(房日新聞2010.6.16付)
金丸市長が立候補表明
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11月に行われる館山市長選挙に現職の金丸謙一氏(61)=同市那古=が15日、再選をめざして出馬する意思を明らかにした。この日開かれた6月市議会一般質問で、三澤智議員の質問に答えたもので、これまで取り組んできた諸施策に「すでに芽が出て花が咲き実を結んだものもあるが、ようやく芽が出たものもあり、これらの施策を育てていかなければならない責務を痛感している」としたうえで、「謹んで、館山市長選に出馬することを表明させていただきます」と決意を表明した。
金丸市長はこの中で、「市長就任以来、私の政治信条である『聞く・見る・動く』を実践するなかで、各種施策の種をまいてまいりました」としながら、「一方で、自省すべきは自省し、心新たに臨んでゆく覚悟である」とこれまでの市政運営を総括。自身の政治目標とする「日本でいちばん住みやすいまちづくりに全力を尽くしていきたい」と述べた。
そのうえで、重点施策として「首都圏からのアクセス向上を受けて、交流人口や移住定住増をはかり、観光振興による経済活性化をはかっていく」とし、「①元気な市民②元気な経済③元気な財政の3つの『元気』により、元気なふるさと館山の実現に向け、市民とスクラムを組んで、全力でその責務を果たしていきたい」と立候補の決意を語った。
金丸氏は、4年前の市長選に市議から鞍替えして立候補。3選をめざした現職と、保守勢力をバックにした会社役員の新人とによる三つ巴戦を制して初当選した。
同市長選では、現職と高校時代の同級生で、東京・中野区の前副区長の石神正義氏(61)の出馬が確実視されており、このまま一騎打ちの〝同級対決〟にもつれ込む公算が濃厚となっている。
館山市(千葉)は船中、軍事要塞化された
有事法制の危険、戦跡が告発
花作りは禁止、無数の地下壕
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千葉県房総半島の先端に位置する館山市は戦争中、「帝都防衛」の最重要拠点として軍事要さい化された地域です。その戦跡の発掘や保存、ガイドをライフワークとして取り組む高校教師の愛沢伸雄さん(50)=安房歴史教育者協議会世話人=は、「これらの戦跡は、有事法制の危険性を告発しています」と訪れる人たちに語っています。
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調査・保存にとりくむ教師・愛沢伸雄さん語る
海と花畑で知られる館山市。一方で、市内には館山海軍航空基地や砲術学校の各施設、砲台、水中・水上特攻基地、本土決戦に備えた地下ごうなど、無数の戦跡が残されています。
十年前から戦跡の調査や保存活動を生徒たちといっしょにすすめてきた愛沢さんは「最近、戦跡をめぐるツアーの希望も殺到しているんです」と笑います。三月十九日には、婦人民主クラブ(再建)東京協議会の女性約四十人が訪れました。
一行が訪れたのは、館山海軍航空基地跡に隣接する「赤山」地下航空要さい跡と、戦争末期に掘られた「一二八高地抵抗拠点地下ごう」。岩山に無数のトンネルを張り巡らせた赤山地下要さいは、司令部、武器庫などに使用されたといいます。
「館山海軍航空基地は中国爆撃を担った侵略の中心。地下ごうは本土決戦の拠点で、天皇や大本営を松代(長野県)に移すまでの“捨て石”だった場所です。降伏が数週間遅かったら、沖縄と同じ悲劇が起こったかもしれません」と、地下ごうのなかで解説する愛沢さん。参加者からも「身近な千葉に、こんなに大きな地下ごうがあるとは…」とため息がもれます。
こうした戦跡の実態が長い間埋もれてきたのには理由があります。要さい周辺は、憲兵や特高警察のきびしい監視下におかれました。また、住民が住民を監視する体制も築かれ、ものをいえない土地にしてしまったのです。「戦争の準備とはそういうものです。国民の目と口をふさぎ、総動員していく有事法制とまったく同じです」と愛沢さんは語ります。
戦争の犠牲は特産の花にもおよびました。全国でも有名な房総の花畑も、三八年の「国家総動員法」を受けて栽培が禁止されました。植えれば「非国民」。「取り締まりはきびしく、青年団が納屋を調べて歩いたそうです。しかし、抵抗する農民がひそかに山奥で栽培し、命がけで苗や種を現在に伝えたのです」
愛沢さんはいいました。「戦前の過ちを二度と繰り返してはいけません。有事法制を阻止するためには『知ること』が大切です。戦争のとき自分たちの地域がどうだったのか学ぶことで、地に足がついたたたかいができると思うのです」
参加した婦人民主クラブ(再建)の伊藤正子さん(86)は「私も夫を戦争で失うなど大変な思いをしてきた一人として、有事法制は絶対許せないという思いを強くしました。今日聞いた話を、ぜひ周囲の人に伝えたい」と語っていました。
