医師らが震災支援の会
宿泊と医療・介護サービスをセットで
要介護者らの受け入れ模索
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東日本大震災の被災者のうち避難所生活が困難な要介護者、在宅医療患者とその家族を積極的に受け入れようと、安房地域の医療・介護福祉関係者が「安房医療介護福祉連携・東日本大震災支援の会」(略称AWA311-MCW)というグループを立ち上げ、活動を始めた。
南房総市や鴨川市の旅館、ペンションなどに要介護者を受け入れ、必要な医療・介護のサービスはAWA311のメンバーらが協力して提供していこうという構想。
関係者によると、3月下旬に呼びかけたところ、4月5日までに115人が参加を表明。支援の輪が広がっている。
代表幹事には、亀田総合病院の小野沢滋・在宅医療部長が就任。松永医院(南房総市)の松永平太医師、花の谷クリニック(同)の伊藤真美医師らが感じなどに名を連ねている。
小野沢氏は12日現在、宮城県石巻市に入り、被災地の医療活動をサポートしながら患者の後方避難場所のあり方を模索中。現地から「現時点では南房総は唯一、宿泊と医療・介護がリンクしている事がはっきりしている受け入れ先。その意味では非常に貴重だ」とメンバーに報告している。
また、一部の看護師・介護職メンバーらが「全国訪問ボランティアナースの会・キャンナス」の応援依頼を受け、石巻市の避難所で活動している。現地では「日中のボランティアはある程度いるものの、被災者に夜間付き添うケアスタッフがいない。夜間に具合が悪くなり、救急車を呼ぶ事態が増えてきている」(医療関係者)という。
AWA311では今後想定される避難患者受け入れに際し、既に南房総市、鴨川市と協力関係を構築。「近く館山市とも連携して活動していきたい」(関係者)としている。
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夕暮れに輝く裸の漁師たちの中で振り向く美女の顔。日本洋画史上の最高傑作といわれる青木繁「海の幸」は一九〇四年、千葉県館山市布良(めら)の網元宅で制作された。この家はほぼ当時のまま現存するが、存続の危機にある。没後百年の今年、抜本的な保存策を訴える声が高まっている。
(後略)
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(東京新聞2011.2.15付)
館山市観光協会が総会、新会長に小金氏
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館山市内235軒の観光施設などでつくる、一般社団法人館山市観光協会の第3回定期総会が12日、同市のいこいの村たてやまで行なわれた。一般社団法人となって初めての役員改選で、新会長に小金晴男氏が就任した。また、これまで2人だった副会長を倍増し4人体制とした。東日本大震災の二次的被害の影響で苦境にあえぐ観光業界の活性化を図るため、一層の体質強化を図った。
同観光協会は、平成21年度に一般社団法人化され、観光産業を中心にした多面的な公益事業の展開と発展を担っている。役員の任期は2年で、前会長の鈴木保氏は、法人化になる前と合わせ2期4年を務めた。今後、鈴木氏は顧問としてサポートにあたる。
副会長には、幅広いジャンルからの人材登用を図った。
(朝日新聞2011.11.19付)
里見氏2城跡、国史跡へ
館山の稲村城跡・南房総の岡本城跡
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「南総里見八犬伝」などで知られる戦国大名の里見氏が本拠とした稲村城跡(館山市)と岡本城跡(南房総市)が、国の史跡に指定される見通しとなった。中世における房総半島の山城の変遷や地域の社会情勢を知る上で手がかりになる。今回の指定で県内にある国の指定史跡は計27件。
◇中世社会の手がかり
県教委によると、稲村城は16世紀前半に3代義通が居城。城の中心部「主郭」の規模や、敵の侵入を防ぐために山を急角度に削った斜面「切岸」の張り巡らされた範囲が抜き出ている。
岡本城は16世紀後半、5代義堯の孫義頼が本拠にした。東京湾を望む丘陵上につくられ、東西約600メートル、南北約300メートルに及んでいるという。
◇16年間の運動と1万人署名実る
館山NPO
稲村城の国指定史跡を目指して活動してきた館山市のNPO法人・安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表(60)は「16年間の運動と1万人の署名が実った。地域の人たちと街づくりに活用したい」と喜んでいる。
