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布良の神輿、改修披露

担ぎ手40人が助っ人に

(房日新聞2009.6.16)

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09年6月16日 919

(読者のコーナー)

6月1日を前にして

....山口栄彦

.....(NPO法人安房文化遺産フォーラム会員)


館山海軍砲術学校が安房郡神戸村佐野(現館山市佐野)で開校されたのは1941(昭和16)年6月1日だった。富崎や神戸地区が心に深く刻まれているように、館山砲術学校(以下館砲)の残像がぬぐいきれない。そこで、開校記念日をまえに2、3触れてみたい。

安房地域特別支援学校のあたりに館砲の下士官とその家族用の住宅があり、「官舎」と呼ばれていた。敗戦後、官舎は地域住民に払い下げられた。やがて、土地の接収が始まったので夫が家を解体して今の場所に移った。その後部屋を一間増やし今も住んでいる。「古くて恥ずかしいです」と、Sさんはしきりに言う。恥ずかしいどころか、家は館砲にまつわる数少ない戦争遺跡の一つだ。

去る4月、1人の女性が南房総市の大房岬を訪ねた。神戸市に住む岡田啓子さん(64)だ。44(昭和19)年館砲で米国の西海岸上陸を目的とした海軍レンジャー部隊呉101特別陸戦隊、通称山岡部隊(約300人)が編成され、主に富浦地区で訓練を続けた。戦局の悪化で作戦はサイパン上陸に変更され、隊員だった啓子さんのご尊父は、特攻出撃をまえに遺書まで残したが、敗戦となり生きのびた。富浦で生まれた啓子さんは、自分の出生の地と若き日の父親の足跡を求めて来房した。「こんな場所での訓練は二度としてほしくない」と、啓子さんは大房の崖を見上げて呟いた。

館砲のA主計長は学生時代から絵を描くのが好きだったようだ。主計長からの

便りでがしばらく絶えたのを心配した父親は、44年の初夏、息子に面会するために山形市からはるばる館山にやって来た。主計長は部下(民間人)の不祥事の責任を取らされ、米軍の上陸が迫るニューギニアのビアク島に極秘に送られていた。後任のO主計長は前任者にかかわる真相は知っていたが、軍紀上それをA主計長の父親に明らかにできなかった。「あれは息子が描いた絵に違いありません」と、A主計長の父親は壁の絵を指した。A主計長はビアク島で戦死した。

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*房日新聞2009.5.13付

*岡田啓子さんの来房レポートはblog安房国再発見

09年5月13日 3,949

布良の神輿、改修披露

担ぎ手40人が助っ人に

(房日新聞2009.6.16)

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09年9月16日 794

◎青木繁の「海の幸」記念碑

解説モニュメント設置

…地区の観光振興に期待

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明治の洋画家・青木繁が滞在した館山市布良の地に建立されている「海の幸」記念碑脇に、その経緯などを詳述した解説モニュメントが設置された。記念碑の保存活用をめざす地元の声を受け、国の地域活性化・生活対策臨時交付金で市が事業化。新たな観光スポットとして期待されている。

1904(明治37)年夏、東京美術学校を卒業した青木は、恋人の福田たねや画友の坂本繁二郎らとともに写生旅行に布良を訪れ、網元の小谷家に滞在。ここで、後に近代洋画では最初の重要文化財に指定された「海の幸」を描いた。

記念碑は、青木の没後50年を記念して1962(昭和37)年、当時の館山市長らが発起人となり、「海の幸」の舞台となった阿由戸の浜が一望できる小高い丘の上に建立された。

布良を含めた富崎地区では最近、地区住民などが中心となり、「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」も設立され、青木繁や「海の幸」を題材とした地域活性化に向けた動きが活発化。地区内には青木繁が逗留した小谷家住宅や阿由戸の浜、布良崎神社などの地域資源も多く点在する。

そこで、市商工観光課が「地域における観光振興の一助になれば」と解説モニュメント設置を事業化。高さ1メートル、幅1.6メートルほどの台座にCAPPセラメタルで「海の幸」のレプリカを、さらに経緯などをまとめた解説を加えた。事業費は約173万円。

09年7月25日 5,109

◎「画家になりたい」愛沢さん遺作展

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24歳の若さでこの世を去った館山市の愛沢綾子さんの絵画を紹介する「愛沢綾子回顧展—わたしは画家になりたい—」が、9月20日から23日まで南房総市富浦町の枇杷倶楽部ギャラリーで開かれる。

愛沢さんは安房高校を卒業後、日本女子大学心理学部に入学したが、在学中に統合失調症を発症。自宅療養する中で絵を描き始め、2006年と08年に個展を開催、この年の7月に永眠した。絵画展は、一周忌を過ぎたことから父親の伸雄さんが、綾子さんが残した多くの作品を一般の人に鑑賞してもらおうと企画した。イラストや、抽象画、静物画などおよそ50点が展示される。

09年9月17日 6,863

守ろう地域医療①安房の現状と課題

宮川準・安房医師会長

09年11月14日 10,180

◎平和の尊さ語り継ごう

…館山11日に反核フェスティバル

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核兵器の開発・拡散に反対し、平和の大切さを考える「安房反核フェスティバル」(同実行委員など主催、館山市、房日新聞社など後援)が11日午前10時から午後5時まで、館山市コミュニティセンターで開かれる。