(写真)館山海軍航空基地「赤山」地下要さい跡で婦人民主クラブ(再建)の人たちに説明する愛沢伸雄さん(中央)=19日、千葉県館山市
(房日新聞2009.12.1付)
■手づくり甲冑の立ち回りに大きな拍手
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NPO法人安房文化遺産フォーラムが主催する「戦国こすぷれ大会」が29日、館山市の城山公園で行われた。武将や姫君、戦国アニメのキャラクターなどに扮した「戦国コスプレイヤー」約20人が首都圏や関西圏から集合。地元館山の「手作り甲冑隊」も合流し、同じ場所で開かれた「里見市民まつり」(産業まつり)に花を添えた。
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館山の空を飛んだ落下傘兵から山頭火を描く画家へ…
秋山巌さん(松戸市在住)
聞き手=池田恵美子
死の恐怖と生の喜び
館山の訓練で教わる
昭和16年、海軍で落下傘部隊に選抜されて館山で訓練を受けた。高度300mで航空機から飛び出し、パラシュートを広げて館空に着地する。飛び出した瞬間は目の前が真っ暗になる。尻込みしても、容赦なく空中にたたき落とされる。
落下傘が開かないで、地上に激突し死んだ者もいた。風が強いと空中で流され海に落ちる。すぐ救助隊が出るが、これも間に合わないで死んでいく。次は自分の番かもしれない。だが訓練を拒否することはできない。一度飛ぶと10円もらえた。今の10万円ぐらいの価値があった。だが金を残す気はなかったですね。
台湾の基地を経由して、開戦後の17年初めにティモール島のクパン(現インドネシア)に上陸。最初の2日間の戦闘で、部隊500人のうち30数名が負傷した。その後はミレ島(マーシャル諸島)の警備などをして、同年暮れにいったん日本に戻った。自転車より遅いのではという貨物船に乗った。米軍の潜水艦攻撃が怖くて、夜は板きれと水筒を持って甲板で寝た。
18年に館山砲術学校で各種兵器の取り扱い訓練を受け、部隊を再編成。サイパンへ向かう前に、アッツ島へ応援だと言われた。2万人の米兵の中に突っ込めという作戦だった。これは中止になったが、アッツ島の日本兵は見殺しになった。
サイパンでは、ガダルカナルに向かい敵を襲撃する200名の部隊に選抜された。「たった200人で何ができる」と疑問に思ったが、反抗できるわけもない。泣く泣くサイパンを発ったが、数ヶ月後にはサイパンに米軍が上陸した。私は結局ラバウルにいて他の部隊の応援などをし、そこで終戦を迎えた。運がよかったとしかいいようがない。
終戦時は対空砲の担当。それまで毎日グラマン(戦闘機)などが来襲していたのに、8月14日は来なかった。おかしいなと思っていたら、15日に敵機が低空飛行して「日本は降伏した」とビラをまいた。暗号兵の友人からそれらしき話も聞いていたし驚きはなかった。ホッとして、やれやれという気持ちだった。
私は大分県竹田生まれの百姓の子。近くの寺の和尚が墨絵を描いていて、8歳のころから手ほどきを受けていた。
戦後、坂本繁二郎さんがやっていた太平洋美術学校に入り、毎日デッサンをしていた。坂本さんは寡黙な先生で「この線はいかん」とか注意はするが叱りはしない。ほどなく先生は郷里の福岡に帰られてしまい、新しく来た先生が気に入らなくて学校は辞めた。
棟方志功との出会いは、日本橋に絵の具を買いに行き、白木屋(デパート)で展覧会を見たこと。躍動感と墨の色にひかれ、次の日も見に行った。それで門下生となり、版画の世界に入った。
彼の有名な言葉だが、棟方さんには「お前の絵には化け物がない。化け物を出せ」と何度も言われた。後日、大原美術館でその言葉の由来を聞いた。昭和初期、柳宗悦が初めて棟方の版画を見た時、京都の河井寛次郎に「化け物を見た。すぐ来い」と電報を打ったのだという。
柳宗悦さんが棟方に「井戸は2本掘らなければダメだ」と話したという。絵一本でなく、想像力をつけるために文学や詩を読めと。私は遠野物語を絵にしようと東北に通ったり、一茶や西東三鬼の俳句に興味を持ち、そんな中で種田山頭火に出会った。
「生死(しょうじ)の中の雪降りしきる」という山頭火の句を彫っていた時、仲のよかった和尚の薦めで永平寺本山が募集したポスター原画に応募。これが特選に選ばれた。それまでは、なかなか芽が出なかったのだが。
その後、知らない間に私の作品が、大英博物館に所蔵・展示されていると聞かされた。フクロウをモチーフにした作品を米国の美術館に出したら、評判になったり。忘れたころにボストンの大きな画廊から突然の注文の依頼がきて、縁の下から版木を引っ張り出したこともある。
戦争の善し悪しは論じないが、私は館山で6か月間訓練を受け、そこで死の恐怖と生の喜び、人に対する思いやりを徹底的に教わった。縁がある館山で今後、私が文化面で出来ることがあれば手助けしたい。
(本稿は1月23日に南総文化ホールで行われたトークショーの内容を要約・再編成したものです)
(房日新聞2010.1.26付)