
(房日新聞2010.3.2)
守ろう地域医療Ⅱ
看護①〜最前線の現場で=やりがいの一方、激務の職場
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「はい、救急車入りますよ!」--。金曜日の午後5時半。安房地域医療センター(館山市)の救急外来で当直の看護師、大場清香主任が大きな声を上げた。
最初に肺炎とみられる高齢者の男性、ほどなくして、顔中が血まみれになった壮年男性が運び込まれる。2カ所ある処置スペースがふさがり、先ほどまでそこにいた患者はストレッチャーに乗ったまま、スタッフが行き来する通路部分に〝避難〟させられた。その横には、ベッドで点滴などを受けている患者が3人。移動式のレントゲン、心電図などの機械を押して検査技師が駆けつける。現場は、あっという間に「戦場」の様相に変わった。
大場さんはけがの男性患者の顔をふき、汚れた服を脱がせて備え付けのガウンに着替えさせる。医師の治療補助。検査のための血液採取、点滴の交換、患者情報のパソコン入力、入院患者の手続き・院内連絡、患者家族への応対…。医師も忙しいが、看護師の手足の動きが止まることも一瞬としてない。
「うちのスタッフはよくやってますよ。館山から鋸南までの10万人を守っているという気持ちで仕事をしている。救急の現場は臨機応変さが求められる。次にどうなるかという状況判断を常にしながら動くことが大事です」。
鴨川市出身。東京女子医大病院に長く勤め、10年前に「24時間の救急外来を立ち上げるから」と乞われて安房医師会病院(現・安房地域医療センター)に移った。以来、ずっと救急部門一筋。救命救急科の不動寺純明部長(医師)も「ここのことは何でも知っている。なくてはならない人」と全幅の信頼を置く。
安房地域で発生する重篤患者の多くは、3次救急を受け持つ亀田救命救急センター(鴨川市)に搬送される。だが、医療センターの役割も重い。午後7時、同8時20分…。この日は「そろそろ潮が引いたかな」思うと、新たな救急搬送があった。もちろんマイカーで訪れる軽症の患者も絶えない。
病院側と約束した午後10時過ぎに取材終了。それまでの6時間、大場さんら2人の看護師がいすに腰をおろすことはなかった、翌日午前に電話すると「その後も忙しく、午前2時半にようやく食事がとれた」と話してくれた。
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月曜日午後7時の館山病院。60床ある内科・外科混合の2階急性期病棟では、夜勤の3人に加え、まだ日勤チームの大半の看護師が居残ってバタバタしていた。
かかりつけの患者など3人が、夕方から次々に入院することになったからだ。人手が足りず、師長の竹之下久美子さんが自ら1階に降りて患者を迎えた。「5時に帰りたいとは思っていないが…。毎日これだと、モチベーションを保つのが大変なのも事実です」。
ナースコールを受ける表示板をみると、50数人の入院患者の平均年齢は80歳を超えている。食事、入浴、トイレ…。東京などの都市部の病院に比べ、看護師らスタッフの介護が必要な患者の割合が非常に高い。
新たに入院した患者を病室に運んだ竹之内さんの背後で、「バタッ」という大きな音がした。同室の患者がベッドから起きあがろうとして転倒、頭を打った。すぐに手当てをし、脈拍などの異常がないか確かめる。この患者には、身体の動きを知らせるセンサーをつけて、事故防止を図ることにした。
日勤の看護師がすべて引き揚げたのは、午後8時を過ぎてから。「忙しいばかりで、一人ひとりの患者さんへの目配りができているか、患者さんが満足しているかを考えると少し申し訳ない気持ち」と竹之下さん。病棟を統括する師長としては「スタッフの意欲が低下しないように、仕事や人間関係の〝交通整理〟をするよう心がけている」と語った。
◇ ◇ ◇
「いのちを守る」役割にやりがいを感じる一方で、長時間、不規則な厳しい勤務を強いられる看護師たち。昨年11月掲載した「守ろう地域医療」の続編として、今回は看護の現場や看護師不足問題、安房看護専門学校の閉校などに焦点をあてる。



