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そこに住むからこそ伝えられる

地域の魅力や歴史の重み

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(サンケイリビング2005.5.21付)

05年5月21日 5,102

ウガンダ支援の安房高JRC

先輩の河辺さんが現地報告、頻発する停電に驚きの生徒

(房日新聞2011.12.29付)‥⇒印刷用PDF

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11年12月29日 3,532

女性初の館山市名誉市民で(財)館山ユネスコ保育園園長の本多馨氏が7日午後7時42分、胆管がんのため亀田総合病院で死去した。87歳。自宅は館山市館山582.前夜式が9日午後6時から、葬儀は10日午後1時から、いずれも館山市北条の館山斎場で営まれる。喪主は長男慶晴氏。

同市文化団体連絡協議会(現・芸術文化協会)や南総文化ホール友の会会長などを歴任し、長年にわたって地域文化の発展に貢献。県保母会長として、保母の資質向上や身分保障に関する研究調査などにも活躍した。

また、館山音楽鑑賞協会の会長として、広く市民参加を呼びかけてステージ演奏の機会を企画し、市民とともに鑑賞する活動を展開。草の根ボランティア活動から設立された館山国際交流協会では、文化交流第一委員会委員長として、自主的活動による文化分野での国際交流を促進。誠実で温厚な人柄と包容力は、周囲から絶大な信頼を得ていた。

こうした功績が評価され、昨秋の市施行70周年記念式典にあたり、女性として第一号となる名誉市民の称号が贈られた。

10年3月9日 2,073

戦国大名里見氏最後の城主であった10代忠義が、安房の国から伯耆へ国替えとなった縁で、館山市と鳥取県倉吉市の交流が続いているが、その倉吉の地で育った桜が「里見桜」として安房へ里帰りすることになった。里見氏を偲んで館山市で開催される南総里見まつり前日の20日には、城山公園山頂に関係者が集い、植樹祭が行われる。

改易された忠義が最初に住んだ倉吉の神坂町は打吹山の麓にあり、打吹山は郷土が生んだ横綱「琴桜」の名にも由来する桜の名所。蟄居同然の忠義が、打吹山の桜を眺めながら、遠い故国館山に思いを馳せていたであろうことは容易に想像がつく。

そこで、大山や蒜山山麓から流れくる水と、忠義が土となった伯耆の国の大地で桜を育て、忠義400年の思いを「里見桜」として形を変え、故国館山へ里帰りさせよう、と地元の有志が里見桜実行委員会を組織。企画・検討を重ね、NPO法人たてやま・海辺のまちづくり塾の辰野方哉代表へ桜進呈の打診があり、里見まつりウィークに合わせて植樹祭が実現することになった。

山頂で午後4時から行われる植樹祭には、里見氏誕生の地で、辰野氏らとも交流を深めている群馬県旧榛名町からも関係者が来館。倉吉市の同実行委メンバーと館山市からは市長や教育長、観光協会長ら関係者が顔をそろえ、忠義を供養しながら植樹する。

07年10月19日 5,135

房日新聞2009.4.9付に掲載されました。


【観光スポットに人気高く】


館山市が、平和学習・観光交流の拠点として一般公開している

戦争遺跡の赤山地下壕 の平成20年度入壕実績がまとまった。

総入壕者数は1万5389人と前年度比8%のマイナスとなったが、

1日平均では50人弱と相変わらず高い人気を維持しており、

同市の観光スポットとして定着してきたようだ。


同地下壕は、米軍の空襲が激しくなった太平洋戦争末期、

当時の館山海軍航空隊の防空壕として使われた。

総延長1・6`と全国的にも大きな地下壕で、市を代表する戦争遺跡のひとつ。

一般公開翌年の平成17年1月には、市の指定史跡にも指定されている。


入壕状況によると、入壕者の内訳は個人客が8165人で全体の53.1%と半数を超え、

学習旅行などの高校生は18.9%にとどまり、大人が81.1%を占め、

戦前・戦中世代の人たちに関心が高い。


県外からの来訪者も8,345人で54.2%と過半数を数える。

月別では、10月が1,675人と最も多く、次いで8月の1,652人、5月の1,597人、

11月の1,589人の順で続き、10月の1日平均入壕者は57.8人にのぼった。


同市は現在、戦争遺跡への修学・学習旅行 の誘致に力を入れているが、

市教委では大人を対象としたPR活動に一段と力を入れ、

歴史遺産を後世に伝えていきたいとしている。

09年4月9日 2,728

(2010.3.6付)

安房看護専門学校、最後の学生9人が卒業

39年の歴史に幕〜地域医療支える人材輩出

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安房看護専門学校(館山市湊、野原正校長)は4日、卒業式・閉校式を行い、最後の学生9人を送り出して39年の歴史を閉じた。

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10年3月6日 3,585

◎ 旅人ぶらりの書

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「鏡が浦」の別名を持つ館山湾は、名前通り鏡のように波静かだった。

花も野菜も果物もふんだんに採れる温暖な気候、黒潮に近い豊かな海、

首都防衛の要塞としての歴史、人情あふれる人々…。

久しぶりの南房総で、自分の田舎に帰ったように心落ち着いた。

(中略)

翌日は赤山地下壕跡を訪ねる。明治時代から館山には

首都防衛の目的で多くの砲台が築かれたが、

1930(昭和5)年の館山海軍航空隊設置以後は、

「東京湾要塞」の色彩を濃くしていく。

地下壕は延長1.6キロ。発電所まである。

敗戦と同時に一切の資料が廃棄されたため、

詳しい目的や任務は明らかでないが、

本土決戦≠フ秘密基地を目指していたことは間違いない。

戦争遺跡として一般公開されたのは5年前。

参観者は年々増加している。

案内役のNPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子さんが言った。

「太平洋に向かうと、館山の位置は日本列島の最先端になります。

太平洋戦争について考えるとき、絶対に後世に残さなければいけない史跡なんです」

(後略)

09年8月21日 3,717

青木繁が「海の幸」描いた小谷家、修復終え公開

29日から千葉・館山

(西日本新聞2016.4.7付)‥⇒印刷用PDF


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16年4月7日 6,525

「虹のかけ橋〜ウミホタルとアワビがむすぶ日米交流」開催にあたりB

池田恵美子=NPO法人安房文化遺産フォーラム事務局長

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05年9月2日 6,473

青木繁「海の幸」を生んだみち(千葉県)

(朝日新聞be「みちものがたり」2018.10.6付)

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10月6日10時12分 98

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0036 千葉県館山市館山1016-1さらしな館

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