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保険推進員が研修会

身近な歴史や文化学ぶ

(房日2011.1.14付)

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館山市保健推進協議会はこのほど、市民の健康づくりに関する身近な相談相手となる保険推進員を対象に、地域再発見をテーマにした研修会を、同市コミュニティセンターで開いた。

「館山の自然・歴史・文化について知り、より地域に溶け込んだ活動につなげる」ことが狙い。

第9期推進員145人が参加。NPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子さんによる「まだまだある!おらがまち再発見」と題した講演に耳を傾けた。

「東京から遠い静かな土地と思っていたが、戦争の軍事拠点だったり、転地療養の地であったりと、歴史ある土地だったのですね」「まさに館山の再発見をした気分。知人に話したり、案内したりの楽しみが増えました」と推進員たち。

事務局の市健康課では「保険推進員の任期は3年で、来年4月からは第10期へとバトンタッチされる。今後も推進員が楽しく活動できるような内容で研修会を企画していきたい」と話している。

11年1月14日 6,730

館山市の館山地区公民館(河野宏明館長)で、2月7日午後1時半から「戦争を語る会」が開催される。一般の人が対象で参加者を募っている。参加費は100円(資料代)。

同館が、講師を招いて開くもので、昨年から始まり、今回で2回目。講師は2人おり、1人は松戸市在住の版画家、秋山巌氏で、もう1人はNPO安房文化遺産フォーラムの池田恵美子氏。

秋山氏は、棟方志功らに師事し、種田山頭火の詩などをテーマに作品をつくる。「館山の空を飛んだ落下傘兵から」をテーマに語る。

池田氏は、同フォーラムの活動で館山の戦争遺跡などを調査している。「館山の戦跡をみつめて」をテーマに、これまでの調査結果などをわかりやすく話す。

申し込みは、月水金曜日に館山地区公民館(0470-23-2482)へ。

11年1月23日 6,485

旧安房南高木造校舎

旧職員有志が専門家ら招き、13日に見学会とシンポ

(房日新聞2011.2.10付)

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11年2月10日 6,524

夕暮れに輝く裸の漁師たちの中で振り向く美女の顔。日本洋画史上の最高傑作といわれる青木繁「海の幸」は一九〇四年、千葉県館山市布良(めら)の網元宅で制作された。この家はほぼ当時のまま現存するが、存続の危機にある。没後百年の今年、抜本的な保存策を訴える声が高まっている。

(後略)

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(東京新聞2011.2.15付)

11年2月15日 6,528

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日本絵画史を代表する国の重要文化財「海の幸」などを描きながら、貧困の末に二十八歳で夭逝(ようせい)した画家青木繁の未公開スケッチや和歌、生活ぶりを伝えるメモなど六十点を、愛知県岡崎市の愛好家(62)が所蔵していたことが分かった。青木の作品の多くを所蔵する石橋美術館(福岡県久留米市)が確認した。今春開催する没後百年を回顧する特別展で一部が公開される。

約六十点の内訳は、下絵などが六割、和歌やメモなどが四割。いずれもB5判程度のスケッチブックの用紙に鉛筆などで記されていた。創作活動をしていた一九〇二〜一〇年と重なるが、「海の幸」を制作した〇四年に残したとみられるのが約三割で最も多いという。

「海の幸」誕生につながったとみられる漁師や魚を連想させるスケッチは約十点あり、制作の場となった千葉県館山市布良(めら)で主に描かれた。釣りざおや絵の具を買うための借用書のような書き込み、館山市のある房総半島の地図も確認された。

同じく重文で古事記を題材にした「わだつみのいろこの宮」(〇七年)につながった下絵も二点あった。栃木県芳賀町で描いたとみられるこの下絵の所在が確認されたのは、同美術館によると約四十年ぶりという。

このほか、東京美術学校に通った青木が習作に励んだことをうかがわせる上野動物園のツルを描いた作品も確認。時期は特定されていないが、「京」「大津」などを題材にした直筆の和歌五首もあった。青木は関西での活動の記録がなく、これらの和歌も存在を知られていなかった。青木の動きをたどる貴重な史料となりそうだ。

