市部瀬の惨劇風化させず〜鋸南現地で祈念碑の除幕式
(房日新聞2011.5.20付)
米軍機が列車を機銃掃射、死者13人、負傷者46人を出した「市部瀬の惨劇」の祈念碑が完成、鋸南町下佐久間の現地でこのほど、除幕式があった。関係者160人が参集し、惨劇を風化させず、後世に伝えていくことを改めて誓った。
事件は1945年(昭和20)の5月8日午前11時50分に起きた。鴨川行の下り列車が現在の勝山ドライブインを過ぎたあたりを通過した際、米軍のP51戦闘機が3機、北の空から飛来し、戦闘の機関車を銃撃した。立ち往生した列車に、2機目の米軍機が機銃掃射。乗客を直接射抜き、死者・傷者合わせて59人が出た。
この惨劇を後世に伝えようと、地元の有志らが「明日の鋸南町を考える会・子どもの未来に平和を実行委員会」(安藤恵美子会長)を組織、昨年同日の同時刻に現地で喧嘩をして犠牲者をしのんだ。
その後、現地に恒久平和を祈念する石碑を建てようと、同会のメンバーが奔走、資金を集めた。現場付近の線路脇に、台座を含めて160センチの黒御影石製の記念碑が建てられた。除幕式には安藤会長ら会員、白石治和町長、事件に遭遇した人たちが集まり、除幕して祈念碑の完成を祝った。
■碑表面
恒久平和祈念の碑
■碑裏面
1945年5月8日 安房勝山駅 午前11:50発 下り列車
市部瀬を通過中 米軍機の機銃掃射を受ける
死者13名 負傷者46名
この惨事を碑に記し 後世に伝える
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⇒2011年5月8日除幕式の模様は、
Blog安房国再発見でレポートを掲載しました。