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(房日新聞2010.1.20付)

館山で訓練した元落下傘兵の版画家

秋山巌氏の作品展始まる

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若き日に海軍の落下傘兵として館山海軍航空隊で訓練を受け、復員後に棟方志功の弟子となった版画家・秋山巌さん(88)=千葉県松戸市在住=の作品展が19日、館山市大網の大巌院(大網寺、石川龍雄住職)で始まった。種田山頭火の俳句を題材とした木版画、掛軸などの肉筆画に加え、小品や陶器など50点余りが並んだ。入場無料で25日まで。

秋山氏は大分県竹田市出身。第2次大戦後に版画の道に進み、1970年に山頭火の句をモチーフにした作品を初めて発表。フクロウや猫などの動物、風景や菩薩などを描く独自の木版画の世界を確立した。

これまでに3000点を超える作品を世に出し、一部は大英博物館(ロンドン)、ビクトリア国立美術館(オーストラリア・メルボルン)など海外の美術館に所蔵されている。

作品展の開催は昨年1月、娘の町田珠実さん=福島県相馬市在住=が館山を訪れ、館山海軍砲術学校跡などの戦争遺跡にふれたのがきっかけ。12月には秋山氏も65年ぶりに館山を訪問。命を落とした多くの戦友を慰霊するとともに、思い出の地である館山での作品展開催を決めた。

珠実さんは「会場は和室で、父の作品によく合う素晴らしい空間。墨がかもし出す木版画の世界を楽しんでもらいたい。今回は、デパートなどで行う展覧会よりも多数の作品を持ち込んでいる。この個展を通じ、館山との縁を広げていきたい」と話している。

作品展は、連日午前10時から午後4時まで。

23日には県南総文化ホール小ホールで、秋山氏のトークショーが開催される。午後7時開演で、入場料500円。チケットは同ホールのほか宮沢書店、ブックス松田屋などで取り扱っている。


※秋山巌展&トークショーの詳細はコチラ

10年1月20日 4,258

NPO法人青木繁「海の幸」会が設立総会 美術界の著名人ら

小谷家住宅の復元・保存へ

募金目標は2年で2200万円

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明治期の洋画家・青木繁が代表作「海の幸」を制作した小谷家住宅=館山市布良=の復元、保存を目指すNPO法人・青木繁『海の幸』会の設立総会、第1回理事会が27日午後、東京・上野の東京文化会館で行われた。東京都や神奈川県在住の画家、美術評論家ら約40人が出席。2年間で2200万円の寄金を確保するなど、当面の活動目標を決めた。

同会は、日本美術界に大きな影響力を持つ著名人が多数参加。理事長に大村智氏(女子美術大学理事長)、副理事長に酒井忠康氏(世田谷美術館館長)、村田慶之輔氏(川崎市岡本太郎美術館館長)など、そうそうたるメンバーが役員に名を連ねている。吉岡友次郎事務局長は「目標額の寄金獲得は必ず達成する」としており、小谷家住宅の保存運動は今後大きく前進する見通しが出てきた。

設立総会では、1月12日に同会のNPO法人登記が完了したことを吉岡事務局長が報告。①小谷家修復・保存工事に3000万円、小谷さんが住む新たな住宅工事に1600万円の費用がかかること②地元・館山で保存運動を進める「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」と連携して活動し、今後は小谷家と3者で覚書を交わす方針であること——などを説明した。

また、2011年が青木繁の没後100年にあたることから▽全国・美術メディアを通じての青木繁の注目度アップ▽主要な美術館での青木繁の企画展開催——などの可能性を探ることで一致した。

館山からは小谷家当主の小谷栄さん、「保存する会」の島田博信会長、天野努副会長らが来賓として出席。

島田会長は「私たち地元保存会も大変勇気づけられる。今後は連携を密にし、故青木繁画伯の功績を末代まで伝え、併せて地域発展のためにも寄与する努力をしていく」とあいさつした。

また、金丸謙一・館山市長のメッセージも読み上げられた。

大村理事長は本紙の取材に対し「館山の方々が青木繁との縁を誇りに思われて、いかに活用していくか。地元の人がその気になってこそ、この運動の意味がある。経済も大事だが、次世代の子どもらのために文化を育てないと。そういう気持ちで応援していく」と語った。

