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水産業の父の魚類図、加賀藩出身の関澤明清

千葉の網元に贈呈、漁業へ情熱示す

(北國新聞2012年10月2日)

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サケの養殖技術などを日本に伝え「水産業の父」と呼ばれる加賀藩出身の関沢明清は明治時代千葉県館山市の旧家に送った書状が1日までに見つかった。関沢が水産業を志す生徒を漁の盛んな館山に派遣していたことがうかがえるほか、生徒を受け入れてくれた礼として精密な魚類図を送っていたことが分かり、関沢の水産業発展への情熱が伝わる貴重な資料だという。

書状は、館山市指定有形文化財の「小谷家住宅」で地元のNPO安房文化遺産フォーラム関係者が確認した。1890年(明治23年)9月10日付の小谷家当主宛てで「生徒御地出張中はご多忙の中、特に漁具その他の説明を煩し、生徒に於いても満足致して居り候」などと直筆で書かれており、関沢が所長を務めていた水産伝習所の生徒が江戸時代から続く網元だった小谷家に滞在して漁法を学んでいたと推測される。

小谷家で保存されている石版画「日本重要水産動植物之図」が、生徒受け入れの札として関沢から同家に贈られた品であることも、書状の記述から初めて分かった。

この図はイセエビやマンボウ、アシカなど海の生物159種の絵と名前、体長などが日本語とフランス語で記されている。関沢について調べている金沢工大の吉道悦子教授(文芸社会学)によると、図は1888年、農商務省が複数制作し、現在、小谷家が保管するほか、公共図書館では金大附属図書館が唯一所蔵。金大の前身の旧制四高が1917年に購入し、授業で使っていたとみられる。

吉道教授によると、従来、この魚類図が関沢と関連付けて考えられることはなかったが、今回の発見で関沢が図を贈答品に用いていたことが分かったのに加え、図の出版当時、関沢がこの図の製作に関わった可能性が大きいという。吉道教授は「書状の発見が水産業の発展に尽くした関沢の功績が広まるきっかけになればうれしい」と話した。


関沢明清 (1843〜97)

加賀藩士関沢安左衛門の次男。1866年、長崎に留学中、藩命で海外渡航の禁を破って英国へ留学し、帰国後、明治政府に仕えた。ウィーン万博、フィラデルフィア万博を視察して魚の養殖法や漁網編み機を持ち帰り、缶詰製造や捕鯨銃の採用、遠洋マグロ漁業の普及に尽くした。水産伝習所(東京水産大の前身)の初代所長。北國新聞社から「関沢明清‐若き加賀藩士、夜明けの海へ」が発刊されている。

12年10月5日 12,246

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

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