行事の一環として、原爆の非人道性と被害の悲惨さを分かりやすく説明した写真パネル展示が1日かた館山駅の市民ギャラリーで始まった。14日まで。

同フェスティバルは、今年で29回目。11日は広島市民が原爆の記憶を描いた絵などを展示するほか、戦中戦後の厳しい食糧事情を再現した「すいとん食堂」で、さつまいものつるのきんぴら、大根めしなどを食べてもらう。

午後2時からは、安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表が「安房の戦跡から平和を考える」とのテーマで講演する。

実行委員長の古畑玲子さんは「今年は『すいとん食道』に力を入れている。食べながら語り合うことで、当たり前の生活ができる幸せ、戦争のない世の中の大切さを確認できれば」と話している。

09年7月3日 3,646

◎館山の戦跡、史跡の保存活用を評価

…功績認められ和島誠一賞

…NPO安房文化遺産フォーラム

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09年7月2日 3,676

◎版画家・秋山巌氏が作品展、1月にトークショーも

…落下傘部隊・棟方志功の弟子・山頭火の世界…

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種田山頭火の俳句やフクロウなどの動物、民話を主な題材とし、作品がロンドンの大英博物館にも所蔵されている版画家・秋山巌氏(88)=松戸市在住=の作品展とトークショーが、館山市で1月に開かれることになった。

秋山氏は昭和16年(1941)、海軍落下傘部隊の隊員として館山海軍航空隊で3か月間の訓練を受け、太平洋戦争開戦時の作戦に参加した。これまで戦争体験を外部に話すことはなかったが、TBSテレビのドキュメンタリー番組の取材を受け、当時の模様を証言したことをきっかけに「思い出の地」館山での作品展開催を決めたという。

2つの企画を進めている館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子事務局長は「戦中戦後を通し、落下傘兵から版画家として生きた秋山先生の生きざまは、閉塞した現代社会に生きる私たちにも、大きな気づきと祐樹がもらえる気がします。1人でも多くのと分かち合い、まちづくりのヒントにしたい」と話している。

秋山氏は大分県竹田市出身。開戦時は横須賀鎮守府第三陸戦隊としてティモール島のクパン(現・インドネシア)に落下傘で降下。さまざまな作戦に参加し、ラバウルで終戦を迎えた。

戦後は美術の道に進み、棟方志功や坂本繁二郎に師事。独学で民族学、仏教学、俳詩、水墨画などを学び、山頭火の世界を描いてきた。

作品展開催を決めた秋山氏は14日から3日間にわたり、65年ぶりに館山を訪問。安房神社にある「落下傘部隊戦没者慰霊碑」を参拝した。

同部隊の総勢1,500人のうち、生きて終戦を迎えたのはわずか200人だったという。関係者は「戦争体験を語ったことで若い日の思い出がよみがえり、館山へ行きたいとの思いが強くなったようだ」と話した。

作品展は1月19日から25日まで、同市の大巌院で。入場無料で、木版画約30点が展示される予定。トークショーは1月23日午後7時から南総文化ホール小ホールで。入場料500円。チケットは同ホール、宮沢書店、松田屋などで今週末ごろから発売される。

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(房日新聞2009.12.22) …催しの詳細はコチラ

09年12月22日 10,393

◎旧軍都で語る「いのち」

…7月10日文化ホール「無言館」館主が講演会

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生を断ち切られるまでキャンパスに向かい続けた戦没画学生たちの作品を収蔵・展示する長野県上田市にある美術館「無言館」の窪島誠一郎館主を迎えての後援会が7月10日、館山市の県南総文化ホール小ホールで開催される。かつて軍都であった館山の地で、画学生たちがいまに残すいのちの叫びを窪島誠一郎館主が語る。入場500円で午後6時から。

無言館は、信濃デッサン館を主催する窪島さんが、戦時中に東京美術学校を繰り上げ卒業して満州に出征し、病のために復員した画家の野見山暁治さんと全国行脚して当時の画学生たちの遺作を収集。全国から寄せられた篤志をもとに平成9年、デッサン館に隣接して開館した。以来、異色の美術館として脚光を浴び、年間10万人を超える入館者を集めている。

講演会は、同館を訪ねた地元の画家・溝口七生さんや、溝口さんと一緒になって平和のための美術展を開いてきた年金者組合安房支部長の橋本芳久さん、地域の戦争遺跡保存に取り組むNPO代表の愛沢伸雄さんらが、「その感動を伝えたい」と実行委員会を組織して企画。地域の文化人やあらゆる団体に呼びかけ、多忙な窪島館長との日程調整を経て実現にこぎつけた。

館山市には戦時中、館山海軍航空隊のほか洲崎海軍航空隊、館山海軍砲術学校の3部隊があり、学徒出陣で多くの予備学生も集められた。当然、少なからずの画学生たちもおり、現に何人かの作品が無言館に展示されている。

「その館山の地で平和にいまを生きる私たちはどう受け止めるべきか考えてみたい。それが、彼らへ捧げるレクイエム(鎮魂歌)になるのではないでしょうか」と実行委は多くの来場を呼びかけている。入場チケットは南総文化ホールで扱っている。問い合わせは、事務局の橋本さん(0470—29—1290)へ。

【写真説明】無言館の窪島誠一郎館主

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房日サイトはこちら。

09年6月30日 4,034

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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