『海の幸』会は、学生らとともに館山・布良にスケッチ旅行を続けていた吉武研司・女子美術大教授、青木繁と同郷の福岡県久留米市出身の画家・吉岡事務局長の2人が結成に尽力。地元・館山に「保存する会」が設立されたことを受け、日本の洋画壇の各方面に修復・保存運動推進を働きかけた。

【写真説明】設立総会で地元・館山の保存運動を説明する天野努氏=東京文化会館

10年3月3日 3,530

(房日新聞2010.6.18付)

館山市長選立候補予定の2氏に聞く

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10年6月18日 10,580

館山で医療シンポ、旧沢内村の加藤医師講演

「健康教育で生きがい社会を」

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地域医療をめぐる問題を含め、今後のまちづくりのあり方を考えるシンポジウム「癒しの海辺のまちづくり」(安房の地域医療を考える市民の会主催、安房医師会共催)が28日夜、館山市の南総文化ホールで開かれた。

岩手県の旧・沢内村(現・西和賀町)で故・深沢晟雄村長とともに「生命尊重行政」を進めた加藤邦夫医師(79)が約200人の聴衆を前に基調講演。「高齢者が生涯現役で働ける、生きがいのある社会」実現のため、「住民自身が医療・健康についての知識を高め、医師は住民への健康教育を重視することが大切だ」と語った。

加藤氏は昭和35年、「豪雪・貧困・多病多死」に悩む沢内村に赴任。その翌々日に「吐血した人がいる」との連絡で往診に出たが、現場には除雪されていない道を2時間歩いて行かねばならず、到着すると既に患者は死亡。山間地域の厳しい現実を目の当たりにした。

「当時医療費は50%患者負担。病人はごろごろいたのに、経済的な理由で医者に行かない人が多くいた」。こんな事情を背景に、沢内村は乳児と60歳以上の医療費全額負担を決断。加えて健康増進・疾病予防対策を重視した「包括医療」を推進し、昭和37年には全国初の乳児死亡率ゼロを達成した。

加藤氏は講演で、全額公費負担で一時的に医療費が増大して国民健康保険料が上がったものの、村民の疾病率が減少したことで、後に保険料は下がったと指摘。また、高血圧の受診体制を充実させることで、脳卒中の患者が減少したことを紹介し、「予防に力を入れれば医療費は減っていく」と強調した。

深沢村長の功績については「口だけで理想を語るのではなく、実際に財政措置をした。村の自主財源はわずか10%ほどだったが、村長はその大半を医療・健康対策に投入した」と語った。

シンポでは「癒しのまちづくりの夢を語ろう」と題したパネル討論も実施。松永平太・松永医院院長、愛沢伸雄・安房の地域医療を考える市民の会呼びかけ人代表、高野良裕・前館山病院院長、福留強・聖徳大学教授の4氏が、それぞれ看護師不足問題や高齢化する社会への対応策などについて発言した。

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=パネル討論の内容は、発言要旨を後日掲載する予定です=

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(房日新聞2010.4.30付)

10年4月30日 7,896

館山の空を飛んだ落下傘兵から山頭火を描く画家へ…

秋山巌さん(松戸市在住)

聞き手=池田恵美子

死の恐怖と生の喜び

館山の訓練で教わる


昭和16年、海軍で落下傘部隊に選抜されて館山で訓練を受けた。高度300mで航空機から飛び出し、パラシュートを広げて館空に着地する。飛び出した瞬間は目の前が真っ暗になる。尻込みしても、容赦なく空中にたたき落とされる。

落下傘が開かないで、地上に激突し死んだ者もいた。風が強いと空中で流され海に落ちる。すぐ救助隊が出るが、これも間に合わないで死んでいく。次は自分の番かもしれない。だが訓練を拒否することはできない。一度飛ぶと10円もらえた。今の10万円ぐらいの価値があった。だが金を残す気はなかったですね。

