千葉タウンウォッチング
--平和・交流・共生の文化
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*JR館山駅
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*館山城跡(城山公園)
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*大厳院「四面石塔」
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*県立安房博物館
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*JR館山駅
日本地図を逆さまに見てみると、房総半島は列島のほぼ中央で太平洋に突き出た頂点にあたることがわかる。ここ安房国は、古くから黒潮にのって様々な海洋民が漂着し、あるいは軍事戦略上の重要な拠点とされてきた。また、元禄大地震や関東大震災でも壊滅的な打撃を受けながら、その都度コミュニティの知恵を結集して、戦乱や災害を乗り越えてきた地でもある。
温暖なばかりではない地域条件のもと、海とともに生きた先人たちが培ったのは「平和・交流・共生」の文化であった。今回はその痕跡をたどり、知られざる安房国をたずねてみよう。
館山という地名は、海から見たランドマークにあたる「館のような山」に由来する。ここは戦国武将里見氏が最後に築いた館山城であり、この城を中心に館山の湊と城下町づくりがすすめられた。
里見氏が伯耆国(鳥取県)に改易されてからちょうど200年後、曲亭馬琴が長編小説『南総里見八犬伝』を書き始め、江戸のベストセラーになった。城山公園の天守閣は全国唯一の八犬伝博物館(館山市立博物館分館)で、『八犬伝』にちなんだ資料が展示されており、見応え十分。
里見氏ゆかりの大巌院にある「四面石塔」は、朝鮮ハングルなど4種の字形で「南無阿弥陀仏」と刻まれた国際色豊かな文化財である。秀吉の朝鮮侵略や家康の朝鮮通信使修交などの時代背景から、平和祈念の石塔と推察され、400年のときを超えた現在、アジア諸国からも注目されている。
近年、この地がアジア太平洋戦争の東京湾要塞として重要な役割を担い、また終戦直後には米占領軍の上陸があって「4日間」の直接軍政が敷かれたことも明らかになってきた。現在、平和学習拠点として一般公開されている「館山海軍航空隊赤山地下壕」は、平和宣言都市館山のシンボルといえよう。
明治期、安房のアワビ漁師たちはカリフォルニア州モントレーに移住し、器械式潜水のアワビ漁と缶詰工場を興した。千倉町出身で日本人初のハリウッド俳優となった早川雪洲は、潜水夫だった兄の関係で渡米している。日米親善の架け橋にも貢献していた彼らは、開戦と同時に砂漠の日系人強制収容所に移され、数奇の運命をたどった。
千葉県立安房博物館に展示されている、器械式潜水具や日米の国旗が染められた万祝(漁師の晴着)は、平和の語り部として大きな役割を果たしている。
築港の前にある、大正初期建造の洋館「小高熹郎記念館〜たてやま海辺のまちかど博物館」は、地域コミュニティの交流拠点として今秋開館した。地域の歴史・文化をまなび、今に活かそうという安房大好き人間たちが集う場である。
南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム
館山市
南房総の歴史文化を守り地域の活性化に貢献
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「南房総には、大変重要であるにもかかわらず、これまであまり知られていなかった歴史文化の痕跡が多数残っています。これらを学ぶことは、私たちに郷土への誇りと愛着を与えてくれるのです」と語るのはNPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム理事長の愛沢伸雄(あいざわのぶお)さん。
赤山地下壕をはじめとする戦争遺跡、『南総里見八犬伝』で知られる里見氏ゆかりの城跡や文化財、海洋交流の痕跡などの地域資源を調査研究し、年間200団体のガイド活動やシンポジウムの開催などで南房総の魅力を伝えています。
