造り桟瓦葺きで、広さは93平方メートル。漁業で栄えた明治中期の漁家として貴重であり、造りは分棟型民家の系統を引いている。屋根を桟瓦葺き、一部を大壁造りとした防火づくりにし、近代的間取りを取り入れているのが特徴。
小谷家は昨年7月、諮問を受けた市bん家財審議会が今年9月、市の有形文化財に指定するよう答申し、10月27日付で指定された。
建物所有者の小谷栄さん(85)は「地元の人たちやNPOの方たちが何度も足を運んでくれて、相談を重ねながら指定にこぎつけ、感謝している。昔ながらの建物の姿をできるだけ残していきたい」と話している。
また「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」の愛沢伸雄事務局長は「5年がかりでやっと文化財に指定された。地域の誇りとして次世代の子どもたちに夢と希望を与えるような保存と活用を、行政と連携しながら考えていきたい」と語る。
市は今年7月、海の幸の記念碑(1962年建立)のそばに絵画の解説モニュメントを設置した。記念碑は作品の舞台となった阿由戸の浜を望む小高い丘に立っている。今後は小谷家住宅を富崎地区の歴史・文化や観光資源と合わせてPRしていく考えだ。


◎農民一揆「万石騒動」から300年
...三義民たたえ来年記念祭 館山
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江戸時代に安房国北条藩で起こった「万石騒動」から300年。騒動で犠牲になった3人の名主の300回忌に当たる来年に、「万石騒動安房三義民300年祭」開催の機運が盛り上がっている。
万石騒動は正徳元(1710)年、当時北条藩(現館山市)の27カ村約1万石を支配していた屋代越中守忠位のとき、藩政を預かった川井藤左衛門が元禄大地震からの復興に、労役や2倍近い年貢を課したことで農民が立ち上がった農民一揆。
数百名の農民が江戸の屋代家に押しかけて門訴し、老中にも駕篭(かご)訴した。農民代表の湊村角左衛門、国分村長次郎、薗村五左衛門の3名主が処刑された一方、屋代家は改易、川井らも処刑されるなど農民勝訴で決着した。
処刑された3名主は「三義民」とたたえられ、処刑場跡地がある館山市国分地区の国分寺には供養塔が建てられた。命日には毎年法要が営まれるほか、50年ごとに記念法要が営まれている。
300回忌の来年を前に今年2月、同地区や市文化財保護協会、NPO安房文化遺産フォーラムが共同して実行委員会(委員長・佐野邦雄市文化財保護協会長)を立ち上げた。17日に開かれた検討会では、来年11月20日の300年記念祭に合わせて、同地区の処刑場跡地に新たに記念碑を建立し、事業費を寄付金で賄う方針を確認した。「万石騒動で農民は武装蜂起せず、言葉で訴えた。“義”の心を後世に伝えたい」と記念事業の意義を示す。
寄付金の振込口座は郵便局で「万石騒動安房三義民300年祭実行委員会」(00150-4-263116)。問い合わせは国分区長の行貝さん(電話)0470(22)4824。
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◎「直接軍政」知っていますか?
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1945年9月3日、米占領軍が館山市に上陸し、4日間にわたって本土では唯一の「直接軍政」を敷いたが、当時の市民が、どのように受け止めたかを伝える資料は乏しい。NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)は、上陸の場面などを撮影した記録映画の上映会を9月3日午後1時半から同市館山の館山地区公民館で開催し、映っている人たちの証言を呼びかける。無料。
東京湾上の戦艦ミズーリ号で降伏文書調印式があった翌日午前9時20分、米陸軍部隊約3,500人が上陸用舟艇で市の旧館山海軍航空隊水上班滑り台に上陸した。その様子を撮影したフィルムには、上陸シーンと街をパトロールする様子、それを見守る市民の姿などが記録されている。
カニンガム准将が率いるこの部隊は、日本軍の武装解除と民政監督を任務としていたが、その日のうちに裁判所権限や財産管理、市民の夜間外出などを禁じ、市を事実上の「直接軍政」下に置いた。
これに対して、外務省館山終戦連絡委員会は日本政府を介して撤回を求め、同准将もこれに応じた。安房中学校(現県立安房高校)の宿直日誌には「九月三日米8八館山上陸、学校ハ当分ノ間、閉鎖ヲ命ゼラル」とあり、7日付で「全校出校、連絡不充分ノタメ出校者約半数」などとこの間の経緯が記されている。
こうして沖縄以外でただ1ヵ所の「直接軍政」は4日間で終わった。
上陸部隊には、太平洋戦争で孤島を死守する日本軍と強襲上陸を試みる米軍兵士たちの人間ドラマを描いた「裸者と死者」の著書で、後にベトナム反戦運動の体験を下敷きにした「夜の軍隊」でピューリッツァー賞に輝いたノーマン・メイラー氏(故人)がいた。同氏は本社記者とのインタビューで「占領軍の一員として館山の空港に到着した。周囲の高い丘から機関銃がいくつもこちらをにらんでいた。日本軍が抵抗していたら、きっと砲火を浴びて殺されていただろうと思った」('06年9月9日朝刊)と語っている。
また、当時、米テキサスの州兵で、この時期、同市で任務についていたウィリアム・ガルボさん(84)は帰国後、地元の大学教授のインタビューで、同市布良の住民との交流などについて詳しく語っており、米軍側の証言や資料はいくつか残っている。
ところが、館山市民の証言は、敗戦による混乱のさなかだったこともあって数少ない。愛沢さんは「映像には、占領軍を迎えた館山市民もかなり映っている。その人たちを知っている人がいたら、ぜひ連絡して欲しい。貴重な証言を引き出すきっかけにしたい」と呼びかけている。