岡崎市の愛好家は東京の画廊関係者から約二十年前に購入して私蔵してきたが、今年が青木の没後百年にあたることから、同美術館の特別展への協力を申し出たという。

同美術館の森山秀子学芸課長は「青木の作品は油絵、スケッチを含め約四百点しか知られておらず、今回確認した六十点は青木の息づかいを感じさせる第一級の史料。裏表にさまざまなメモもあり、今後精査して作家活動を浮き彫りにしたい」と話している。

特別展は三月二十五日から五月十五日まで同美術館で開催。京都国立近代美術館(京都市=五月二十七日〜七月十日)、ブリヂストン美術館(東京都=七月十七日〜九月四日)でも開催される。


(東京新聞2011.2.16付)

11年2月16日 9,281

青木繁没後100年

(房日新聞展望台2011.2.23付)

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11年2月23日 4,219

青木繁没後100年回顧展

「海の幸」に豊かな解釈

(日本経済新聞2011.4.11夕刊文化)

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日本近代を代表する洋画家、青木繁の没後100年を機に39年ぶりの回顧展が開かれている。代表作「海の幸」をめぐる斬新な解釈が現れるなど「早世の転載画家」の新たな側面に光が当たる。

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国の重要文化財に指定されている青木の代表作「海の幸」。日焼けした漁師たちが大魚をぶら下げ、誇らしげに行進する。この絵がしばしば「祝祭的」と評される理由をブリヂストン美術館の貝塚健学芸員は「祝祭そのものを描いたから」と見る。

2列目の男たち、水平に近い角度で担ぐ銛—。「祭りの御輿みたいだ」と感じた貝塚学芸員は展覧会の調査を進める中で、安房郡の布良)現千葉県館山市(にある安房神社の例祭を知った。

漁業で栄えた村が最も活気づく例祭の中心的な行事が8月10日の「お浜出」。日暮れに鳳凰を頂いた輿を浜辺に持ち出すことから「夕日の祭典」と呼ばれた。「青木はお浜出を見たのではないか」と貝塚学芸員は直感する。

1904年7月4日に東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業した青木はその11日後、恋人の福田たね、親友の坂本繁二郎らを伴って写生旅行に出かけた。約1ヶ月半の布良滞在時に「海の幸」を描いたことはよく知られている。

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11年4月11日 8,074

大河ドラマ化願い

里見4代義豊を墓参、実行委メンバーらが命日に

(房日新聞2011年4月12日 房日新聞)

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11年4月12日 5,957

「天を仰いで〜没後100年・青木繁」

館山市布良の小谷家に関する記事は第二回目に紹介されています。

(西日本新聞2011.4.5~8付)

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11年4月12日 10,149

医師らが震災支援の会

宿泊と医療・介護サービスをセットで

要介護者らの受け入れ模索

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東日本大震災の被災者のうち避難所生活が困難な要介護者、在宅医療患者とその家族を積極的に受け入れようと、安房地域の医療・介護福祉関係者が「安房医療介護福祉連携・東日本大震災支援の会」(略称AWA311-MCW)というグループを立ち上げ、活動を始めた。

南房総市や鴨川市の旅館、ペンションなどに要介護者を受け入れ、必要な医療・介護のサービスはAWA311のメンバーらが協力して提供していこうという構想。

関係者によると、3月下旬に呼びかけたところ、4月5日までに115人が参加を表明。支援の輪が広がっている。

代表幹事には、亀田総合病院の小野沢滋・在宅医療部長が就任。松永医院(南房総市)の松永平太医師、花の谷クリニック(同)の伊藤真美医師らが感じなどに名を連ねている。

小野沢氏は12日現在、宮城県石巻市に入り、被災地の医療活動をサポートしながら患者の後方避難場所のあり方を模索中。現地から「現時点では南房総は唯一、宿泊と医療・介護がリンクしている事がはっきりしている受け入れ先。その意味では非常に貴重だ」とメンバーに報告している。

また、一部の看護師・介護職メンバーらが「全国訪問ボランティアナースの会・キャンナス」の応援依頼を受け、石巻市の避難所で活動している。現地では「日中のボランティアはある程度いるものの、被災者に夜間付き添うケアスタッフがいない。夜間に具合が悪くなり、救急車を呼ぶ事態が増えてきている」(医療関係者)という。

AWA311では今後想定される避難患者受け入れに際し、既に南房総市、鴨川市と協力関係を構築。「近く館山市とも連携して活動していきたい」(関係者)としている。

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11年4月15日 7,690

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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