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(房日新聞2010.2.21付)

春の信州、館山ゆかりの美術館訪問

無言館、梅野記念絵画館ツアーに期待

…橋本芳久(NPO法人安房文化遺産フォーラム)

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10年2月21日 3,099

女性初の館山市名誉市民で(財)館山ユネスコ保育園園長の本多馨氏が7日午後7時42分、胆管がんのため亀田総合病院で死去した。87歳。自宅は館山市館山582.前夜式が9日午後6時から、葬儀は10日午後1時から、いずれも館山市北条の館山斎場で営まれる。喪主は長男慶晴氏。

同市文化団体連絡協議会(現・芸術文化協会)や南総文化ホール友の会会長などを歴任し、長年にわたって地域文化の発展に貢献。県保母会長として、保母の資質向上や身分保障に関する研究調査などにも活躍した。

また、館山音楽鑑賞協会の会長として、広く市民参加を呼びかけてステージ演奏の機会を企画し、市民とともに鑑賞する活動を展開。草の根ボランティア活動から設立された館山国際交流協会では、文化交流第一委員会委員長として、自主的活動による文化分野での国際交流を促進。誠実で温厚な人柄と包容力は、周囲から絶大な信頼を得ていた。

こうした功績が評価され、昨秋の市施行70周年記念式典にあたり、女性として第一号となる名誉市民の称号が贈られた。

10年3月9日 3,184

NPO法人青木繁「海の幸」会が設立総会 美術界の著名人ら

小谷家住宅の復元・保存へ

募金目標は2年で2200万円

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明治期の洋画家・青木繁が代表作「海の幸」を制作した小谷家住宅=館山市布良=の復元、保存を目指すNPO法人・青木繁『海の幸』会の設立総会、第1回理事会が27日午後、東京・上野の東京文化会館で行われた。東京都や神奈川県在住の画家、美術評論家ら約40人が出席。2年間で2200万円の寄金を確保するなど、当面の活動目標を決めた。

同会は、日本美術界に大きな影響力を持つ著名人が多数参加。理事長に大村智氏(女子美術大学理事長)、副理事長に酒井忠康氏(世田谷美術館館長)、村田慶之輔氏(川崎市岡本太郎美術館館長)など、そうそうたるメンバーが役員に名を連ねている。吉岡友次郎事務局長は「目標額の寄金獲得は必ず達成する」としており、小谷家住宅の保存運動は今後大きく前進する見通しが出てきた。

設立総会では、1月12日に同会のNPO法人登記が完了したことを吉岡事務局長が報告。①小谷家修復・保存工事に3000万円、小谷さんが住む新たな住宅工事に1600万円の費用がかかること②地元・館山で保存運動を進める「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」と連携して活動し、今後は小谷家と3者で覚書を交わす方針であること——などを説明した。

また、2011年が青木繁の没後100年にあたることから▽全国・美術メディアを通じての青木繁の注目度アップ▽主要な美術館での青木繁の企画展開催——などの可能性を探ることで一致した。

館山からは小谷家当主の小谷栄さん、「保存する会」の島田博信会長、天野努副会長らが来賓として出席。

島田会長は「私たち地元保存会も大変勇気づけられる。今後は連携を密にし、故青木繁画伯の功績を末代まで伝え、併せて地域発展のためにも寄与する努力をしていく」とあいさつした。

また、金丸謙一・館山市長のメッセージも読み上げられた。

大村理事長は本紙の取材に対し「館山の方々が青木繁との縁を誇りに思われて、いかに活用していくか。地元の人がその気になってこそ、この運動の意味がある。経済も大事だが、次世代の子どもらのために文化を育てないと。そういう気持ちで応援していく」と語った。

『海の幸』会は、学生らとともに館山・布良にスケッチ旅行を続けていた吉武研司・女子美術大教授、青木繁と同郷の福岡県久留米市出身の画家・吉岡事務局長の2人が結成に尽力。地元・館山に「保存する会」が設立されたことを受け、日本の洋画壇の各方面に修復・保存運動推進を働きかけた。

