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『月刊社会教育』2020年11月号

日本の戦争遺跡シリーズ⑮

館山海軍航空隊赤山地下壕跡

文責:池田恵美子(NPO法人安房文化遺産フォーラム)


日本地図を逆さに見ると頂点にあたる館山は、明治から東京湾要塞の拠点となりました。関東大震災で隆起した館山湾を埋め立てて、一九三〇年に開かれた館山海軍航空隊は通称「陸の空母」と呼ばれ、艦上攻撃機パイロットの実戦訓練などがおこなわれていました。

〇戦跡保存の軌跡

館山市では一九八九年から市民による戦跡調査と平和教育の実践が始まり、公民館講座を通じて保存運動が広がりました。これを受けて行政当局では二〇〇二年に、「戦争遺跡保存活用方策に関する調査研究」に取り組みました。その報告書によると、将来文化財として保存活用が見込まれる戦跡は市内に四十七確認され、その大半はAランク(近代史を理解するうえで欠くことができない史跡)やBランク(特に重要な史跡)に評価されました。

そこで、戦跡を組み入れた都市づくりの目標像として、「地域オープンエアーミュージアム・館山歴史公園都市」構想が示されました。市有地である赤山地下壕跡は、平和・学習拠点として整備され、二〇〇四年から一般公開が始まり、翌年には館山市指定史跡となりました。

〇謎の多い地下要塞

赤山地下壕は大半が素掘りで、網の目状に約一・六キロ掘られています。凝灰岩質砂岩の内壁には、美しい地層の模様と丁寧に掘られたツルハシの跡が鮮明に浮かび上がっています。建設時期について、市の文化財解説看板には「昭和十年代のはじめに、ひそかに建設がはじまったという証言もあります」とする一方で、「昭和十九年より後に建設されたのではないかと考えられています」と記されており、はっきりとした資料はありません。

内部には、自力発電所・格納庫・応急治療所・奉安殿などがあります。標高六十メートルの頂上にも壕やコンクリート設備もあり、小山に縦穴をくり抜いた巨大な燃料タンク跡も二つあります。戦争末期の突貫工事で作られた防空壕ではなく、大震災後の地質を調査し場所を選定したうえで、早い段階から専門部隊により掘り始められではないかと推察できます。

赤山の近くで生まれ育った元教育長の高橋博夫氏(一九二七年生まれ)は、真珠湾攻撃前から地下壕の建設が始まっていたと証言しており、掘り出した土砂はトロッコで海に運び、埋め立てて岸壁にしたといいます。

〇本土唯一の直接軍政

ミズーリ号降伏文書調印式の翌日、米占領軍三千五百名が上陸し、館山は本土で唯一「四日間」の直接軍政が敷かれました。戦後日本の占領政策を考える試金石だったのではないかと考えられます。

米国テキサス軍事博物館には館山に上陸した司令官の報告書があり、「完全な地下海軍航空司令所が館山海軍航空基地で発見され、そこには完全な信号、電源、他の様々の装備が含まれていた」と記されています。そして今なお、赤山地下壕内には「USA」と書かれた朱文字が残っています。


【参考資料】
*エコレポ「ピースツーリズム①赤山地下壕跡」

https://econavi.eic.or.jp/ecorepo/live/524

*「戦後70年」証言・調査記録集

『館山海軍航空隊・赤山地下壕建設から米占領軍の直接軍政』

http://bunka-isan.awa.jp/About/item.htm?iid=615

20年11月11日 2,037

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

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