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1945年9月、占領軍上陸の館山

元国鉄職員らの証言集まる

09年9月9日 6,936

●館山市は公的病院に支援を、公認会計士・長氏が講演

新助成制度を説明、安房地域医療センターで提言


旧安房医師会病院の経営改革委員長、総務省の公立病院懇談会座長などを務めた公認会計士、長隆(おさ・たかし)氏の講演会が5日、館山市の安房地域医療センターであった。長氏は、現在は社会福祉法人太陽会が運営する安房地域医療センターの経営について「不採算医療を行う公的病院に対しては、自治体による財政支援が必要」と指摘。館山市が国の新たな制度を利用して、財政支援に踏み切るべきだと提言した。

長氏は、総務省が昨年12月にまとめた「公立病院に関する財政措置の改正要綱」で、小児医療や救急医療などの公的医療を行う施設に対する助成が、新たに特別交付税の措置の対象に加えられたと説明。「館山市にカネを出せと言っているのではない。システムを研究して市が(国から)とってきてほしい」と述べた。また「2億円から3億円、そのぐらいは他の市なら出ている」と指摘し、多額の交付金が期待できるとの見通しを示した。

講演会には安房地域の自治体、医療関係者ら約100人が出席。講演を聞いた金丸謙一館山市長は「制度について調べてみる」と語った。

長氏は、日本の医療機関経営の現状について、「診療報酬制度だけでの医療は破たんしている」と自公政権での医療費削減策を批判。診療報酬の2割アップを掲げる民主党のマニフェストを評価した上で、地域で公的医療を担う民間病院の資金調達を容易にする制度も必要だと訴えた。

一方、民間に比べ給与レベルがはるかに高いなど、公立病院の改革はまだ不足しているとも指摘。公設民営化で自治体一般会計からの繰り出しゼロを実現した愛知県東栄町の成功例を紹介し「この辺で言えば鋸南、富山、隣に鴨川も(国保病院が)ありましたね。そういうところに、いったいいくら税金を投入しているんだということが問われなければいけない。今後は市民の目が厳しくなると思う」と述べた。


●長隆氏の講演要旨


公立、公的病院に対する国の財政支援措置について、県や自治体は必ずしも対応していない。国民に広く知らせ、国の方針に従った財政支援措置を(自治体に)行ってほしいと思い、館山で講演することにした。

公立病院の中には、人件費などの圧縮もせず、従来通りの税金繰り出しを受けている病院も多数みられる。東京都の東大和市周辺の場合、社会医療法人、公立、国立と3つの同規模の病院があるが、社会医療法人が税金投入なしでやっているのに対し、公立は年13億円、国立は4億円の税金が投入されている。

同じような医療をしているのに、こんな税金の使い方を今後も容認していくのか。同じ土俵の上でやらないと。

一方で、公立病院が果たすべき役割の一部を、民間病院が担っている地域も多い。総務省は、民間病院が行っている不採算医療に対して公的支援を行うという方向に舵を切った。自治体はこのような「公的病院」に財政支援してもらい、国はそれを特別交付税の措置の対象にする。

総務省のホームページに、モデルの積算例が書いてある。こういう形で館山市は公的病院に財政支援すべきではないか。 自公政権で毎年医療費を減らし、ひどい状況を招いたことが今回の選挙の結果だ。診療報酬制度だけでの医療は破たんしている。財務省もそれを認めていると私は理解している。国民の命を守るという点で、民主党のマニフェストは評価する。診療報酬20%アップを批判する人には、実際に地方の現場を見てみろと言いたい。

地域の医療、特に遠隔地の医療に貢献している公的病院には、資本的な助成も必要。融資制度の拡大などだ。公立病院と民間病院の条件の格差がありすぎる。

油断すると、公的病院もバタバタ破たんしていく。特に農協が経営している厚生連が多い。一度破たんすると再生は難しい。銚子の例を見ても明らか。予防措置をとらないと町から病院が消えていくことになる。

富山県氷見市の市民病院は、金沢医大の付属病院となる道を選んだ。これはいい例。市の病院の時に比べ、補助金の額は減った。移転新築計画もある。200床を50億円でつくる。市と大学と折半。交付税措置は年2億6000万円で、ほぼ黒字になると言う。

愛知県東栄町では町の国保病院に指定管理者制度を導入し、公設民営に。過疎地だが、平成19年度には税金の繰り出しなしで経営できるようになった。この辺でいえば鋸南、富山、隣に鴨川も(国保病院が)ありましたね。そういうところに、いったいいくら税金を投入しているんだということが問われなければいけないと考える。今後は市民の目が厳しくなると思う。