台湾の基地を経由して、開戦後の17年初めにティモール島のクパン(現インドネシア)に上陸。最初の2日間の戦闘で、部隊500人のうち30数名が負傷した。その後はミレ島(マーシャル諸島)の警備などをして、同年暮れにいったん日本に戻った。自転車より遅いのではという貨物船に乗った。米軍の潜水艦攻撃が怖くて、夜は板きれと水筒を持って甲板で寝た。

18年に館山砲術学校で各種兵器の取り扱い訓練を受け、部隊を再編成。サイパンへ向かう前に、アッツ島へ応援だと言われた。2万人の米兵の中に突っ込めという作戦だった。これは中止になったが、アッツ島の日本兵は見殺しになった。

サイパンでは、ガダルカナルに向かい敵を襲撃する200名の部隊に選抜された。「たった200人で何ができる」と疑問に思ったが、反抗できるわけもない。泣く泣くサイパンを発ったが、数ヶ月後にはサイパンに米軍が上陸した。私は結局ラバウルにいて他の部隊の応援などをし、そこで終戦を迎えた。運がよかったとしかいいようがない。

終戦時は対空砲の担当。それまで毎日グラマン(戦闘機)などが来襲していたのに、8月14日は来なかった。おかしいなと思っていたら、15日に敵機が低空飛行して「日本は降伏した」とビラをまいた。暗号兵の友人からそれらしき話も聞いていたし驚きはなかった。ホッとして、やれやれという気持ちだった。

私は大分県竹田生まれの百姓の子。近くの寺の和尚が墨絵を描いていて、8歳のころから手ほどきを受けていた。

戦後、坂本繁二郎さんがやっていた太平洋美術学校に入り、毎日デッサンをしていた。坂本さんは寡黙な先生で「この線はいかん」とか注意はするが叱りはしない。ほどなく先生は郷里の福岡に帰られてしまい、新しく来た先生が気に入らなくて学校は辞めた。

棟方志功との出会いは、日本橋に絵の具を買いに行き、白木屋(デパート)で展覧会を見たこと。躍動感と墨の色にひかれ、次の日も見に行った。それで門下生となり、版画の世界に入った。

彼の有名な言葉だが、棟方さんには「お前の絵には化け物がない。化け物を出せ」と何度も言われた。後日、大原美術館でその言葉の由来を聞いた。昭和初期、柳宗悦が初めて棟方の版画を見た時、京都の河井寛次郎に「化け物を見た。すぐ来い」と電報を打ったのだという。

柳宗悦さんが棟方に「井戸は2本掘らなければダメだ」と話したという。絵一本でなく、想像力をつけるために文学や詩を読めと。私は遠野物語を絵にしようと東北に通ったり、一茶や西東三鬼の俳句に興味を持ち、そんな中で種田山頭火に出会った。

「生死(しょうじ)の中の雪降りしきる」という山頭火の句を彫っていた時、仲のよかった和尚の薦めで永平寺本山が募集したポスター原画に応募。これが特選に選ばれた。それまでは、なかなか芽が出なかったのだが。

その後、知らない間に私の作品が、大英博物館に所蔵・展示されていると聞かされた。フクロウをモチーフにした作品を米国の美術館に出したら、評判になったり。忘れたころにボストンの大きな画廊から突然の注文の依頼がきて、縁の下から版木を引っ張り出したこともある。

戦争の善し悪しは論じないが、私は館山で6か月間訓練を受け、そこで死の恐怖と生の喜び、人に対する思いやりを徹底的に教わった。縁がある館山で今後、私が文化面で出来ることがあれば手助けしたい。

(本稿は1月23日に南総文化ホールで行われたトークショーの内容を要約・再編成したものです)

(房日新聞2010.1.26付)

10年1月26日 5,923

県高校教職員組合安房支部の教育研究集会が、きょう29日午後6時から館山市の安房教育会館で開催される。地域の人の参加を呼びかけている。参加無料。

講師は、NPO安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄さん。テーマは、「足もとの地域から世界を見る」。授業づくりから見えてくる地域づくりについて講話する。

(房日新聞2010.1.29付)

