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(週刊朝日2010.5.7・14合併号)

東京近郊WONDER TRIP

.歴史から消された美しく謎めいた「地下要塞」

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10年4月27日 6,928

青木繁が「海の幸」描いた小谷家、修復終え公開

29日から千葉・館山

(西日本新聞2016.4.7付)‥⇒印刷用PDF


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16年4月7日 5,766

青木繁「海の幸」モチーフは安房神社と布良崎神社の神輿説

館山 フォーラムで2日が力説

(房日2011.9.3付)

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近代洋画家のひとり、青木繁の没後100年を記念した「青木繁《海の幸》フォーラムが、このほど館山市の南総文化ホールで開かれ、市民らが講演や、討論に聞き入った。

有志でつくる青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会が主催した。

講演では、ブリヂストン美術館学芸員の貝塚健氏が、「布良という聖地〜《海の幸》が生まれた場所」と題し、作品の構図や、なぜ布良に行ったのかなどを解説。さらに青木は「海の幸」「山の幸」を制作するつもりだったこと、絵はデッサンして東京で仕上げられたことなどを語った。

海の幸のモチーフについいては、青木が安房神社の古事記歴に人間の根源的な生命観を感じていたこと、明治37年夏に布良に滞在していた青木が、安房神社の例祭を見逃すはずがないこと、神輿の担ぎ手がつくる2列縦隊は、青木の脳裏に強烈に焼きついたであろうことなどから、安房神社神輿説を唱えた。

貝塚氏のあとに登壇したNPO法人青木繁「海の幸」会の吉岡友次郎氏が、青木が滞在した布良の小谷家を、当時の姿に復元し保存していくことの重要性を語り、保存運動への参加を呼びかけた。

このあとの井戸端会議では、布良崎神社神輿世話人の島田吉廣氏が、海の幸のモチーフについて、下絵の状況などから布良崎神社神輿説を力説するなど熱の入った討論が行われた。

11年9月4日 4,792

(2010.3.6付)

安房看護専門学校、最後の学生9人が卒業

39年の歴史に幕〜地域医療支える人材輩出

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安房看護専門学校(館山市湊、野原正校長)は4日、卒業式・閉校式を行い、最後の学生9人を送り出して39年の歴史を閉じた。

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10年3月6日 3,505

「いのちの山河」上映会に1000人超入場

銀幕とおし地域医療考える

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10年3月10日 3,659

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チーバくんのQ〜記者に聞く

「海の幸」誕生の家が保存されるの

公開へ寄付募り解体・復元

1904(明治37)年のひと夏、青年画家が館山市布良(めら)の漁村に逗留(とうりゅう)し、意欲的な作品を残した。それが青木繁の「海の幸」で、洋画初の重要文化財に指定されたんだ。制作現場になった小谷家住宅は今も残り、保存・公開事業がいよいよ来春にも動き出すよ。

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13年11月28日 5,690

新たな地域像のもとでの地域づくりと教育

〜建学の精神による学校づくりを

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NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム

理事長:愛沢伸雄

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07年5月10日 3,530

旧安房南高木造校舎一般公開に多くの市民

木造建築の伝統美に感銘

(房日新聞2017.10.29付)‥⇒印刷用PDF

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17年10月29日 370

◎戦争遺跡保存全国シンポ開催

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戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会(戦争遺跡保存全国ネットワーク主催)が8月21日、館山市内のホテルで始まった。8回目の今大会のテーマは「南房総に戦争の傷跡を見て、戦跡の保存と活用を考える」。全体集会の会場には300人以上が集まった。

同ネットワーク代表の十菱駿武さんが、この1年間の戦争遺跡をめぐる全国の情勢と課題を中心に基調報告。「戦争遺跡の保存活用については、地域のまちづくり計画と組み合わせて民間団体が提案し、『平和の語り部』となるようにすべきだ」などと述べた。

地域報告では、館山市教委の杉江敬さんが市内47カ所の戦争遺跡について説明。保存と活用にあたっては、各個人の価値観の相違、歴史遺産としての評価の難しさ、保存のための制度やコスト負担などの課題に取り組む必要があると指摘した。

大会に先だって、約100人が館山海軍航空隊赤山地下壕跡を見学した。22日は分科会と作家早乙女勝元さんの記念講演がある。

04年8月22日 6,447

読者のコーナー:布良に残る男の溜まり場

山口栄彦

(房日新聞2014.9.15付)

戦争体験者が減ったことと同列にすることは気が引けるが、井戸端会議に参加した女性もわずかになった。したがって井戸端会議という言葉は死語に近い。

井戸端会議とは「近所のおかみさんたちが共同の井戸にやってきて、洗い物をしながら世間話に花をさかせます」(『自分の頭で考える』外山滋比古著、中央文庫)

このことについて筆者はさらに続ける。「男性がかつての井戸端会議の場所、即ち床屋、銭湯を失った」と。外山氏に反発するつもりはないが、それに代わるものが現在布良にある。

船引き場(上架場)の端に船具や網などを入れる小屋がある。その小屋を背にして古い椅子が並ぶ。船主や釣り船のオーナー、退職のサラリーマンなど、60代から80代の男たちが集まる。彼らの前には古びたドラム缶があり、たばこ好きな男は吸い殻をそのドラム缶の中に投げ込む。

話の中心はやはり漁のこと。その次はやはり漁のこと。その次は目の前の集落や地元の様子だ。政治や社会のことも時々話題になる。頭上をひっきりなしに東京の羽田に向かう飛行機にも話は及ぶ。

当方が、自由な都会生活に長く浸っている間、男たちは昔からの地元の風習や、あらぬ噂などに耐えてきたのだ。彼らが話す訛(なまり)のある地元の言葉は、独特の響きがあり、ほのぼのとする。「まさしく男の井戸端会議」だ。

絵画の重要文化財≪海の幸≫を残した青木繁にこの光景を見せてあげたい、彼は後世から何と言うだろうか。

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14年9月15日 1,489

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0036 千葉県館山市館山1016-1さらしな館

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