青木繁「海の幸」モチーフ
どっち? 安房神社の神輿 布良崎神社の神輿
「担ぐ姿、絵と類似」両説披露へ 館山で27日
(2011.08.25 朝日新聞千葉版)‥⇒印刷用PDF
夭折した洋画家・青木繁の代表作「海の幸」=写真、石橋美術館蔵=のモチーフは館山市にある安房神社の神輿か布良崎神社の神輿か。東京・ブリヂストン美術館で開催中の「没後100年青木繁展」(9月4日まで)が思わぬ論争を巻き起こした。27日に開かれる「海の幸」フォーラムで両説が披露される。
青木繁(1882〜1911)は東京美術学校(現在の東京芸大)を卒業した1904年の7月中旬、恋人の福田たね、同郷の画家・坂本繁二郎らと館山市布良に写生に訪れ、8月末まで滞在した。布良で描いた「海の幸」は、坂本の語った大漁陸揚げの光景が制作のきっかけだった。
構図などから「海の幸」には西洋画や広告図案との類似説があった。ブリヂストン美術館の貝塚健学芸員(51)は数年前から、サメを担いで歩く男たちは神輿を担ぐ姿に似ていると感じていた。青木繁展を機に、改めて調べてみた。
「海の幸」製作中の青木は、友人にあてた手紙で、布良から約1.5キロの安房神社に触れている。安房神社最大の行事、例祭(8月10日)を「青木が見に行かなかったと考えにくい」と貝塚さん。昔は、安房神社などの神輿が相浜に行く「お浜出」があった。夕日に向かって進む担ぎ手は、画面左手から光の当たる男たちの顔にも重なる。
貝塚さん昨年夏、安房神社の例祭を訪れた。「神輿を担ぐ男たちの姿は想像通りでした」。青木繁展の図録に安房神社説を書いた。
これに対し、布良崎神社神輿世話人の島田吉廣さん(61)は、「芸術新潮」7月号の青木繁特集で布良崎神社神輿説を唱えた。島田さんは、1997年7月の写真を見て、先頭のマイクを手にした自分の姿が「海の幸」のサメを担ぐ男に似ていると気付いた。「男たちの肩の位置や並びが神輿と一緒だよ」
さらに、青木繁展で「海の幸」の下絵を見て驚いた。おぼろげながら姉さんかぶりの着物姿がいる。「姉さんかぶりで長襦袢、おしろいをつけた男が担いだのは布良崎の神輿。昭和34、35年まで続いていた」
格式の高い官幣大社だった安房神社は、神輿の担ぎ手も白装束が決まり。青木が滞在した小谷家は布良崎神社の隣にある。島田さんは「布良崎神社に間違いない」。
「海の幸」フォーラムは27日午後2時、館山市の南総文化ホール小ホールで。前売り券500円。問い合わせは《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会(0470.・22・8271)へ。
(清水弟)