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●関澤明清(せきざわ・あけきよ)

1843(天保14)〜1897(明治30)


「近代主産業の先駆者」

加賀藩生まれ。幕末の江戸で大村益次郎らに蘭学・航海術を学び、藩の密命を受けて渡英。維新後は政府の事務官として、ウィーン万国博覧会やフィラデルフィア万国博覧会に参加。欧米の進んだ水産技術に衝撃を受け、日本にとっても水産業振興策は重要施策と考え、アメリカ式近代捕鯨やサケ・マスの人工ふ化、缶詰製造法を習得し、日本に導入した。1887(明治20)年頃、極端に鰯が不漁となった九十九里海岸で、アメリカ式巾着網と従来の揚繰網を折衷した改良揚繰網漁法を導入した。旧来の地引網などより効率がよかったので全国に広がり、沿岸漁業に大きな影響をもたらした。

また、水産教育の重要性を説き、1889(明治22)年に水産伝習所の初代所長に就任して後進の育成に精力を注いだ。後に、水産講習所、東京水産大学、東京海洋大学となる前身である。伝習所設立以来、現在に至るまで、館山が実習場であることは見逃せない。その後、自ら館山に居住し関澤水産製造所を設立、勝山の捕鯨船団・醍醐新兵衛と組んでの捕鯨や、遠洋漁業の事業を興す。なお、捕鯨基地は白浜の乙浜に移り、現在は和田が関東唯一の拠点となっている。

北下台に建つ巨大な顕彰碑には、「此碑は水産家関澤明清君の功績を不朽に伝ふる為、明治三十年同志四百六十名より拠出の資金壱千有余円を以て建碑に着手し、同三十二年五月に竣工す」と刻まれている。弟の鏑木余三郎は、関澤が建造した「豊津丸」でベーリング海のオットセイ漁に成功。冬はマグロ漁、夏は捕鯨やオットセイ漁をおこなう房総遠洋漁業会社(後の東海漁業)を設立した。


...◎あわ・がいどB『海とともに生きるまち』より抜粋...

09年6月17日 28,710

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