昔から、海路による外国との交流が行われ、また、東京湾の入口に位置することから首都防衛上の要衝であった南房総。地域の人々が主役となり、足元の歴史を見つめ直す活動を通してコミュニティーが再生され、また、地域資源を保存・活用することで多くの人が訪れる活気ある南房総を目指して活動しています。
◎戦後生まれが語り継ぐ
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もう13年も前になるだろうか。当時、高校教諭だった愛沢伸雄さんと知り合い、南房総いったいの戦跡の案内を受けた。「震洋特攻基地」の穴、草むした「特攻桜花」のカタパルト発射台、掩体壕やあ香山地下壕などでも、息を呑んだ。一日案内してもらい、房州の戦跡の多さに驚いたものだ。突然の訪問に近所の人からも不審がられもした。
愛沢さんはその後もずっと、戦跡調査を続け、埋もれていた〝負の遺産〟を世に知らしめた。最初はたった一人の地道な活動だった。私財を投げ打ち、個の時間を費やしてまで、没頭した。世界史が専門で、子どもたちに平和教育をするには、こうした調査が必要だった。学徒出陣50年、戦後50年などの節目を経て、愛沢さんの調査は拍車がかかる。やがて池田恵美子さんという賛同者も現れ、一昨年にはNPOも立ち上がる。現在、赤山地下壕は平和教育の拠点として、大勢の人を受け入れていて、館山市指定文化財にもなった。平和のために、ひたすら歩んだ愛沢さんの動きは、けっして蟷螂(とうろう)の斧ではなかったのである。
点滴穿石。当初は行政サイドにも煙たがられたが、やがてNPOの存在が地元にとって必要不可欠となる。戦跡ガイドも30人になった。この地域の活性化を考えるとき、このNPOのパワーはけっして小さくない。
池田さんはもちろん、愛沢さんも戦後生まれである。戦争を知らぬ世代が、戦跡を調査し、その保存を訴える。失礼ながら違和感はないかと、問うてみた。2人は一笑に付した。愛沢さんは言う。「確かに最初はコンクリートの施設跡や残骸の調査だった。当時のことを知る世代の方が詳しいに決まっている。だがわれわれは、地元の人がこの戦跡とどう関わったかを織り交ぜながら語り継いでいる。体験の有無の問題ではない」。体験者でなければ語れないのなら、この世には伝えられないことが山ほどある。すでに戦後生まれが日本人の4分の3を占めている現在、戦後生まれが動かなければ、平和への道は開けまい。
愛沢さんと池田さんは口をそろえる。「地元の人がどう戦争に関わり、どう平和に導いたか。地元文化を含めてそれを伝えていきたい」。NPOの名は「南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」という。名称からして遠い将来を見据えている。愛沢さんはNPOの後継者として、自身の長女(25)を1年かけて説き伏せた。
きょう8月15日は終戦の日で、平和への思いを刻む日。戦跡調査は孤軍奮闘から、千軍万馬の輪となった。房州の未来はけっして暗くない。
●地域で元気〜NPO・住民グループ
南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(千葉・館山市)
「平和・交流・共生」の地域づくりに歴史・文化を活かす 愛沢伸雄
◎館山銀座商店街振興組合
..周辺の歴史・文化知る
...会員が街中発見ウォーク
館山市の銀座商店街振興組合(加藤喜久夫理事長)会員らがこのほど。街中発見ウォークを実施。同商店街を中心に残る古い建物などを巡り、改めて歴史と文化の深さを認識した。
来春のちばDCキャンペーンに向け、NPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムが、商店街への誘客を狙いにマップづくりなどの活動を進めているのを受け、地域の歴史を見直そうと行なった。
この日は、加藤理事長ら14人が参加。午前7時からおよそ1時間半歩き、元禄地震の際、住民がよじ登って津波の難を逃れたという館山市立図書館近くの巨木「サイカチの木」、旧北条町に暮らした偉人の建物、皇族が宿泊した際贈られたという菊の紋章のついた南寿庵の灯篭などを巡り、同フォーラムの愛沢伸雄理事長から説明を聞いた。
加藤理事長は、「地元の会員でも知らない古い建物などが多かった。今後、フォーラムに協力して、商店街への誘客を進めていきたい」と話していた。
*房日新聞2006.9.3付