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戦後の地層 第3部

「元七三一」地下壕の告白〜命と国家② キノコ

(東京新聞2015.7.28付)‥⇒印刷用PDF


千葉県館山市の海上自衛隊館山航空基地近くの岩山に、戦時中、海軍が使用した巨大な「赤山地下壕(ごう)」が広がる。

2キロほどにわたって張り巡らされたトンネルに1960年代、一人の男性が住みついた。壕でキノコの種菌を作り、周辺の農家の指導もした。

地元で戦争遺跡の保存運動をしているNPO法人「安房文化遺産フォーラム」の愛沢伸雄(63)や鈴木政和(まさかず)(69)は90年代、調査のために壕を訪れ「キノコのおじさん」と酒を酌み交わすようになった。

2001年、鈴木がJR東労組の約20人を壕に案内した際、おじさんは、皆の前で自分の過去を明らかにした。「私は731部隊の隊員でした」。鈴木が思わず「いいんですか」と声をかけると、「もういいんだ」と淡々と答えた。

731部隊として知られる関東軍防疫給水部は、コレラなどの伝染病予防がその目的とされた。日本の兵士の命を救うための部隊は、細菌兵器開発のための人体実験で中国人捕虜などの命を非道に奪う裏の顔があった。秘密を墓場まで持っていくように指示された隊員の多くは、戦後もその活動を口にしなかった。

おじさんが、鈴木らに731部隊にいたことを話したのも知り合って何年もたってから。支部での上下水の防疫や検便をしていて、細菌兵器とは無関係だったことや、その後希望して南方の島に転じ、食糧確保にあたっていたことなどを断片的に明かしていた。

足跡をたどろうと、記者はおじさんの故郷茨城県神栖市を訪ねた。何軒もまわって7、80年代に一緒にキノコ栽培をした沼田武雄(89)にたどり着いた。

沼田によると、おじさんは戦後、でんぷん工場を経営。1951年に37歳で旧軽野村(現神栖市)の村議にもなったが、キノコ栽培の適地を探し、任期途中で村を出てしまったという。その後、種菌を分けてもらうようになり「親分」と慕った沼田だが、やはり戦時中の事を聞いた記憶はなかった。

赤山地下壕にたどり着くと、まずマッシュルームの栽培を始めたようだ。食品会社「キューピー」の関連会社に、おじさんから仕入れたマッシュルームの記録が残っていた。

おじさんは2002年に壕を去り、数カ月後に神栖市で病死した。20代を過ごした戦争で何を感じたか知るすべがない。「マッシュルームを輸出すれば外貨獲得手段になると思った」「自分ができることで戦後日本に貢献したかった」という、愛沢らに語った言葉がかすかな手がかりとして残っているだけだ。

赤山地下壕は05年1月に市史跡に指定された。「おじさんが住んでいたことで、壕はいい状態に保たれた」(愛沢)。戦争を語らぬ存在が、戦争の記憶を館山にとどめた。

(文中敬称略、飯田孝幸)

15年7月28日 4,428

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