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◎南房の愛好者ら呼びかけ

戦没画学生の情報寄せて

…来月10日「無言館」館主講演会

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南房総地方の美術愛好家らが、県にゆかりのある戦没画学生の情報提供を呼びかけている。地元の理解を得るために7月10日、戦没画学生の作品を収蔵・展示する、長野県上田市の美術館「無言館」館主窪島誠一郎さん(68)を招き、講演会を行う。(福島五夫)

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きっかけは、館山市に住む年金者組合安房支部長の橋本芳久さん(78)が、無言館を訪れたことだった。自らも絵を描き、知人と美術展を開催している橋本さんは、戦争のために志を果たせなかった才能豊かな画学生たちの作品群に触れ、「生と死のはざまで描かれた作品に心を揺さぶられた」と話す。

その感動を伝えたいと、橋本さんは仲間に呼びかけ、窪島さんの講演会のための実行委員会(溝口七生委員長)を立ち上げ、自ら事務局長を買って出た。

無言館には、県内ゆかりのある戦没画学生たちの作品や遺品もあった。

県内には、首都圏防衛の拠点として、旧陸軍や旧海軍の基地が集まっていた。とくに館山市には、館山・洲ノ埼両海軍航空隊、館山海軍砲術学校があり、戦時中、戦力不足を補うために繰り上げ卒業で全国から学徒出陣の予備学生などが集められていた。

興梠(こうろぎ)武さんもその一人。木更津市で生まれ、東京美重術学校(現東京芸大)油画科の藤島武二教室で級長を務めていた。興梠さんは、館山海軍航空隊を経てフィリピンで戦死した。28歳だった。無言館に展示されている「編みものする婦人」のモデルは妹。この絵を引き取った時にはひどく傷んでいたという。

「天女の像」の作者・小柏太郎さんは、同美術学校・鋳金科を繰り上げ卒業し、館山海軍砲術学校に入学、フィリピンに配属されて戦死。26歳だった。

館山海軍砲術学校は、訓練の厳しさから「鬼の館砲」などと称され、最盛期は1万数千人の若者が集められた。たまに与えられた休日には気の合った者同士で地元農家などに分宿し、娑婆の空気を味わうこともあったという。

戦争遺跡などの保存・活用に取り組んでいるNPO法人安房文化遺産フォーラム代表で、講演会の賛同呼びかけ人の一人、愛沢伸雄さん(57)は「県ゆかりの千没画学生の優れた作品がまだたくさん、人知れず眠っているはずだ。死と隣り合わせで生きた戦時下の若者たちの素顔を今に伝える逸話なども含めて知らせてほしい」と呼びかけている。

窪島さんの講演会は7月10日午後6時から、館山市の南総文化ホール・小ホールで。500円。問合せは、橋本さん(0470-29-1290)へ。

09年6月9日 5,006

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

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