(2010.3.6付)
安房看護専門学校、最後の学生9人が卒業
39年の歴史に幕〜地域医療支える人材輩出
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安房看護専門学校(館山市湊、野原正校長)は4日、卒業式・閉校式を行い、最後の学生9人を送り出して39年の歴史を閉じた。
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館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)は3月28日、城山公園で同日に開催される「里見桜まつり」に合わせ、城山周辺を散策する「里見ウォーキング—『八犬伝』のふるさと〜里見の城山—」を開催する。
同公園駐車場横に集合し、午前10時にスタート。4キロを約2時間かけてゆっくりと歩く。館山城跡と戦争遺跡、千畳敷、八遺臣供養塔、慈恩院、鹿島堀などをめぐるコースで、「里見ガイド」の説明付き。
参加費200円。同フォーラムでは「戦争中に城山は削られてしまったが、まだまだ築城当時の城跡遺構が残っている。ガイドと歩いて、在りし日の城の雰囲気を味わって」と話している。
(房日新聞2010.3.21付)



■落下傘部隊ゆかりの地
版画家、秋山巌氏が作品展
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千葉県館山市の大巌院(石川龍雄住職)客殿で、1月19日から25日まで、版画家の秋山巌氏(88)の作品展が開催され、木版画や陶器など約50点が展示された。
太平洋戦争で、海軍落下傘部隊として館山で訓練をした秋山氏、復員後は棟方志功に師事し、種田山頭火の俳句やフクロウなどを題材に作品を描いている。
作品展は秋山氏の緒女町田珠実さんが、父親が戦争を体験した館山の地を旅したことが縁となったもの。期間中には秋山氏が大巌院で肉筆画の実演を、また、23日には同市内の南総文化ホールでトークショーも行なわれ、落下傘部隊の思い出や、死と隣り合わせだった体験談などが語られた。
(浄土宗新聞2010.3.23付)



NPO法人青木繁「海の幸」会
事務局長:吉岡友次郎氏
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明治期の洋画家、青木繁が名作「海の幸」を描いた館山市布良の小谷家住宅を保存・一般公開しようと、美術界に影響力を持つ人々を説得。86人を発起人として集め、このほどNPO法人設立にこぎつけた。
「これでレールは敷かれた。あとは目標の実現に向かって着実に進むだけです」。
青木繁と道教の福岡県久留米市出身。佐賀大学特設美術科で油絵を学び、広告宣伝のアシスタントディレクターに。後に編集プロダクション経営に転じた。
小谷家住宅の存在を知ったのは、2000年のこと。美術展の打ち上げで、学生と布良に毎年のようにスケッチ旅行に出ていた吉武研司・女子美大教授と知り合い意気投合。青木繁の布良でのエピソードを聞いて、翌年春に現地を訪ねた。
「明治時代に建てた住宅がまだあるなんて。久留米にある青木の成果は復元・新築したものなんです。重みがまったく違う。これは残さなければいけない。何とかしようと、すぐにそう感じました」。
その後も毎年のように布良を訪れ、小谷家当主の小谷栄さんとも顔なじみだった。一昨年、館山で「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」が設立されたことで「もう、私もやらなければいけない」と行動を起こす。吉武教授と二人三脚で、画家や美術評論家など美術関係者を回った。文化勲章受章者の故・平山郁夫氏も趣旨に賛同し、発起人に名を連ねた。
「この保存運動には、会派の違う著名な画家が一同に集まった。これは驚くべきこと。青木繁は、日本の美術界にとって本当に思い存在なんです」。
十数年前に仕事の一線を退き、再び本格的に絵筆を持った。現在は独立展やCAF・N展などのグループ展に、精力的に出品している。川崎市多摩地区在住。



元気なまちづくり市民講座開催
館山・富崎地区を舞台に—
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館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)は、13、14の両日富崎地区公民館で「元気なまちづくり市民講座」を開いた。地域住民ら、のべ約90人参加。生涯学習まちづくりブームの「仕掛け人」として知られる福留強・聖徳大学教授の講演を聞いたほか、グループ討議で今後のまちづくりに向けた具体的なアイデアを出し合った。
福留教授は東京都立川市の大山自治会や、鹿児島県志布志市の市民大学の活動など、各地の地域活性化の成功事例を紹介。少子高齢社会の中で、いくつになっても地域のために自らの力を発揮していく「創年」という考え方を提唱し、「実年齢の7掛けが自分の年齢と思って、創造的に生きていこう」と呼びかけた。
グループ討議では、「富崎地区の路地に愛称をつけてはどうか」という案にほぼ全員が賛同。同地区コミュニティ委員会から住民に呼びかけていくことになった。
同フォーラムの愛沢代表は「青木繁の没後100年にあたる来年に向けて、地元の人びとや全国の美術関係者とともに記念事業に取り組んでいきたい」と語った。
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(房日新聞2010.2.19付)



