◎館山のNPO「和島誠一賞」受賞
…戦争遺跡、城跡の保存評価
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館山市のNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(愛沢伸雄代表)が、文化財保護に功績のあった個人・団体に贈られる「第10回和島誠一賞」を受賞した。館山市の赤山地下壕をはじめとする戦争遺跡や里見氏稲村城跡などの保存と、その歴史的意義の普及に取り組んだ活動が高く評価された。
この賞は、文化財保護思想の普及に努め、神奈川県三殿台遺跡などの遺跡保存に取り組んだ考古学者・和島誠一(1909〜71)の功績をたたえ、文化財保存全国協議会(事務局・大阪市)が2000年に設立した。
同NPOは、安房地域の戦争遺跡の調査・保存などに取り組む市民有志らが設立母体で、その活動は1989年から続いている。
昭和戦争中に「海軍のまち」といわれた館山市の歴史を掘り起こして、平和学習への活用を進めたほか、96年には里見氏稲村城跡の保存運動に取り組み、1万人を超える署名を集めて、当初城跡の上に計画されていた市道建設ルートの変更を実現させた。
愛沢代表は「地域のシンボル的な里見氏の文化遺産を守れなければ、戦争遺跡などの保存もあり得ないと思い、2つの保存運動を並行して進めてきた。市民がつくりあげたものが評価されたのだと思う」と受賞の喜びを語った。
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◎青木繁の「海の幸」記念碑
解説モニュメント設置
…地区の観光振興に期待
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明治の洋画家・青木繁が滞在した館山市布良の地に建立されている「海の幸」記念碑脇に、その経緯などを詳述した解説モニュメントが設置された。記念碑の保存活用をめざす地元の声を受け、国の地域活性化・生活対策臨時交付金で市が事業化。新たな観光スポットとして期待されている。
1904(明治37)年夏、東京美術学校を卒業した青木は、恋人の福田たねや画友の坂本繁二郎らとともに写生旅行に布良を訪れ、網元の小谷家に滞在。ここで、後に近代洋画では最初の重要文化財に指定された「海の幸」を描いた。
記念碑は、青木の没後50年を記念して1962(昭和37)年、当時の館山市長らが発起人となり、「海の幸」の舞台となった阿由戸の浜が一望できる小高い丘の上に建立された。
布良を含めた富崎地区では最近、地区住民などが中心となり、「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」も設立され、青木繁や「海の幸」を題材とした地域活性化に向けた動きが活発化。地区内には青木繁が逗留した小谷家住宅や阿由戸の浜、布良崎神社などの地域資源も多く点在する。
そこで、市商工観光課が「地域における観光振興の一助になれば」と解説モニュメント設置を事業化。高さ1メートル、幅1.6メートルほどの台座にCAPPセラメタルで「海の幸」のレプリカを、さらに経緯などをまとめた解説を加えた。事業費は約173万円。