読者のコーナー:布良に残る男の溜まり場
山口栄彦
(房日新聞2014.9.15付)
戦争体験者が減ったことと同列にすることは気が引けるが、井戸端会議に参加した女性もわずかになった。したがって井戸端会議という言葉は死語に近い。
井戸端会議とは「近所のおかみさんたちが共同の井戸にやってきて、洗い物をしながら世間話に花をさかせます」(『自分の頭で考える』外山滋比古著、中央文庫)
このことについて筆者はさらに続ける。「男性がかつての井戸端会議の場所、即ち床屋、銭湯を失った」と。外山氏に反発するつもりはないが、それに代わるものが現在布良にある。
船引き場(上架場)の端に船具や網などを入れる小屋がある。その小屋を背にして古い椅子が並ぶ。船主や釣り船のオーナー、退職のサラリーマンなど、60代から80代の男たちが集まる。彼らの前には古びたドラム缶があり、たばこ好きな男は吸い殻をそのドラム缶の中に投げ込む。
話の中心はやはり漁のこと。その次はやはり漁のこと。その次は目の前の集落や地元の様子だ。政治や社会のことも時々話題になる。頭上をひっきりなしに東京の羽田に向かう飛行機にも話は及ぶ。
当方が、自由な都会生活に長く浸っている間、男たちは昔からの地元の風習や、あらぬ噂などに耐えてきたのだ。彼らが話す訛(なまり)のある地元の言葉は、独特の響きがあり、ほのぼのとする。「まさしく男の井戸端会議」だ。
絵画の重要文化財≪海の幸≫を残した青木繁にこの光景を見せてあげたい、彼は後世から何と言うだろうか。
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ウガンダ支援続けて20年
安房の高校生ら関係者が交流会 館山
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NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)は7日、安房地域の高校生らによるアフリカ東部のウガンダへの支援活動20周年を記念する交流会を、安房西高校で開いた。関係者ら40人が集まり、活動を振り返ったあと、記念としてウガンダに寄贈するブロンズ像が披露された。
支援のきっかけは、当時、旧安房南高の教諭だった愛沢代表が、孤児の救済活動を行うNGOウガンダ意識向上協会の代表、スチュアート・センパラさん(57)に出会ったこと。ウガンダでは、内戦でエイズがまん延し孤児があふれていることを知った。
愛沢代表は、生徒らにボランティア活動を提案し、94年に支援が始まった。その後、安房高JRC部を経て、安房西高JRC部へと受け継がれて、支援バザーや募金などの活動が続けられている。
安房南高時代の資金援助を原資に2000年には、ウガンダの首都カンパラ市に職業訓練施設「安房南洋裁学校」が完成。交流の象徴として同南高の校章が掲げられた。
この日の交流会では、節目に合わせて作成した記念誌を、高校生や活動を支えた同窓芳誼会をはじめとする出席者に配布して、活動を説明。活動に関わった卒業生や支援を受けたウガンダの子どもたちの声も紹介された。
活動紹介の後には、20周年を記念してウガンダに贈られる、元南高の美術教師で彫刻家の船田正廣さん(76)が制作した、制服姿の安房南高の生徒立像が披露された。寄贈にあたり、安房西高JRC部から約5万円、館山信用金庫からふるさと応援ファンドとして10万円の助成もあった。
愛沢代表は「小さなことから始まった生徒たちの思いが、人と人をつないで素晴らしい活動になった。20年続いていることに感謝するとともに、今後も続いてくことを願っています」と思いを語った。