安房歴史文化研〜「明治・大正期の館山」紹介
20日に公開講座
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安房歴史文化研究会(天野努会長)の第4回公開講座が3月20日、館山市コミュニティセンターで開かれる。今回はNPO法人・安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表が、「館山に住んでいた明治・大正期の知識人らの文化交流の一端」について、事例を交えながら研究発表する。
同会によると、明治期の館山は東京と汽船で結ばれ、保養地・避暑地として発展。彫刻家の長沼守敬、建築家の辰野金吾らが住居・別送を構えた。また、水産伝習所や安房中学校を通し、多くの知識人が来訪。水産業で財をなした企業人が多く出たことなどもあり、これらインテリ層の文化交流が起こり、地域社会にも影響を与えた。
愛沢氏は、これまでの調査で得られた知識人文化交流の一端を紹介。また、宮内庁の侍従職を辞して房州に移住した伯爵・万里小路通房の人的ネットワークについて語る。同フォーラムで取り組む「地域まるごと博物館」構想についても報告する。
講座は午後2時から4時まで。定員は当日先着50人で、参加費は200円(資料代)。



(房日新聞2010.3.5付)
守ろう地域医療Ⅱ
看護④進路ガイダンス「看護師の魅力、高校生に」
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「小学生の時に手術をした。手術室でずっと手を握ってくれた看護婦さん。震えるほど不安だったが、とても安心させられた。あの時の看護婦さんのようになりたい」--。今春、看護師を目指して順天堂大に進学する安房高3年の中村愛美さん(18)=館山市船形=は、瞳を輝かせて志望動機を語る。
同3年の鈴木晴奈さん(18)=同市館山=も、やはり自身の入院経験で看護職のすばらしさを知り、北里大看護学部に進むことを決めた。深刻な看護師不足の中、看護の仕事に希望を抱き、その道を選ぶ若者も少なくない。
こうした生徒を少しでも増やそうと、安房保健所は昨年、高校生を対象にした「看護職の進路ガイダンス」をスタートした。看護師の仕事、なり方、職業としての魅力を伝える取り組みで、生徒により身近に感じてもらおうと、各高校を卒業した“先輩ナース”を講師に招くなど工夫も凝らした。
「看護師を増やすには、看護師を目指す若者を増やすか、離職した看護師を発掘するかのどちらか。発掘するのは難しいのが現状。うまくいっているという話は聞いたことがない。だから、まずは若い看護師のなり手を増やそうと安房独自の事業としてはじめた」と、久保秀一所長は狙いを語る。
安房高の2人も昨年受講。「先輩看護師の話はとても参考になった」(鈴木さん)、「大変な仕事というイメージがあったが、楽しいこと、幸せなことも多いと教えてくれた。『(看護師に)なりたい』という気持ちがより強くなった」(中村さん)と、看護師への思いがより強まったと振り返る。
同校のほか長狭、安房拓心、安房西(安房西は個別相談のみ)の4校で実施し、計82人が受講した。会場では、生徒たちが看護師の仕事について盛んに質問。講師に受験のアドバイスを求める姿も多くみられた。
ガイダンスを担当した同保健所地域保健福祉課の青木啓子課長は「予想以上に看護志望の生徒がいることに驚いた。子どもたちも非常に熱心で、やりがいを感じた」と手ごたえを実感。「来年度以降も継続して開催したい」と意欲をのぞかせる。
しかし、看護師を目指す若者が増えても、すべてが安房地域でナースとして働くわけではない。安房高の2人は、資格面を含めて将来の選択肢が広い看護大学への進路を選んだ。
「いずれ安房地域で働く気持ちがあるか」とたずねると、「いまはレベルの高いところで、いけるところまで頑張りたい」(鈴木さん)、「まずは看護師となって、技術、経験をしっかりと積みたい」(中村さん)との答えが返ってきた。
高学歴、キャリア志向だけではない。若者の都会志向もある。賃金など待遇面での差もある。この地域で若者に働いてもらうためには、さまざまな壁がある。
久保所長は「看護職を希望する高校生への調査では、安房に残りたいという生徒は意外と少なくなく、迷っているという生徒が特に多い。そして、安房で働く条件として奨学金制度が必要という生徒が目立った。学校、各病院の奨学金制度など、安房で働くメリットをしっかり説明していきたい」と強調した。



高齢者、乳児の医療費を無料化した村長描いた
映画「いのちの山河」上映へ
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館山市を中心とした市民グループ「安房の地域医療を考える会」(愛沢伸雄代表)は、全国で初めて老人・乳児の医療費無料化を決断した岩手県(旧)沢内村の深澤晟雄村長の半生を描いた映画「いのちの山河・日本の青空Ⅱ」の上映会を、3月6日に南総文化ホール大ホールで行うことを決めた。
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