●大巌院のハングル「四面石塔」
1624(元和10)年、雄誉霊巌上人が建立した四面石塔(千葉県指定文化財)。高さは219cm。東西南北の各面に、朝鮮ハングル・中国篆字・和風漢字・印度梵字で「南無阿弥陀仏」と刻まれている。特に注目されるのは「ハングル字形」が朝鮮国第4代王世宗が1446年に公布したものの、短期間で消滅したという創成初期の「東国正韻」式の字形といわれ、韓国にもない非常に貴重なものである。
秀吉の朝鮮侵略と家康の回答兼刷還使(※)事業に関わる時代背景から、異国で亡くなった戦没者供養と平和祈願をこめて建立されたと推察される。
この石塔を教材とした教育の実践から、2002年(日韓交流年)には日韓歴史教育シンポジウム、2004年(日韓友情年)には日韓子ども交流が館山で開かれ、相互理解と親善を深めた。
(※)回答兼刷還使=日本側の国書(回答=謝罪)と朝鮮侵略で拉致連行してきた朝鮮人捕虜を帰国させるための外交事業。
●大巌院(館山市大網)
1603(慶長8)年、里見義康の帰依により、雄誉霊巌上人を開山として創建。浄土宗の檀林。里見忠義以降、江戸時代を通して42石の寺領が与えられていた。その後、雄誉は江戸城の真正面(霊岸島:現在の中央区新川)に霊巌寺を創建するが、明暦の大火により焼失し深川に移転する。奇しくも、馬琴は深川・霊巌寺のそばで生まれている。雄誉は後年、京都・知恩院の中興の祖となり、日本一大きな梵鐘を建造している。
【参考論文】愛沢伸雄著
・江戸時代ハングル「四面石塔」のなぞ〜安房から見た日本と韓国(朝鮮)の交流
・16・17世紀の安房からみた日本と朝鮮〜朝鮮侵略から善隣友好へ
【日韓交流事業】
NPO法人安房文化遺産フォーラムでは、安房に残るアジア交流の史跡をめぐり、日韓交流を育んでいます。
交流の足跡はこちらをご参照ください。