【写真説明】設立総会で地元・館山の保存運動を説明する天野努氏=東京文化会館

10年3月3日 3,522

【講演抄録】「考古資料からみた安房神社成立の基層」覚書

古くから人の住んだ場所、海人集団首長の崇拝地か

安房歴史文化研究会会長 天野努

(房日2010.1.28)

安房神社の成立のもとはどういうことだったのかを考古資料から考えていく。

文献資料では忌部広成が書いたといわれる「古語拾遺」と、天皇の食膳を担当していた高橋氏による「高橋氏文」の2つの氏族伝承がある。今までは「古語拾遺」が多く語られていたが、最近の文献史学では新しい史料が発掘され、「高橋氏文」は史実を反映しているものだとされるようになった。

「高橋氏文」では▽安房のカツオと貝がセットで天皇の食膳に提供されていること▽高橋氏の祖先が天皇から「大伴部(おおともべ)」と呼ばれる部民を賜ったこと▽安房大神(あわのおおかみ)を御食都神(みつけかみ)として大膳職の祭神としていたこと—などが書かれている。

これまでの記述を証明するものはなかったが、731年の「類聚三代格」という文書の中に、「安房地方で安房大神を祀っていた女性たちが上京して宮中の御食都神を祀ることを命令されていた」ことを示す内容が見つかった。当時は安房神社は、安房大神と言われていたようだ。

これを考古学の資料からみるとどうなるか。

安房の漁村型集落遺跡の沢辺遺跡(南房総市白浜町)では、7世紀ごろの疑餌針が出ている。カツオの骨とウロコもたくさん出てきた。カツオ漁が行われていたのは確かで、「高橋氏文」の内容と符合している。

出土した貝はサザエが多いのだが、アワビオコシの道具も出ている。

平城京跡などから出土した木簡には、安房の「大伴部」がアワビを献上したことが記されている。出土木簡に書かれている「大伴部」姓は安房の人以外にはなく、このことからも「高橋氏文」の内容は史実だと考えられる。

一昨年、昨年と千葉大学の考古学研究室が、安房神社の境内にある安房神社洞窟を再調査した。洞窟のある場所は、6000年前の縄文海進で海が一番高くなった「沼1面」にあたる。出てきた一番古い土器は縄文前期。縄文海進が終わって陸化し、その段階で洞窟になっていたところに人が住み始めている。

安房神社の境内でも以前、縄文時代の土器が採取されたという。安房神社のある所に古くから人が住んでいた場所だ。

境内から出土して、安房神社が今も所蔵している高坏、5世紀のもので市の文化財に指定されているが、これが館山市沼の大寺山洞穴遺跡から出たものとまったく同じ特徴を持つ。安房神社のものは祭祀に使われたと考えられている。

大寺山の高坏は舟形木簡の副葬品だった。時代は同じ。形がまったく同じ高坏は、この2ヶ所以外では出ていない。大寺山では他に鉄の兜、短い鎧が出ている。これも5世紀のもの。短い鎧は房総では珍しいが、ふつうは古墳から出てくる。それが海岸近くの洞窟から出てきた。この遺跡に葬られた人々は、安房の海人集団の首長だと考えられる。

房総半島の中で、祭祀遺跡は(古代の)安房郡=注:現在の館山市、旧白浜町を主とする地域=に集中する。白浜の小滝涼源寺遺跡は4世紀後半からの遺跡だが、石製模造品と言われている剣や鏡が伴っている。祭祀が早い段階で行われていた。房総にはヤマトタケルの伝承もあるが、大和朝廷の東北支配にかかわる遺跡ではないかと考えられている。

5世紀の遺跡になると、土器を使った祭祀品が出てくる。

安房の地域には古代からの漁労民の集落があり、祭祀遺跡や洞穴遺跡がある。特に大寺山遺跡と安房神社境内に同様の出土品がある。安房神社のある場所というのは海人の首長に崇拝される、地域の人にあがめられる、そういう場所だったのではないか。