(読者のコーナー)
6月1日を前にして
....山口栄彦
.....(NPO法人安房文化遺産フォーラム会員)
館山海軍砲術学校が安房郡神戸村佐野(現館山市佐野)で開校されたのは1941(昭和16)年6月1日だった。富崎や神戸地区が心に深く刻まれているように、館山砲術学校(以下館砲)の残像がぬぐいきれない。そこで、開校記念日をまえに2、3触れてみたい。
安房地域特別支援学校のあたりに館砲の下士官とその家族用の住宅があり、「官舎」と呼ばれていた。敗戦後、官舎は地域住民に払い下げられた。やがて、土地の接収が始まったので夫が家を解体して今の場所に移った。その後部屋を一間増やし今も住んでいる。「古くて恥ずかしいです」と、Sさんはしきりに言う。恥ずかしいどころか、家は館砲にまつわる数少ない戦争遺跡の一つだ。
去る4月、1人の女性が南房総市の大房岬を訪ねた。神戸市に住む岡田啓子さん(64)だ。44(昭和19)年館砲で米国の西海岸上陸を目的とした海軍レンジャー部隊呉101特別陸戦隊、通称山岡部隊(約300人)が編成され、主に富浦地区で訓練を続けた。戦局の悪化で作戦はサイパン上陸に変更され、隊員だった啓子さんのご尊父は、特攻出撃をまえに遺書まで残したが、敗戦となり生きのびた。富浦で生まれた啓子さんは、自分の出生の地と若き日の父親の足跡を求めて来房した。「こんな場所での訓練は二度としてほしくない」と、啓子さんは大房の崖を見上げて呟いた。
館砲のA主計長は学生時代から絵を描くのが好きだったようだ。主計長からの
便りでがしばらく絶えたのを心配した父親は、44年の初夏、息子に面会するために山形市からはるばる館山にやって来た。主計長は部下(民間人)の不祥事の責任を取らされ、米軍の上陸が迫るニューギニアのビアク島に極秘に送られていた。後任のO主計長は前任者にかかわる真相は知っていたが、軍紀上それをA主計長の父親に明らかにできなかった。「あれは息子が描いた絵に違いありません」と、A主計長の父親は壁の絵を指した。A主計長はビアク島で戦死した。
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*房日新聞2009.5.13付
*岡田啓子さんの来房レポートはblog安房国再発見



現在、房州地域の2つの風力発電建設計画をめぐって住民の反対運動が起こっているのをご存知だろうか。
ひとつは、南房総市千倉町の白間津・大川地区。計画を進めているのは北海道に拠点を置く事業者で、房州特有の海に迫った低い山並みの尾根伝いに風車10基を建設しようというものだ。
風力発電施設は風車が大きいほど採算性が向上するとして近年、大型化の傾向が強まっており、今回建設が予定されているのは高さ135m、羽根の長さ50mの国内最大級の風車という。
これだけの高さがあるとまず思い浮かぶのが景観の変化である。同地区は春はお花畑、夏は海を目ざしてたくさんの観光客が訪れる。4年に一度の白間津の大祭には遠方からも人が訪れる。そんな景勝地に果たして巨大風車がマッチするだろうかという問題。
また、風車建設には山の造成と林道の整備が必要になるため、周辺環境への影響が懸念される。付近の海は海女や海士が潜る天然の漁場。清流で知られる長尾側の源流にもあたる。工事で海や川に土砂が流出することはないのだろうか。風力発電施設が引き起こすといわれる騒音や低周波による周辺住民の健康被害も気になる。
もう1ヵ所は南房総市平久里の井野、荒川、平塚3地区に高さ118mの風車を7基建設しようという計画。予定地は南房総市ながら、自治体境界線上にあるため鋸南町佐久間、鴨川市平塚・大山平塚など隣接する地域にも影響があろう。
千倉では短期間に5,000人を超す署名が集まり、住民グループによる説明会も開催されて、一旦は建設に同意した地権者の中に同意を撤回する動きも出ている。一方、平久里のほうは、今月中にも補助金が下りるかもしれないというさらに差し迫った状況の中で反対署名が展開されている。
クリーンエネルギーとして期待される風力発電であるが、民間事業に補助金をつける形で普及促進が図られているため、建設に際しては市の同意は必ずしも必要ではなく、また法的な環境アセスメントも要求されていない。
したがって、今回の2件のように、これだけの巨大施設建設にも拘わらず直接の地権者以外、地元を蚊帳の外に置いたままで計画が進んでしまうところに制度上の問題があり、根耳に水の周辺住民の反発はその分大きい。
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◎海の日と終戦の日、戦争遺跡ガイド実施
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館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラムは毎月第一日曜日に行っている戦争遺跡無料ガイドを7月20日の海の日、8月15日の終戦記念日にも実施することを決めた。
家族、小グループが対象で、同市宮城の「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」(市指定史跡)をガイドの解説を聞きながら歩く。各回いずれも午前10時から約2時間の予定。参加希望者は開始時間に現地集合。問い合わせは同フォーラム(0470-22-8271)へ。
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