標高64メートルの丘陵の山頂、主郭のあった場所に「稲村城跡」の看板が立つ。山を削った曲輪(くるわ)や空堀として使われた堀切り道、土塁など遺構が多く、「戦国時代初期の城が真空パックのように残っている」という。
1996年6月、愛沢さんたちが「里見氏稲村城跡を保存する会」を立ち上げたのは、県企業庁の工業団地への進入路(市道)が稲村城跡を横断すると分かったからだ。市議会や市当局への請願、署名活動を行う一方で地権者を交えて勉強会、現地の草刈りを年2回行い案内板を設置するなど地道な活動を続けてきた。
市道問題が解決した2005年からは国指定史跡化に向けて動き出した。稲村城だけでなく、岡本城跡や白浜城跡、滝田城跡など里見氏ゆかりの城跡をセットで指定するよう運動を進め、各地の城跡見学バスツアーも重ねた。
文化審答申:里見氏の稲村城跡と岡本城跡
保護運動実り国史跡に
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15世紀中ごろから約170年にわたり安房地方を支配した里見氏の居城だった稲村城跡(館山市稲)と岡本城跡(南房総市富浦町)について18日開かれた文化審議会が国の「史跡」への指定を求める答申を出した。県内にある中世の城跡では本佐倉城跡(酒々井町、佐倉市)に次ぐもの。特に稲村城跡は館山市が道路建設に利用する計画を立てた90年代、保護運動が起こり、ルートが変更されたいきさつがある。県や市の史跡に指定されておらず、いきなりの「飛び級」指定で、運動にかかわった関係者の喜びもひとしおだ。【中島章隆】
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◇県未指定「飛び級」で
稲村城跡は里見氏の16世紀前半の居城と見られ、JR内房線九重駅の西方、標高64メートルの小高い丘に本丸にあたる主郭(しゅかく)跡がある。内房と外房、さらに南の白浜方面を結ぶほぼ中間点の交通の要衝。最初に築城した白浜から内陸に向け、次々と居城を移している里見氏のうち第三代義通の居城とされている。丘陵の北と西の斜面を削り落として障壁にするなど、敵から城を守るさまざまな工夫が見つかっている。
一方、岡本城跡は16世紀後半の本拠とされ、JR富浦駅の北、眼下に豊岡海岸を見下ろす標高約60メートルの高台にあり、現在は「里見公園」として親しまれている。里見義頼、義康親子の居城とされ、水軍を操った里見氏らしく海を見渡す城郭に特徴がある。74年に市(当時は富浦町)の史跡に指定された。
里見氏ゆかりの人たちで組織する房総里見会の里見香華会長の話 闇のトンネルから抜け出たようで、こんなうれしいことはない。房総の里見氏の歴史にはまだ多くの不明な点が残されている。国指定を機に、多くのことが明らかになるのを期待します。
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◇道路計画に一石投じた高校教諭、署名集め地道に整備
始まりは高校教諭がローカル紙に寄せた投書だった。「郷土に誇れる文化財の保護を」(96年3月29日付「房日新聞」)。投稿したのは県立安房南高で世界史を教えていた愛沢伸雄さん(60)だ。
稲村城跡の一部が大規模工業団地の造成に伴う市道建設予定地に組み込まれることを知ったのがきっかけ。投書は「道路建設が、里見氏の歴史を観光の主眼にしている館山市当局の手でおこなわれるとしたら、残念なこと」とし、計画の見直しを「切に希望しております」と結ぶ。
その後、愛沢さんは同僚の教諭らと「稲村城跡を保存する会」を設立し、署名活動を始めた。市議会に史跡化を求める請願書を提出し、最終的に1万人近くから署名を集めた。
城跡にも何度も足を運んだ。共有地となっている遺跡周辺の丘に分け入り、草刈りや案内板の設置、周辺地域のガイドマップ作りなどを実行し、遺跡一帯が「ただの丘」ではないことを市民に訴えた。小田原城など県外の史跡を訪ね、意見交換なども精力的に行った。
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7年前、高校を辞め文化・遺産保護のNPO法人を設立し、代表を務める愛沢さんは「地域の歴史と文化に誇りを持とうと地道に始めた運動だったが、最近では高名な歴史学の先生も稲村城跡まで足を運んでくれるようになり、多くの人が運動を支えてくれた。今後は他の里見の居城も含めた広域的な史跡の指定を目指したい」と話している。
里見氏城跡を国史跡指定
館山稲村、南房総岡本、県内27件に