安房医師会病院は民間移譲した。設立の時は館山市などが多額の資金を出して立派な病院をつくっていただいたが、今までと違ってさらに需要が多くなる中、支援が必要。国からも相当の交付税措置が出るようになった。市にカネを出せといっているのではない。十分システムを研究し、市の行政はそのお金を(総務省から)持ってきてほしい。2億円から3億円、そのくらいのカネは、ほかの市なら出ている。

09年9月8日 5,484

(房日新聞2009.12.1付)

■手づくり甲冑の立ち回りに大きな拍手

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NPO法人安房文化遺産フォーラムが主催する「戦国こすぷれ大会」が29日、館山市の城山公園で行われた。武将や姫君、戦国アニメのキャラクターなどに扮した「戦国コスプレイヤー」約20人が首都圏や関西圏から集合。地元館山の「手作り甲冑隊」も合流し、同じ場所で開かれた「里見市民まつり」(産業まつり)に花を添えた。

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09年12月1日 8,523

●里見氏調査会の報告会〜終焉地への足跡たどる

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「南総里見八犬伝」のモデルとされる里見忠義の研究をしている里見氏調査会の報告会が22日、倉吉市関金町大鳥居の関金総合文化センターで開かれた。調査会のメンバーらが、里見氏終焉の地である関金町での調査結果などを踏まえて講演したほか、座談会で意見を交わした。

里見氏は、戦国時代に安房国(千葉県)を支配した大名。里見氏十代の忠義は、徳川幕府の政策で伯耆国(倉吉市)に転封されて没した。同市東町の大岳院には、忠義と家臣の墓がある。

調査会は、千葉経済大学の川名登名誉教授らによって発足。2007年12月には、同市周辺で総合調査を実施し、同寺から出された文書の原本を核にするなどした。昨年10月には、関係資料などをまとめた報告書「今よみがえる里見忠義の足跡」を出している。

報告会には、里見氏の歴史に関心を持つ約100人が出席。川名名誉教授ら3人が終焉の地への訪問の歴史や忠義と主従の足跡などについて講演した。この中で、里見屋敷があったとされる同町堀の山郷神社で、家臣の命日に執り行われている「六人塚祭典」の様子を撮影した映像が初公開された。

座談会では、堂本暁子前千葉県知事らも加わり、それぞれの所見を述べるなどした。

…日本海新聞2009.8.29付(関金通信部・石田博部長)

09年8月29日 5,136

●和島誠一賞、安房文化遺産フォーラムが受賞

●文化財保護の功績を評価


文化財保存全国協議会(事務局・大阪市)が設立し、文化財保護に功績のあった個人・団体に授与される「和島誠一賞」の第10回受賞者に館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)が選ばれ、14日に京都市の同志社大学で授賞式が行われた。

全国協議会は、同フォーラムがこれまで手掛けた館山市の赤山地下壕をはじめとする戦争遺跡、里見氏稲村城跡などの保存・活用運動を高く評価。「市民に広く文化遺産の歴史的意義の普及をはかられたこと」を「顕著な功績」とたたえた。

愛沢代表は「われわれの活動だけでなく、安房地域の市民がつくり上げたものを全国が評価してくれたのだと思う。これまでの多くの方々の集会参加、署名の取り組みに感謝している」と喜びを語った。

同フォーラムの設立母体は、1989年に安房地域の戦争遺跡の調査、保存を目的に活動をスタート。太平洋戦争中「海軍のまち」だった館山市の当時の歴史掘り起こしに尽力したほか、戦争遺跡を保存し平和学習に活用する取り組みを進めてきた。

96年には里見氏稲村城跡の保存運動に乗り出し、地域住民との現地ハイクを繰り返すなど粘り強い活動を展開。城跡の上に計画された市道建設ルートの変更を勝ち取るなどの実績を挙げた。

和島誠一賞は、文化財保護思想の普及を広く提唱し、神奈川県三殿台遺跡などの遺跡保存を積極的に進めた考古学者、故和島誠一氏を記念し2000年に設立。これまで長岡京東院の保存運動に尽力した作家の永井路子さん、国立歴史民俗博物館館長を務めた故・佐原真氏、長野県の「松代大本営の保存をすすめる会」などが受賞した。