10年1月29日 4,372

日中韓 歴史体験キャンプ

学生ら戦跡巡りや討論 南房総・館山

(千葉日報2010.8.11付)


日中韓の高校生や大学生らが戦跡巡りや討論を通じて相互理解を深める「第9回青少年歴史体験キャンプ」(NPO安房文化遺産フォーラムなど主催)が4日から9日まで南房総市や館山市で行われた。

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10年8月11日 6,571

(房日新聞2010.3.5付)

守ろう地域医療Ⅱ

看護④進路ガイダンス「看護師の魅力、高校生に」

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「小学生の時に手術をした。手術室でずっと手を握ってくれた看護婦さん。震えるほど不安だったが、とても安心させられた。あの時の看護婦さんのようになりたい」--。今春、看護師を目指して順天堂大に進学する安房高3年の中村愛美さん(18)=館山市船形=は、瞳を輝かせて志望動機を語る。

同3年の鈴木晴奈さん(18)=同市館山=も、やはり自身の入院経験で看護職のすばらしさを知り、北里大看護学部に進むことを決めた。深刻な看護師不足の中、看護の仕事に希望を抱き、その道を選ぶ若者も少なくない。

こうした生徒を少しでも増やそうと、安房保健所は昨年、高校生を対象にした「看護職の進路ガイダンス」をスタートした。看護師の仕事、なり方、職業としての魅力を伝える取り組みで、生徒により身近に感じてもらおうと、各高校を卒業した“先輩ナース”を講師に招くなど工夫も凝らした。

「看護師を増やすには、看護師を目指す若者を増やすか、離職した看護師を発掘するかのどちらか。発掘するのは難しいのが現状。うまくいっているという話は聞いたことがない。だから、まずは若い看護師のなり手を増やそうと安房独自の事業としてはじめた」と、久保秀一所長は狙いを語る。

安房高の2人も昨年受講。「先輩看護師の話はとても参考になった」(鈴木さん)、「大変な仕事というイメージがあったが、楽しいこと、幸せなことも多いと教えてくれた。『(看護師に)なりたい』という気持ちがより強くなった」(中村さん)と、看護師への思いがより強まったと振り返る。

同校のほか長狭、安房拓心、安房西(安房西は個別相談のみ)の4校で実施し、計82人が受講した。会場では、生徒たちが看護師の仕事について盛んに質問。講師に受験のアドバイスを求める姿も多くみられた。

ガイダンスを担当した同保健所地域保健福祉課の青木啓子課長は「予想以上に看護志望の生徒がいることに驚いた。子どもたちも非常に熱心で、やりがいを感じた」と手ごたえを実感。「来年度以降も継続して開催したい」と意欲をのぞかせる。

しかし、看護師を目指す若者が増えても、すべてが安房地域でナースとして働くわけではない。安房高の2人は、資格面を含めて将来の選択肢が広い看護大学への進路を選んだ。

「いずれ安房地域で働く気持ちがあるか」とたずねると、「いまはレベルの高いところで、いけるところまで頑張りたい」(鈴木さん)、「まずは看護師となって、技術、経験をしっかりと積みたい」(中村さん)との答えが返ってきた。

高学歴、キャリア志向だけではない。若者の都会志向もある。賃金など待遇面での差もある。この地域で若者に働いてもらうためには、さまざまな壁がある。

久保所長は「看護職を希望する高校生への調査では、安房に残りたいという生徒は意外と少なくなく、迷っているという生徒が特に多い。そして、安房で働く条件として奨学金制度が必要という生徒が目立った。学校、各病院の奨学金制度など、安房で働くメリットをしっかり説明していきたい」と強調した。

10年3月5日 4,579

安房地域の医療のあり方について、関係機関のトップが話し合う「安房地域保健医療協議会」が18日、安房合同庁舎を会場にあった。看護師不足が進む中、亀田クリニック院長が看護大学の設立構想、安房保健所長が看護師確保対策などについて語った。

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10年3月20日 5,062

【寄稿】高橋銑十郎(館山白百合幼稚園長)

映画「いのちの山河」を観て

対話と実行 遅れていないか〜恵まれすぎた自然をどう生かすか

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10年3月13日 4,869

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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