神社が形を持ってくるのは、天武天皇の時代の7世紀後半から。安房は5世紀ぐらいに大和朝廷の支配下に入っていく。当時の漁労種族、房総半島を回るときの水先案内人のような人々がいて、その中心的崇拝地が安房大神、それが安房神社になったのではと考えられる。

(本稿は平成22年1月23日に館山市コミュニティセンターで行われた同研究会公開講座の内容を要約・再構成したものです)

10年1月28日 3,607

青木繁ゆかりの地歩く〜27日にエコウォーク

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「海の幸」を描いた画家の青木繁が亡くなってから、来年で100年の節目を迎えるにあたり、たてやまエコツーリズム協議会(三瓶雅延会長)が27日、館山市富崎地区のゆかりの場所を歩くエコウォークを開催する。

青木繁が滞在した小谷家住宅(市指定文化財)や、没後50年に建立された海の幸記念碑などを地元のガイドとともにめぐり、画家の愛した風景と漁村文化を体感してもらう。

同地区は、かつてはマグロ延縄漁で活気づいた小さな漁村。明治時代には、青木繁がここに滞在し、代表作となる「海の幸」が誕生した。現在も、当時の暮らしの面影を色濃く残す漁村風景が多く残っている。

今回のエコウォークは、地域の歴史的環境保全に努めている同協議会のNPO法人安房文化遺産フォーラムが中心となって担当。眼前に広がる大海原を眺めながら、同フォーラムのガイドで地元の人たちとも交流する。昼食には、地元漁港で水揚げされた新鮮な魚介類を使った浜焼きが提供される。

ウォーキングは午前10時30分〜午後3時ごろまで予定。安房自然村=海の幸記念碑=小谷家住宅=布良崎神社=安房節記念碑のコースを歩く。参加費は5000円。

申し込み、問い合わせは、南総JAM事務局の井坂さん(080-6530-4553)か、いこいの村たてやまの工藤さん(0470-28-2211)まで。

10年3月13日 3,920

(日本経済新聞2010.3.14付)

「海の幸」会のこと

入江観

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山国育ちの私は、今、四十年を超えて海辺の街で暮らしていることを幸せに思っている。

朝寝坊の私は同行しないが、妻は早朝の海岸歩きを習慣にしている。時折、地曳網に出合うことがあり、鯵や時には平目などを分けてもらってくることがある。「魚が減った」という漁師の嘆きも聞こえてはくるが、そんな時、海の恵みと直につながっているという実感はある。

今日の話は、そのことではない。青木繁の描いた「海の幸」についてである。

この作品は、近代日本の洋画としては最も早い時期に国の重要文化財に指定され、美術の教科書にも載っており、現在は作者の郷里でもある久留米市の石橋美術館にあるが、長年にわたって東京・京橋のブリヂストン美術館に陳列されていたので多くの日本人の眼に触れ、記憶に残っているはずである。

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10年3月14日 4,054

第三回家庭教育学級〜安房の国を再発見

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2月4日、図書館にて、第三回家庭教育学級が行われました。皆さんは地元館山の歴史についてどの位知っていますか?NPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子先生を講師にお迎えして知られざる安房のお話を伺いました。

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安房に残る数々の戦争遺跡にはこの10年間で6千人、いまも年間にして200団体もの人々が国内外から訪れています。大房の砲台跡や赤山地下壕などが有名ですが、たくさんの遺跡があるということはそれだけ戦争の拠点として重要な場所だったことです。もしかしたら沖縄のような地上戦が、この館山で起こっていたかもしれないのです。1945年には米占領軍3500名が上陸し、日本本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれ、館山の街を占領支配しました。ほか、人間魚雷「回天」の格納壕・数々の砲台跡・基地跡など、一時間の講演ではとても足りない戦争の傷跡に驚くばかりでした。

