『実践事例にみる ひと・まちづくり 〜グローカルコミュニティの時代〜』
編集:瀬沼頼子/齋藤ゆか(ミネルバ出版)2,625円
千葉県館山市の事例 〜 文化財保存運動とピースツーリズムの実践
執筆:池田恵美子
●「平和の文化」を育てる
いつもと違う視点で、足もとの地域を見つめ直してみると、今まで見えなかっ たまちの宝が見えてくる。しかし、価値がないと思われていたものを、実は価値ある文化財なのだということを人びとに知らしめ、後世に残すということはたやすいことではない。路傍の石の輝きを伝えるストーリーテラーこそ、まちづくりプロデューサーである。
国連では、ユネスコの提唱を受けて2000年を「平和の文化国際年」とし、さらに「持続可能な開発のための教育の10年」を展開している。「平和の文化」とは、争いや対立を創造的対話によって解決していこうとする価値観や行動様式のこと。ユネスコ平和の文化局長は、「軍需産業に対抗し得る平和産業としてピースツーリズムを育てていかなくてはならない」と提言した。ここでいうピースツーリズムとは、「平和の文化」に焦点を当てて地域資源を活用した持続可能な地域着地型観光といえる。
千葉県館山市では、戦争遺跡(戦跡)の調査研究と平和学習の授業実践からはじまった保存運動によって、「地域まるごと博物館(エコミュージアム)」とピースツーリズムのまちづくりがすすめられている。ガイドとして活躍するシニア層は、さしづめ「市民学芸員」であるといえよう。
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●戦争遺跡を保存する
幕末の黒船来航以来、東京湾入口の洲崎には砲台がおかれ、館山を中心とする房総半島と対岸の三浦半島は、50年かけて「東京湾要塞」が構築されていった。館山は関東大震災で99%壊滅したが、その7年後には館山湾を埋め立てて館山海軍航空隊が開かれ、艦上攻撃機のパイロット養成や海軍初の落下傘部隊の訓練など、大きな役割を果たしている。アジア太平洋戦争末期になると本土決戦が想定され、陸海空の特攻基地が次々とつくられた。地上戦を目前に控え終戦を迎えたが、戦艦ミズーリ号での降伏文書調印式の翌日には米占領軍が上陸し、館山は本土で唯一の直接軍政が敷かれた。しかし、4日間で解除となり、この重要な出来事は歴史上から消されてしまったのである。
戦後の長い間、放置されあるいは開発によって破壊されていた戦跡は、「戦後50年」の取り組みを機に注目され、市民向けの公民館講座やフィールドワークが繰り返され、保存を求める市民運動に発展していった。この活動はマスコミ報道や口コミによって知られ、全国からスタディツアーが来訪するようになり、市民ガイドが誕生しはじめた。観光地である館山に戦争のイメージはふさわしくないという声もあり、保存への道のりは困難を伴ったが、2004年春、館山を代表する赤山地下壕が市によって整備、一般公開され、翌年には市指定文化財となった。戦争遺跡保存全国ネットワークのなかでも、先駆的な事例として評価されている。
館山には、近代史を理解するうえで欠くことのできない史跡と評価された戦跡が数多く残っている。民有地や国有地に放置されているが、地権者が亡くなるたびに相続税の問題で売却されたり、開発で破壊されるなど課題は山積しており、まだまだ保存運動は道半ばである。
●海洋世界と交流する
ピースツーリズムの素材は、戦跡ばかりではない。海を通じて、アジア太平洋世界の人びとと交流し、共生してきた痕跡を見ることができる。その代表格は、1624年に建立された「四面石塔」である。東西南北の各面に、印度梵字・中国篆字・和風漢字・朝鮮ハングルの文字で「南無阿弥陀仏」と刻まれている。なぜ江戸初期の館山にこのような国際的な碑が建てられたのか、謎の多い文化財である。秀吉の朝鮮侵略から家康の日朝国交回復という時代背景のなか、異国で亡くなった拉致被害者の供養と平和祈願をこめたのではないかと推察される。
また明治期には、館山湾で訓練していた水産教育の初代練習船「快鷹丸」が、遠洋実習の朝鮮海域で嵐に遭遇して難破し、4人の学生と教員が亡くなっている。残りの乗組員は現地の漁師に助けられ、後に供養のための遭難記念碑が建てられた。戦争が終わったとき、日本の支配から解放されたことを喜んだ韓国人たちは、この碑を倒し土中に埋めてしまった。戦後30年経った頃、心ある韓国人らによって碑は掘り起こされ、元の姿で再建された。遭難から百年目、館山の市民と東京水産大学卒業生らは供養のために訪韓し交流した際、韓国の漁師らは次のように語った。
「ここ浦項は韓国最東端の岬であり、独島(竹島)や日本にも近いが、ここで漁をして生きていくには国境問題など関係なく、どこの国の船でも助け合わなければならない。だから、海に生きる男同士の友情の証として、この碑を守っていく」と。
善隣友好の理念が象徴されているのであれば、私たちは館山に残っている同時代の遭難記念碑にも目をとめ、平和学習の素材として語り継がなくてはならない。複雑な歴史を繰り返してきた両国が、互いをより理解し、交流を育んでいくためにも、重要な文化財である。
館山のピースツーリズムは、国内交流にとどまらず、国際交流を育んでいる。先人たちが培った〝平和・交流・共生〟の精神を学びながら、「新たな公共」としてグローカル・コミュニティ創生に取り組んでいる。