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国の文化審議会(西原鈴子会長)は18日、館山市稲の稲村城跡と、南房総市富浦町の岡本城跡をセットで「里見氏城跡」として国史跡に指定するよう中川正春文部科学大臣に答申した。いずれも房総里見氏が戦国時代に築いた居城跡で、当時の地形を良好に残し、房総半島における中世山城の変遷や、当時の地域社会、政治情勢を知る上で重要と評価された。城跡は現在、ほとんどが山林で個人所有。今後、地元市が公有化を進め、保存・活用方法、整備方針などを検討する。県内の国指定史跡は27件となる。
房総里見氏は戦国時代から江戸時代初頭にかけて10代、約170年にわたって房総半島南部を拠点とした戦国大名。初代の里見義実(よしざね)が15世紀後半に白浜城(現在の南房総市)を構えて以降、南房地域で数回にわたって本城を移している。
稲村城は現在の館山市内陸部の丘陵に築城され、3代義通(よしみち)が16世紀前半に居城とした。県教委文化財課によると、城跡は東西、南北ともに約500メートルにおよび、面積約1万8千平方メートル。中心部「主郭」の東、南側には高さ約3メートルの土塁跡が計約100メートル残る。敵からの侵攻を防ぐため丘陵斜面を削った切岸(きりぎし)、尾根を切断した切通しの跡もある。
岡本城は、現在の南房総市の東京湾を望む丘陵に16世紀後半、8代義頼(よしより)が築いた。指定史跡は東西600メートル、南北300メートルで、面積は約7万6千平方メートル「主郭」周辺には2段にわたって計約700メートルの切岸跡が見つかっている。主郭北西側の「三の郭」は、汐入川を通じて海につながり、船が発着する港の機能を備えていたとされる。
同課は「稲村城、岡本城ともに、当時の房総地域では突出して大きな規模で里見氏の勢力の大きさを示している」としている。
地元観光資源と期待
史跡の本格整備目指す
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戦国武将の里見氏の居城だった稲村城(館山市稲)と岡本城(南房総市富浦町豊岡)=市指定史跡=の城跡が一躍、国の史跡指定を受けることになった。国指定にふさわしい史跡整備に向けた取り組みが始まる。
山城の稲村城は国府が置かれた府中を見下ろし、麓に交通路(現国道128号)が東西に延びる。白浜城から北へ勢力を伸ばした里見氏の、安房支配の戦略がうかがえる。4代義豊の1534(天文3)年、天文の内乱で傍流の義堯が勝利し居城が移った。前期里見氏から後期里見氏へ、転換点の舞台が稲村城だ。
国指定に、15年間にわたり保存運動を続けるNPO安房文化遺産フォーラム代表の愛沢伸雄さん(60)は「里見の歴史を見直し、地域の歴史文化を地域みんなで大切にするきっかけになれば」と期待を寄せる。
稲村城跡は1983年の県教委の調査で成果が少なかったことや、土地所有者が複雑で史跡指定を果たせなかったという。一方で91年、後背地に県の工業団地計画が浮上。市は稲村城跡を通る進入路を計画した。愛沢さんらは96年に保存会を結成し、保護を訴えて最終的に1万超の署名を集め、市議会で請願が採択。市道路計画は変更となり、市も史跡保護にかじを切った。
国指定となったが、土地買収の同意はまだ65%。年に数回下草が刈られるだけで本格整備は当分先の話だが、愛沢さんは「長い取り組みを続けたい。市も文化遺産を生かすまちづくりをしてほしい」と単体でなく、安房・上総地域に20ヵ所以上点在する“里見城址群”の史跡化を目指す。
岡本城跡は富浦湾に面し、里見水軍の拠点だった。戦国末期、8代義頼が、上総を基盤とした弟の梅王丸の内乱を治めるなど、ここでも里見の歴史で重要局面を迎えた。
里見の城跡と知られ、74年に富浦町指定(現南房総市指定)となり、頂上部に碑が建つ「里見公園」として親しまれる。国指定に石井裕市長は「地域の重要な文化財として保存管理し、観光資源として地域振興を図りながら、後世に継承したい」と歓迎した。山のほとんどがビワ園。今後整備計画を立てていく。
NHK福岡の地域特集
「没後100年〜生と死の絵画」
明治後期、日本画壇にすい星のように現れて駆け抜けた天才画家・青木繁。『海の幸』など日本美術史上に残る名作を次々と描き上げた後放浪生活に入った。そして「骨灰は故郷のケシケシ山に埋めて欲しい…」と言い残して逝った。28年の人生であった。番組では、青木繁の数々の名作を紹介すると同時に、手記や手紙、友人らが青木繁の人や作品について書いた批評、エピソードを取り上げ、折々の青木繁の心の動きを見つめていく。
【出演】石橋美術館学芸課長 森山秀子
※館山でも取材協力をしました。