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(しんぶん赤旗2011.11.19付)

心結ぶ 生きる力

うたごえ祭典が開幕


「つながる・広がる・共感、明日への希望」をテーマに、2011年日本のうたごえ祭典inちばが18日開幕し、市川市と浦安市の3ヶ所で合唱発表会が行なわれました。地震や津波、原発の被害に心を痛め、生きることや人と人とがつながりあうことをテーマに歌う合唱団も多く、客席では涙をぬぐう姿も見られました。

〝心を結んで歌うことが、明日を生きる力になる〟という静岡の浜松センター合唱団は、被災者の悲しみに心を寄せ、ともに助け合いたいと合唱曲「愛〜悲しみを乗り越えて」を創作。会場から共感の拍手が送られました。

市川市文化会館で開かれたコンサートで「風よあしたに向かって」では、ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉やバラライカの演奏に、参加者は熱心に聞き入りました。

地元千葉の200人が、戦時中の花栽培禁止令に抗して花の種を守りぬいた農民の物語「花とふるさと」を歌い、日本のうたごえ合唱団が、核と戦争の愚かさ、困難を越えて歩み続ける人間への信頼を描いた作品を熱唱しました。

祭典は20日まで開かれます。写真は「花とふるさと」を合唱する千葉のうたごえ。

11年11月19日 8,356

(毎日新聞2011.11.19付)

文化審答申:里見氏の稲村城跡と岡本城跡

保護運動実り国史跡に

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15世紀中ごろから約170年にわたり安房地方を支配した里見氏の居城だった稲村城跡(館山市稲)と岡本城跡(南房総市富浦町)について18日開かれた文化審議会が国の「史跡」への指定を求める答申を出した。県内にある中世の城跡では本佐倉城跡(酒々井町、佐倉市)に次ぐもの。特に稲村城跡は館山市が道路建設に利用する計画を立てた90年代、保護運動が起こり、ルートが変更されたいきさつがある。県や市の史跡に指定されておらず、いきなりの「飛び級」指定で、運動にかかわった関係者の喜びもひとしおだ。【中島章隆】

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◇県未指定「飛び級」で

稲村城跡は里見氏の16世紀前半の居城と見られ、JR内房線九重駅の西方、標高64メートルの小高い丘に本丸にあたる主郭(しゅかく)跡がある。内房と外房、さらに南の白浜方面を結ぶほぼ中間点の交通の要衝。最初に築城した白浜から内陸に向け、次々と居城を移している里見氏のうち第三代義通の居城とされている。丘陵の北と西の斜面を削り落として障壁にするなど、敵から城を守るさまざまな工夫が見つかっている。

一方、岡本城跡は16世紀後半の本拠とされ、JR富浦駅の北、眼下に豊岡海岸を見下ろす標高約60メートルの高台にあり、現在は「里見公園」として親しまれている。里見義頼、義康親子の居城とされ、水軍を操った里見氏らしく海を見渡す城郭に特徴がある。74年に市(当時は富浦町)の史跡に指定された。

里見氏ゆかりの人たちで組織する房総里見会の里見香華会長の話 闇のトンネルから抜け出たようで、こんなうれしいことはない。房総の里見氏の歴史にはまだ多くの不明な点が残されている。国指定を機に、多くのことが明らかになるのを期待します。

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◇道路計画に一石投じた高校教諭、署名集め地道に整備

始まりは高校教諭がローカル紙に寄せた投書だった。「郷土に誇れる文化財の保護を」(96年3月29日付「房日新聞」)。投稿したのは県立安房南高で世界史を教えていた愛沢伸雄さん(60)だ。

稲村城跡の一部が大規模工業団地の造成に伴う市道建設予定地に組み込まれることを知ったのがきっかけ。投書は「道路建設が、里見氏の歴史を観光の主眼にしている館山市当局の手でおこなわれるとしたら、残念なこと」とし、計画の見直しを「切に希望しております」と結ぶ。

その後、愛沢さんは同僚の教諭らと「稲村城跡を保存する会」を設立し、署名活動を始めた。市議会に史跡化を求める請願書を提出し、最終的に1万人近くから署名を集めた。

城跡にも何度も足を運んだ。共有地となっている遺跡周辺の丘に分け入り、草刈りや案内板の設置、周辺地域のガイドマップ作りなどを実行し、遺跡一帯が「ただの丘」ではないことを市民に訴えた。小田原城など県外の史跡を訪ね、意見交換なども精力的に行った。

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7年前、高校を辞め文化・遺産保護のNPO法人を設立し、代表を務める愛沢さんは「地域の歴史と文化に誇りを持とうと地道に始めた運動だったが、最近では高名な歴史学の先生も稲村城跡まで足を運んでくれるようになり、多くの人が運動を支えてくれた。今後は他の里見の居城も含めた広域的な史跡の指定を目指したい」と話している。

11年11月19日 8,780

(産経新聞2011.11.19付)

