


女性初の館山市名誉市民で(財)館山ユネスコ保育園園長の本多馨氏が7日午後7時42分、胆管がんのため亀田総合病院で死去した。87歳。自宅は館山市館山582.前夜式が9日午後6時から、葬儀は10日午後1時から、いずれも館山市北条の館山斎場で営まれる。喪主は長男慶晴氏。
同市文化団体連絡協議会(現・芸術文化協会)や南総文化ホール友の会会長などを歴任し、長年にわたって地域文化の発展に貢献。県保母会長として、保母の資質向上や身分保障に関する研究調査などにも活躍した。
また、館山音楽鑑賞協会の会長として、広く市民参加を呼びかけてステージ演奏の機会を企画し、市民とともに鑑賞する活動を展開。草の根ボランティア活動から設立された館山国際交流協会では、文化交流第一委員会委員長として、自主的活動による文化分野での国際交流を促進。誠実で温厚な人柄と包容力は、周囲から絶大な信頼を得ていた。
こうした功績が評価され、昨秋の市施行70周年記念式典にあたり、女性として第一号となる名誉市民の称号が贈られた。





24年開学目指す 亀田医療大学 県の財政支援望めず
鉄蕉館の理事長、国のモデル地域認定を模索
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学校法人鉄蕉館の亀田省吾理事長は18日、平成24年春に開学を予定している亀田医療大学(仮称)について、「千葉県からの(財政)支援は望めない」との見通しを明らかにした。鴨川市で同日行った医療シンポジウム後の記者会見の中で語った。
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安房歴史文化研〜「明治・大正期の館山」紹介
20日に公開講座
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安房歴史文化研究会(天野努会長)の第4回公開講座が3月20日、館山市コミュニティセンターで開かれる。今回はNPO法人・安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表が、「館山に住んでいた明治・大正期の知識人らの文化交流の一端」について、事例を交えながら研究発表する。
同会によると、明治期の館山は東京と汽船で結ばれ、保養地・避暑地として発展。彫刻家の長沼守敬、建築家の辰野金吾らが住居・別送を構えた。また、水産伝習所や安房中学校を通し、多くの知識人が来訪。水産業で財をなした企業人が多く出たことなどもあり、これらインテリ層の文化交流が起こり、地域社会にも影響を与えた。
愛沢氏は、これまでの調査で得られた知識人文化交流の一端を紹介。また、宮内庁の侍従職を辞して房州に移住した伯爵・万里小路通房の人的ネットワークについて語る。同フォーラムで取り組む「地域まるごと博物館」構想についても報告する。
講座は午後2時から4時まで。定員は当日先着50人で、参加費は200円(資料代)。



(房日新聞2010.1.20付)
館山で訓練した元落下傘兵の版画家
秋山巌氏の作品展始まる
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若き日に海軍の落下傘兵として館山海軍航空隊で訓練を受け、復員後に棟方志功の弟子となった版画家・秋山巌さん(88)=千葉県松戸市在住=の作品展が19日、館山市大網の大巌院(大網寺、石川龍雄住職)で始まった。種田山頭火の俳句を題材とした木版画、掛軸などの肉筆画に加え、小品や陶器など50点余りが並んだ。入場無料で25日まで。
秋山氏は大分県竹田市出身。第2次大戦後に版画の道に進み、1970年に山頭火の句をモチーフにした作品を初めて発表。フクロウや猫などの動物、風景や菩薩などを描く独自の木版画の世界を確立した。
これまでに3000点を超える作品を世に出し、一部は大英博物館(ロンドン)、ビクトリア国立美術館(オーストラリア・メルボルン)など海外の美術館に所蔵されている。
作品展の開催は昨年1月、娘の町田珠実さん=福島県相馬市在住=が館山を訪れ、館山海軍砲術学校跡などの戦争遺跡にふれたのがきっかけ。12月には秋山氏も65年ぶりに館山を訪問。命を落とした多くの戦友を慰霊するとともに、思い出の地である館山での作品展開催を決めた。
珠実さんは「会場は和室で、父の作品によく合う素晴らしい空間。墨がかもし出す木版画の世界を楽しんでもらいたい。今回は、デパートなどで行う展覧会よりも多数の作品を持ち込んでいる。この個展を通じ、館山との縁を広げていきたい」と話している。
作品展は、連日午前10時から午後4時まで。
23日には県南総文化ホール小ホールで、秋山氏のトークショーが開催される。午後7時開演で、入場料500円。チケットは同ホールのほか宮沢書店、ブックス松田屋などで取り扱っている。
※秋山巌展&トークショーの詳細はコチラ。