ほとんどの親やよは戦争体験のない世代。遺跡を見ただけでは想像することすらできません。よくわからないから子供にも見せない、敬遠してしまう、という人も多いと思います。安房文化遺産フォーラムの方々は、放置され朽ちかけていたこうした遺跡を、戦争の事実とともに保存しようと調査・研究を続けながら遺跡巡りのガイドもしてくれます。宮城の赤山地下壕は600万年前の地層や、掘削した当時のツルハシの跡も見られるそうです。ぜひわが子にも見せたい、と思いました。そして見塚な遺跡をめぐり、先人たちが築いた知恵や歴史を語り継ぐことの大切さを感じました。

館山海岸通りにある小高記念館という白い建物に、NPO法人安房文化遺産フォーラムはあります。一度足を運んではいかがでしょうか。

(那古小学校PTA広報2010.3.15号)

10年3月18日 4,061

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館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラムは13、14の両日、同市の富崎地区公民館で「元気なまちづくり市民講座」を開催する。

14日午前には、生涯学習まちづくりブームの「仕掛け人」として知られる福留強・聖徳大学教授が「日本各地のまちづくり活動の実践事例」について講演。13日には愛沢伸雄・同フォーラム代表の講話や、布良・相浜両地区のウォーキング・イベントなどが予定されている。

また、地域が抱える課題の解決方法を探る「グループ別意見交換」も連日行われる。

両日とも午前10時から午後4時ごろまでの予定で、参加費は無料。同フォーラムの池田恵美子事務局長は「富崎地区に限らず、まちづくりに関心のある方〃はぜひ参加してほしい」と話している。

問い合わせ、申し込みは同フォーラムへ。電話、ファクス0470-22-8271。電子メールはawabunka@awa.or.jp

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(房日新聞2010.2.7付)

10年2月7日 4,138

(房日新聞2010.1.20付)

館山で訓練した元落下傘兵の版画家

秋山巌氏の作品展始まる

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若き日に海軍の落下傘兵として館山海軍航空隊で訓練を受け、復員後に棟方志功の弟子となった版画家・秋山巌さん(88)=千葉県松戸市在住=の作品展が19日、館山市大網の大巌院(大網寺、石川龍雄住職)で始まった。種田山頭火の俳句を題材とした木版画、掛軸などの肉筆画に加え、小品や陶器など50点余りが並んだ。入場無料で25日まで。

秋山氏は大分県竹田市出身。第2次大戦後に版画の道に進み、1970年に山頭火の句をモチーフにした作品を初めて発表。フクロウや猫などの動物、風景や菩薩などを描く独自の木版画の世界を確立した。

これまでに3000点を超える作品を世に出し、一部は大英博物館(ロンドン)、ビクトリア国立美術館(オーストラリア・メルボルン)など海外の美術館に所蔵されている。

作品展の開催は昨年1月、娘の町田珠実さん=福島県相馬市在住=が館山を訪れ、館山海軍砲術学校跡などの戦争遺跡にふれたのがきっかけ。12月には秋山氏も65年ぶりに館山を訪問。命を落とした多くの戦友を慰霊するとともに、思い出の地である館山での作品展開催を決めた。

珠実さんは「会場は和室で、父の作品によく合う素晴らしい空間。墨がかもし出す木版画の世界を楽しんでもらいたい。今回は、デパートなどで行う展覧会よりも多数の作品を持ち込んでいる。この個展を通じ、館山との縁を広げていきたい」と話している。

作品展は、連日午前10時から午後4時まで。

23日には県南総文化ホール小ホールで、秋山氏のトークショーが開催される。午後7時開演で、入場料500円。チケットは同ホールのほか宮沢書店、ブックス松田屋などで取り扱っている。


※秋山巌展&トークショーの詳細はコチラ

10年1月20日 4,250

(房日新聞2010.3.2)

守ろう地域医療Ⅱ

看護①〜最前線の現場で=やりがいの一方、激務の職場

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「はい、救急車入りますよ!」--。金曜日の午後5時半。安房地域医療センター(館山市)の救急外来で当直の看護師、大場清香主任が大きな声を上げた。

