戦国大名里見氏最後の城主であった10代忠義が、安房の国から伯耆へ国替えとなった縁で、館山市と鳥取県倉吉市の交流が続いているが、その倉吉の地で育った桜が「里見桜」として安房へ里帰りすることになった。里見氏を偲んで館山市で開催される南総里見まつり前日の20日には、城山公園山頂に関係者が集い、植樹祭が行われる。
改易された忠義が最初に住んだ倉吉の神坂町は打吹山の麓にあり、打吹山は郷土が生んだ横綱「琴桜」の名にも由来する桜の名所。蟄居同然の忠義が、打吹山の桜を眺めながら、遠い故国館山に思いを馳せていたであろうことは容易に想像がつく。
そこで、大山や蒜山山麓から流れくる水と、忠義が土となった伯耆の国の大地で桜を育て、忠義400年の思いを「里見桜」として形を変え、故国館山へ里帰りさせよう、と地元の有志が里見桜実行委員会を組織。企画・検討を重ね、NPO法人たてやま・海辺のまちづくり塾の辰野方哉代表へ桜進呈の打診があり、里見まつりウィークに合わせて植樹祭が実現することになった。
山頂で午後4時から行われる植樹祭には、里見氏誕生の地で、辰野氏らとも交流を深めている群馬県旧榛名町からも関係者が来館。倉吉市の同実行委メンバーと館山市からは市長や教育長、観光協会長ら関係者が顔をそろえ、忠義を供養しながら植樹する。
●大学教授ら「里見氏調査会」立ち上げ
…14日から鳥取で学術調査
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戦国武将里見氏の調査を行なっている研究者が「里見氏調査会」を立ち上げた。12月14日から里見氏終焉の地となった鳥取県倉吉市で、学術調査を実施する。現地の行政や、団体の協力を得て、江戸初期に改易され、現在の鳥取県倉吉市に移封された里見氏最後の当主、忠義を中心に調査を行なうことにしており、「調査は双方の交流推進に大きな意義がある」としている。
メンバーは、千葉経済大学名誉教授で代表の川名登氏、千葉大学教授で千葉県史中世史部会長を務める佐藤博信氏、東京大学史料編纂所国内研究員で千葉県史専門の滝川恒昭氏、法政大学非常勤講師の和気俊行氏、それにNPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム理事長の愛沢伸雄氏の5人。一行は14日に発ち、16日まで現地の博物館、ゆかりの寺院、史跡などを調査。この間、倉吉市内で講演も予定されている。
忠義は、江戸初期に伯耆国(鳥取県)に移封され、およそ8年後に亡くなったとされる。これまでは、個々の調査が行われるなどして、房州では忠義に関する通説はあったが、総合的な調査が行われておらず未解明の部分もあるという。倉吉でも、里見に関する研究者がいないため、里見に関する文献が少ないのが実情。今回初めて実施する調査では、現地の関係者の案内で調査地を訪問し、結果を報告書にまとめることにしている。
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