第三回家庭教育学級〜安房の国を再発見
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2月4日、図書館にて、第三回家庭教育学級が行われました。皆さんは地元館山の歴史についてどの位知っていますか?NPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子先生を講師にお迎えして知られざる安房のお話を伺いました。
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安房に残る数々の戦争遺跡にはこの10年間で6千人、いまも年間にして200団体もの人々が国内外から訪れています。大房の砲台跡や赤山地下壕などが有名ですが、たくさんの遺跡があるということはそれだけ戦争の拠点として重要な場所だったことです。もしかしたら沖縄のような地上戦が、この館山で起こっていたかもしれないのです。1945年には米占領軍3500名が上陸し、日本本土で唯一「4日間」の直接軍政が敷かれ、館山の街を占領支配しました。ほか、人間魚雷「回天」の格納壕・数々の砲台跡・基地跡など、一時間の講演ではとても足りない戦争の傷跡に驚くばかりでした。
ほとんどの親やよは戦争体験のない世代。遺跡を見ただけでは想像することすらできません。よくわからないから子供にも見せない、敬遠してしまう、という人も多いと思います。安房文化遺産フォーラムの方々は、放置され朽ちかけていたこうした遺跡を、戦争の事実とともに保存しようと調査・研究を続けながら遺跡巡りのガイドもしてくれます。宮城の赤山地下壕は600万年前の地層や、掘削した当時のツルハシの跡も見られるそうです。ぜひわが子にも見せたい、と思いました。そして見塚な遺跡をめぐり、先人たちが築いた知恵や歴史を語り継ぐことの大切さを感じました。
館山海岸通りにある小高記念館という白い建物に、NPO法人安房文化遺産フォーラムはあります。一度足を運んではいかがでしょうか。
(那古小学校PTA広報2010.3.15号)



鋸南、生々しい証言次々と
65年前の「市部瀬の惨劇」
平和願い現地に60人集う
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友人が、同級生が、親戚が乗っていました——。65年前の5月8日、鋸南町下佐久間字市部瀬であった米軍機による列車への機銃掃射事件を忘れず、恒久平和を願おうという集いが8日、同所のJR内房線沿線であり、60人が惨劇の現場で献花、焼香した。地元有志らが、本紙記事を通じて当時の列車乗客にも参加を呼びかけたところ、高齢を押して駆けつけた人もいた。会場では民間人が犠牲になった惨劇が語り継がれ、参加者は平和への思いを新たにしていた。
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(房日新聞2010.5.2付)
医療・まちづくりシンポ
〜パネル討論発言要旨(上)
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館山市の南総文化ホールで4月28日行なわれたシンポジウム「癒しの海辺のまちづくり」での、パネル討論参加者の発言要旨は次のとおり。
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■松永平太氏(松永医院院長・安房医師会理事)
〜看護大学に住民の支援を
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「いのちの山河」はとてもいい映画だった。加藤先生(注・シンポジウムで基調講演をした旧沢内村の加藤邦夫医師)が50年前にやられていたころが良く理解できた。安房地域も、住民検診が発達した地域と言われている。それは先人のドクターたちが沢内村に行って学んで、持ち帰ったと聞いている。
安房地域では亀田(メディカルグループ)さんがあることで、日本一安心、安全な地域だと思っている。東京では診療所がいっぱいあるが、9時から5時まで。夜は無医村。新聞に載るような救急のたらい回しは安房地域にはない。亀田さんが必ず診てくれるからだ。
問題はやはり看護師不足。安房医師会としても行政に対し、看護師になりたい人に奨学金をだしてくれと要望している。亀田さんも看護学校をつくろうとしているが、膨大なお金が必要。亀田信介さんや省吾さんは「ヒラメ」のような人。いつも上だけ、理想だけを見て、経営が厳しくても「人が大事だ、教育が大事だ」とお金をつぎ込んできた。それで全国からお医者さんが集まる優秀な病院になった。
だが看護大学は壁にぶつかっていると思う。住民が寄付をして、看護師養成に力を尽くしてほしい。安全と安心のある地域で、この50年後、100年後をどうしていくのか、住民とともに考えたい。
いい地域医療をやろうというのは、まちづくりや文化づくり、風土づくりにつながる。よそ者である「風の人」、地元の「土の人」がつながって風土がつくられる。そういう社会をみなさんとつくっていきたい。
■愛沢伸雄氏(安房の地域医療を考える市民の会呼びかけ人)
〜先人のような知恵出そう
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館山に来て30年になる。20年前に「かにた婦人の村」と深津文雄牧師に出会ったことがきっかけで、文化財保存運動を進めてきた。医療も文化遺産で、大変な人々の知恵や力が投入されてきたことを知らなければいけないと思う。
加藤先生の話を聞いて意を強くしたのは「課題を明確にして、今の問題は何かをきちっとつかまえる」と言われたこと。沢内村が抱える問題は全国どこにもあったが、なぜ沢内村が成功したかというと「対話、話し合い」があった。村長が人の意見に耳を傾けた。
この地域で、ちょっと残念なのは「どうにかなっぺよ」という感じ。この程度でいいやと。問題にかかわると、変人扱いされかねない。
ただ、この「どうにかなっぺよ」も、食べられる地域をどうにかつくってきたことの裏返しなのかもしれない。地震や災害が多い地域だが、そんな中でどうやって食べられるシステムを先人たちがつくってきたか、個人的にも興味がある。
地域医療の問題点是正にはお金もかかるし困難も大きいが、この地域には解決する力があると思う。それが全国のモデル的なものになればいい。
この地域は公立病院がなくてもやってきたし、みんなでお金を出し合って病院を作ってきた地域でもある。学校もそうだ。地域の持っている特性を分析し、どうやったら先人のような知恵を出せるかを考えたい。
もう一つ。この地域は人々が力を合わせて30年以上コミュニティという組織を運営している。他にはない優れた組織形態だと思う。綜合検診の推進にもかかわっている。今こそ安房の人が大同団結し、医師と住民が力を合わせて困難を乗り越えていきたい。
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(つづく)