最初に肺炎とみられる高齢者の男性、ほどなくして、顔中が血まみれになった壮年男性が運び込まれる。2カ所ある処置スペースがふさがり、先ほどまでそこにいた患者はストレッチャーに乗ったまま、スタッフが行き来する通路部分に〝避難〟させられた。その横には、ベッドで点滴などを受けている患者が3人。移動式のレントゲン、心電図などの機械を押して検査技師が駆けつける。現場は、あっという間に「戦場」の様相に変わった。

大場さんはけがの男性患者の顔をふき、汚れた服を脱がせて備え付けのガウンに着替えさせる。医師の治療補助。検査のための血液採取、点滴の交換、患者情報のパソコン入力、入院患者の手続き・院内連絡、患者家族への応対…。医師も忙しいが、看護師の手足の動きが止まることも一瞬としてない。

「うちのスタッフはよくやってますよ。館山から鋸南までの10万人を守っているという気持ちで仕事をしている。救急の現場は臨機応変さが求められる。次にどうなるかという状況判断を常にしながら動くことが大事です」。

鴨川市出身。東京女子医大病院に長く勤め、10年前に「24時間の救急外来を立ち上げるから」と乞われて安房医師会病院(現・安房地域医療センター)に移った。以来、ずっと救急部門一筋。救命救急科の不動寺純明部長(医師)も「ここのことは何でも知っている。なくてはならない人」と全幅の信頼を置く。

安房地域で発生する重篤患者の多くは、3次救急を受け持つ亀田救命救急センター(鴨川市)に搬送される。だが、医療センターの役割も重い。午後7時、同8時20分…。この日は「そろそろ潮が引いたかな」思うと、新たな救急搬送があった。もちろんマイカーで訪れる軽症の患者も絶えない。

病院側と約束した午後10時過ぎに取材終了。それまでの6時間、大場さんら2人の看護師がいすに腰をおろすことはなかった、翌日午前に電話すると「その後も忙しく、午前2時半にようやく食事がとれた」と話してくれた。

◇ ◇ ◇

月曜日午後7時の館山病院。60床ある内科・外科混合の2階急性期病棟では、夜勤の3人に加え、まだ日勤チームの大半の看護師が居残ってバタバタしていた。

かかりつけの患者など3人が、夕方から次々に入院することになったからだ。人手が足りず、師長の竹之下久美子さんが自ら1階に降りて患者を迎えた。「5時に帰りたいとは思っていないが…。毎日これだと、モチベーションを保つのが大変なのも事実です」。

ナースコールを受ける表示板をみると、50数人の入院患者の平均年齢は80歳を超えている。食事、入浴、トイレ…。東京などの都市部の病院に比べ、看護師らスタッフの介護が必要な患者の割合が非常に高い。

新たに入院した患者を病室に運んだ竹之内さんの背後で、「バタッ」という大きな音がした。同室の患者がベッドから起きあがろうとして転倒、頭を打った。すぐに手当てをし、脈拍などの異常がないか確かめる。この患者には、身体の動きを知らせるセンサーをつけて、事故防止を図ることにした。

日勤の看護師がすべて引き揚げたのは、午後8時を過ぎてから。「忙しいばかりで、一人ひとりの患者さんへの目配りができているか、患者さんが満足しているかを考えると少し申し訳ない気持ち」と竹之下さん。病棟を統括する師長としては「スタッフの意欲が低下しないように、仕事や人間関係の〝交通整理〟をするよう心がけている」と語った。

◇ ◇ ◇

「いのちを守る」役割にやりがいを感じる一方で、長時間、不規則な厳しい勤務を強いられる看護師たち。昨年11月掲載した「守ろう地域医療」の続編として、今回は看護の現場や看護師不足問題、安房看護専門学校の閉校などに焦点をあてる。

10年3月2日 4,317

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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