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終戦直前館山湾に墜落、乗員埋葬米軍が感謝

日米史料裏付け占領政策に影響か

(読売新聞2015.7.30)

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終戦直前の1945年8月に館山湾で墜落した米機2機をめぐり、米軍側が乗員の遺体を埋葬するなどした館山市の医師や市民に感謝の意を伝えていたことがわかった。同市の戦跡研究者、愛沢伸雄さん(63)が米政府史料から裏付けた。敵国に示す姿勢としては異例で、館山での占領政策に影響を与えた可能性があるという。

(笹川実)

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米政府の「戦争末期の米軍機墜落記録」を愛沢さんが分析した結果によると、①45年8月13日午後4時頃、館山桟橋(現・夕日桟橋)沖で館山航空隊攻撃中の艦載機F6Fが対空砲火で墜落した②同5時40分頃、館山市坂田沖で墜落搭乗員の救助活動中の飛行艇PBYが厚木航空隊の零戦に撃墜された—とされる。

2基の関連は明確でないが、他の米政府史料には、乗員の遺体に関し、館山署が直後に作った調書や墜落現場地図が収められている。米軍が墜落の原因などを丹念に調べ、日本側の責任を追及したことを示す史料だ。米軍と関わりを持ちたくない住民は多くを語らなかったため、2機の墜落に関する史料は少ない。

館山病院元副院長の川名正義医師(故人)の手記「終戦前後の館山」(安房医師会誌)には、「米軍法務少佐が病院に来て『米軍機の戦闘員死体を見たか』と聞く。無言でありたい時だったが(中略)ありのままを話した。『米機墜落を2回見た。1人を検視した。妙台寺に埋葬してある』」とある。

愛沢さんはこの記述が何を指すのか、ずっと気になっていた。米政府史料の分析の結果、妙台寺の埋葬者が2機のうちF6Fの乗員と判明。さらにPBYを撃墜した零戦パイロットが書いた空中戦手記が「最後の零戦」(秋本実編)に収められていることもわかった。

これで米軍記録とつながり、日本側史料の事実が初めて裏付けられ、2機の墜落の概要も初めてわかった。妙台寺は同市上真倉の館山病院近くの寺とみられるが、現在、米機乗員の墓などは残っていない。

川名医師の手記には「翌日少佐が再び来て『ドクターは正直に答え、米軍人を埋葬してくれた。感謝する。最高の紳士だ』とほめられた」とも記されていることは以前から知られていた。川名医師はその後、市民代表として要望などを米軍代表の准将に直接伝えられる立場になった。

愛沢さんは「館山では本土で唯一行われた米軍の直接軍政が4日間で終わるが、米軍が館山市民に友好的であったことは有名で、川名医師に示された謝意も背景にあるのでは」と語る。

墜落したPBYには7人が搭乗しており、1人だけ脱出して日本側に救助され、米国に生還した。この乗員の名前を「Roger E・RAGAIN軍曹」と突き止めた愛沢さんは、「本人か家族が存命なら当時の経緯を聞きたい」と切望している。9月5日から3日間館山市で開かれる第19回戦争遺跡保存全国シンポジウムでも発言する予定だ。

15年7月30日 5,183

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