【写真説明】表彰状を手にする愛沢伸雄代表(右)と池田恵美子事務局長


※和島誠一賞の詳細はこちら。

※読売新聞掲載記事はこちら。

※房日サイトの記事紹介はこちら。

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●愛沢代表の受賞挨拶はこちら●

09年6月19日 5,433

房日新聞2009.4.9付に掲載されました。


【観光スポットに人気高く】


館山市が、平和学習・観光交流の拠点として一般公開している

戦争遺跡の赤山地下壕 の平成20年度入壕実績がまとまった。

総入壕者数は1万5389人と前年度比8%のマイナスとなったが、

1日平均では50人弱と相変わらず高い人気を維持しており、

同市の観光スポットとして定着してきたようだ。


同地下壕は、米軍の空襲が激しくなった太平洋戦争末期、

当時の館山海軍航空隊の防空壕として使われた。

総延長1・6㌔と全国的にも大きな地下壕で、市を代表する戦争遺跡のひとつ。

一般公開翌年の平成17年1月には、市の指定史跡にも指定されている。


入壕状況によると、入壕者の内訳は個人客が8165人で全体の53.1%と半数を超え、

学習旅行などの高校生は18.9%にとどまり、大人が81.1%を占め、

戦前・戦中世代の人たちに関心が高い。


県外からの来訪者も8,345人で54.2%と過半数を数える。

月別では、10月が1,675人と最も多く、次いで8月の1,652人、5月の1,597人、

11月の1,589人の順で続き、10月の1日平均入壕者は57.8人にのぼった。


同市は現在、戦争遺跡への修学・学習旅行 の誘致に力を入れているが、

市教委では大人を対象としたPR活動に一段と力を入れ、

歴史遺産を後世に伝えていきたいとしている。

09年4月9日 4,003

◎館山のNPO「和島誠一賞」受賞

…戦争遺跡、城跡の保存評価

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館山市のNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(愛沢伸雄代表)が、文化財保護に功績のあった個人・団体に贈られる「第10回和島誠一賞」を受賞した。館山市の赤山地下壕をはじめとする戦争遺跡や里見氏稲村城跡などの保存と、その歴史的意義の普及に取り組んだ活動が高く評価された。

この賞は、文化財保護思想の普及に努め、神奈川県三殿台遺跡などの遺跡保存に取り組んだ考古学者・和島誠一(1909〜71)の功績をたたえ、文化財保存全国協議会(事務局・大阪市)が2000年に設立した。

同NPOは、安房地域の戦争遺跡の調査・保存などに取り組む市民有志らが設立母体で、その活動は1989年から続いている。

昭和戦争中に「海軍のまち」といわれた館山市の歴史を掘り起こして、平和学習への活用を進めたほか、96年には里見氏稲村城跡の保存運動に取り組み、1万人を超える署名を集めて、当初城跡の上に計画されていた市道建設ルートの変更を実現させた。

愛沢代表は「地域のシンボル的な里見氏の文化遺産を守れなければ、戦争遺跡などの保存もあり得ないと思い、2つの保存運動を並行して進めてきた。市民がつくりあげたものが評価されたのだと思う」と受賞の喜びを語った。

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09年6月24日 4,916

◎米軍上陸時のフィルム上映

…9月3日、館山地区公民館で当時の目撃者募る

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館山市のNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(愛沢伸雄代表)は9月3日午後1時半から同市館山の館山地区公民館で、終戦間もなく館山に上陸した米占領軍の模様を記録したフィルムの上映会を行なう。

9月3日は昭和20年、米陸軍の3,500人の部隊が、館山に上陸を始めた日。同フォーラムは、所有する貴重な上陸シーンの映像を今回初めて一般向けに上映。この機会に「当時の模様を目撃した人や、終戦直後の館山の様子をよく知る人たちの新たな証言を募り、歴史の掘り起こしに役立てたい」(池田恵美子事務局長)としている。

上映するのは米軍が日本占領時の模様を撮影し、米公文書館に保管されていたフィルムの一部。20年ほど前に愛沢代表が公開部分を業者を通じて購入したが、その中に館山、房州の模様が映っている部分が約20ほどあった。

フィルムには▽米艦船が館山海軍航空隊の施設に接岸し、兵員とともに荷物や自動車が荷揚げされている様子▽館山駅に集合した米兵が、列車で移動する様子—などが記録されている。上陸地点の高の島周辺で米軍の様子を遠巻きにうかがう住民、子どもや、館山駅で改札を通る女性の姿なども映っている。

当日はフィルム上映のほか、愛沢代表が「終戦直後の館山での直接軍政」などについて、これまでの歴史調査の概要を報告する。

同フォーラムによると、マッカーサー将軍が厚木に到着した翌日の昭和20年8月30日、館山と富津岬には米軍の先遣隊が上陸。9月2日の戦艦ミズーリ号での降伏文書調印を経て、3日には館山市に占領軍の第1陣が上陸した。市内には日本外務省の出先機関として「終戦連絡委員会」が置かれ、4日間にわたり米軍の「直接軍政」が敷かれた。

09年8月26日 5,588

布良の神輿、改修披露

担ぎ手40人が助っ人に

(房日新聞2009.6.16)

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09年6月16日 924

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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