里見氏の城跡、国史跡指定へ、稲村城跡と岡本城跡

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11年11月19日 9,028

里見氏城跡「稲村」と「岡本」を国史跡指定へ

文化審が文科相に答申

中世山城の変遷知る貴重な遺産

(房日新聞2011.11.19付)

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11年11月19日 9,157

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日本絵画史を代表する国の重要文化財「海の幸」などを描きながら、貧困の末に二十八歳で夭逝(ようせい)した画家青木繁の未公開スケッチや和歌、生活ぶりを伝えるメモなど六十点を、愛知県岡崎市の愛好家(62)が所蔵していたことが分かった。青木の作品の多くを所蔵する石橋美術館(福岡県久留米市)が確認した。今春開催する没後百年を回顧する特別展で一部が公開される。

約六十点の内訳は、下絵などが六割、和歌やメモなどが四割。いずれもB5判程度のスケッチブックの用紙に鉛筆などで記されていた。創作活動をしていた一九〇二〜一〇年と重なるが、「海の幸」を制作した〇四年に残したとみられるのが約三割で最も多いという。

「海の幸」誕生につながったとみられる漁師や魚を連想させるスケッチは約十点あり、制作の場となった千葉県館山市布良(めら)で主に描かれた。釣りざおや絵の具を買うための借用書のような書き込み、館山市のある房総半島の地図も確認された。

同じく重文で古事記を題材にした「わだつみのいろこの宮」(〇七年)につながった下絵も二点あった。栃木県芳賀町で描いたとみられるこの下絵の所在が確認されたのは、同美術館によると約四十年ぶりという。

このほか、東京美術学校に通った青木が習作に励んだことをうかがわせる上野動物園のツルを描いた作品も確認。時期は特定されていないが、「京」「大津」などを題材にした直筆の和歌五首もあった。青木は関西での活動の記録がなく、これらの和歌も存在を知られていなかった。青木の動きをたどる貴重な史料となりそうだ。

岡崎市の愛好家は東京の画廊関係者から約二十年前に購入して私蔵してきたが、今年が青木の没後百年にあたることから、同美術館の特別展への協力を申し出たという。

同美術館の森山秀子学芸課長は「青木の作品は油絵、スケッチを含め約四百点しか知られておらず、今回確認した六十点は青木の息づかいを感じさせる第一級の史料。裏表にさまざまなメモもあり、今後精査して作家活動を浮き彫りにしたい」と話している。

特別展は三月二十五日から五月十五日まで同美術館で開催。京都国立近代美術館(京都市=五月二十七日〜七月十日)、ブリヂストン美術館(東京都=七月十七日〜九月四日)でも開催される。


(東京新聞2011.2.16付)

11年2月16日 9,303

(千葉日報2011.11.19)

里見氏城跡を国史跡指定

館山稲村、南房総岡本、県内27件に

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国の文化審議会(西原鈴子会長)は18日、館山市稲の稲村城跡と、南房総市富浦町の岡本城跡をセットで「里見氏城跡」として国史跡に指定するよう中川正春文部科学大臣に答申した。いずれも房総里見氏が戦国時代に築いた居城跡で、当時の地形を良好に残し、房総半島における中世山城の変遷や、当時の地域社会、政治情勢を知る上で重要と評価された。城跡は現在、ほとんどが山林で個人所有。今後、地元市が公有化を進め、保存・活用方法、整備方針などを検討する。県内の国指定史跡は27件となる。

房総里見氏は戦国時代から江戸時代初頭にかけて10代、約170年にわたって房総半島南部を拠点とした戦国大名。初代の里見義実(よしざね)が15世紀後半に白浜城(現在の南房総市)を構えて以降、南房地域で数回にわたって本城を移している。

稲村城は現在の館山市内陸部の丘陵に築城され、3代義通(よしみち)が16世紀前半に居城とした。県教委文化財課によると、城跡は東西、南北ともに約500メートルにおよび、面積約1万8千平方メートル。中心部「主郭」の東、南側には高さ約3メートルの土塁跡が計約100メートル残る。敵からの侵攻を防ぐため丘陵斜面を削った切岸(きりぎし)、尾根を切断した切通しの跡もある。

岡本城は、現在の南房総市の東京湾を望む丘陵に16世紀後半、8代義頼(よしより)が築いた。指定史跡は東西600メートル、南北300メートルで、面積は約7万6千平方メートル「主郭」周辺には2段にわたって計約700メートルの切岸跡が見つかっている。主郭北西側の「三の郭」は、汐入川を通じて海につながり、船が発着する港の機能を備えていたとされる。

同課は「稲村城、岡本城ともに、当時の房総地域では突出して大きな規模で里見氏の勢力の大きさを示している」としている。



地元観光資源と期待

史跡の本格整備目指す

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戦国武将の里見氏の居城だった稲村城(館山市稲)と岡本城(南房総市富浦町豊岡)=市指定史跡=の城跡が一躍、国の史跡指定を受けることになった。国指定にふさわしい史跡整備に向けた取り組みが始まる。

山城の稲村城は国府が置かれた府中を見下ろし、麓に交通路(現国道128号)が東西に延びる。白浜城から北へ勢力を伸ばした里見氏の、安房支配の戦略がうかがえる。4代義豊の1534(天文3)年、天文の内乱で傍流の義堯が勝利し居城が移った。前期里見氏から後期里見氏へ、転換点の舞台が稲村城だ。

国指定に、15年間にわたり保存運動を続けるNPO安房文化遺産フォーラム代表の愛沢伸雄さん(60)は「里見の歴史を見直し、地域の歴史文化を地域みんなで大切にするきっかけになれば」と期待を寄せる。

稲村城跡は1983年の県教委の調査で成果が少なかったことや、土地所有者が複雑で史跡指定を果たせなかったという。一方で91年、後背地に県の工業団地計画が浮上。市は稲村城跡を通る進入路を計画した。愛沢さんらは96年に保存会を結成し、保護を訴えて最終的に1万超の署名を集め、市議会で請願が採択。市道路計画は変更となり、市も史跡保護にかじを切った。

国指定となったが、土地買収の同意はまだ65%。年に数回下草が刈られるだけで本格整備は当分先の話だが、愛沢さんは「長い取り組みを続けたい。市も文化遺産を生かすまちづくりをしてほしい」と単体でなく、安房・上総地域に20ヵ所以上点在する“里見城址群”の史跡化を目指す。

岡本城跡は富浦湾に面し、里見水軍の拠点だった。戦国末期、8代義頼が、上総を基盤とした弟の梅王丸の内乱を治めるなど、ここでも里見の歴史で重要局面を迎えた。

里見の城跡と知られ、74年に富浦町指定(現南房総市指定)となり、頂上部に碑が建つ「里見公園」として親しまれる。国指定に石井裕市長は「地域の重要な文化財として保存管理し、観光資源として地域振興を図りながら、後世に継承したい」と歓迎した。山のほとんどがビワ園。今後整備計画を立てていく。

11年11月19日 9,482

「天を仰いで〜没後100年・青木繁」

館山市布良の小谷家に関する記事は第二回目に紹介されています。

(西日本新聞2011.4.5~8付)

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11年4月12日 10,174

青木繁の故郷・久留米の関東同窓会

「海の幸」誕生の地訪問(千葉県館山市)

(西日本新聞2011.10.13付)

久留米市内にある南筑、久留米商業、明善、久留米、三潴、久留米大付設各高校と久留米高専のOBで構成する関東圏の同窓会「東京高牟礼会」(馬場和人代表幹事)の有志24人は11日、久留米市出身の画家青木繁(1882〜1911)が国の重要文化財」海の幸」を制作した千葉県館山市を訪問した。

一行は「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」の池田恵美子さんから、青木の没後50年を記念して建立された「海の幸」の記念碑や、青木が描いた布良(めら)の海岸(阿由戸の浜)などの説明を受けた。

青木繁が「海の幸」制作時に約一年半滞在した小谷家住宅では、当主の小谷福哲氏や先代当主の栄氏から、滞在時の出来事などを聞いた。

参加者は「青木がこの海を見ながら名作を描いたと思うと感慨深い。館山市の皆さんから今も愛されている。訪れてよかった」と話していた。

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11年10月13日 10,339

市部瀬の惨劇風化させず〜鋸南現地で祈念碑の除幕式

(房日新聞2011.5.20付)

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11年5月20日 10,894

赤山地下壕跡、10月から見学が有料に

人件費など経費まかなう

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館山市は、同市宮城にある戦争遺跡「館山海軍航空隊赤山地下壕跡(「通称、赤山地下壕」の見学を10月1日から憂慮化する。入場料は一般200円、小・中・高 高校生100円。市内の小中学校などが授業で使用する場合など、減免措置もとられる。

同市では、有料化により年間約260万円の収入を見込んでおる、専属の受け付け事務員の人件費や券売機のリース代、見学者が利用するヘルメットの使い捨てインナーキャップなどの経費をまかなう考え。

これに合わせ、受けつけ窓口となる豊津ホールの玄関を、土足でも上がれるように改修。壕内の見学コースには、停電など非常時の誘導灯も設置することにしている。

赤山地下壕跡は、全長約1.6キロと全国的に見みても大規模な防空壕。昭和19年以降に着工し、未完成のまま終戦を迎えたとみられている。壕内には発電所の跡などが残り、終戦間際に館山海軍航空隊の事務に携わったという体験談や、病院施設があったという証言もある。

同市を代表する戦争遺跡として史跡指定しており、約250メートルの見学コースを整備して、平成16年4月から一般公開。年間1万5000人が足を運び、市外からの学習旅行や観光ツアーなどの見学ポイントの一つにもなっている。

市では昨年度、乗用車用18台分と大型バス2台分の専用駐車場を整備。約120メートルのアプローチ道も整え「雨天時には、ぬかるんで足元が悪い」などと不評だった未舗装部分を解消するなどしている。

(房日新聞2011.6.24付)

11年6月24日 12,418

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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