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千倉アワビ街道ウォーキングのお誘い

〜渡米したアワビ漁師のふるさとを歩こう〜

房総アワビ移民研究所 所長 鈴木政和

(房日寄稿2020.11.1)‥⇒印刷用PDF

私たちは、明治期に南房総から渡米したアワビ漁師たちの歴史文化について調査研究を進め、歴史を共有するカリフォルニア州モントレー湾域の人びとと15年にわたり交流をしています。

アワビ移民のリーダーは、長尾村根本(南房総市白浜町)出身の小谷源之助・仲治郎兄弟です。ヘルメット型の器械式潜水具を導入し、寒流の海でアワビ漁を行いました。兄の源之助は米国に留まり、缶詰工場などのアワビ事業に成功しました。日米開戦後は強制収容所に移送され、移民の歴史は幕を閉じましたが、戦後50年を経て源之助の功績は米国で顕彰され、かつてが住んでいた土地は「コダニ・ビレッジ」と公式に命名されています。

一方、弟の仲治郎は帰国し、七浦村千田(現南房総市千倉町)に住み、水産界のみならず様々な産業や教育・文化にいたるまで、安房地域の発展に幅広く関わっていったと考えられます。さらに同じ集落の人びとを中心に潜水士を養成して、アメリカに送り込みました。兄に比べるとあまり知られていませんでしたが、私たちは仲治郎の活躍に注目していました。

近年、仲治郎の旧宅を解体することとなり、私たちは遺族から管理を任された際、許可を得て屋内の資料等を調査しました。そこで、襖の下張りとして使われていた大量の古文書が見つかりました。旧宅は大正期に建てられたもので、見つかった古文書は実家の水産問屋・金澤屋に関わる勘定書類や、家族や友人らと交わした書簡、七浦尋常小学校に関わるものなど、ほとんどが明治期の資料でした。当時不要となった紙類を襖の下地に再利用したために、古文書は千切られた断片になっていますが、貴重な歴史資料の大発見となりました。

昨年度より南房総市の市民提案型まちづくりチャレンジ事業に採択され、「アワビがむすぶ南房総・モントレー民間交流史研究」に取り組んできました。大量の古文書を紙質や筆跡別に分類し、封筒に仕分けして目録を作成する作業を進めていた矢先、台風15号の直撃により、資料を保管していた建物は全壊してしまいました。私たちは、散乱し水没した資料を1枚ずつ拾い集め、「千葉歴史・自然資料救済ネットワーク」の専門家の指導により冷凍・圧縮・乾燥の手順を繰り返して原状回復し、半年かけて古文書レスキューに成功しました。

今年度は、さらに4枚の襖から新たに古文書を取り出して分類しています。研究チームは、くずし字の解読と専門家の添削の後に、データ入力・目録作成と作業を進めています。今のところ150枚ほどが完了しましたが、まだ半分くらい残っています。

これまでのところ、根本の金澤屋に関わる書簡から、布良にも支店があったことや、新潟の佐渡や秋田の能代などに出向いて漁業をしていたこと、とくに対清国への乾鮑貿易に関わる製造指導のやり取りなど、これまで知られていなかった安房の水産業者の姿が明らかになっています。また、水産伝習所(現・東京海洋大学)の卒業生や農商務省関係者との交流をはじめ、金澤屋と水産加工業・貿易関係者との商取引の書簡は、明治期の殖産興業を考えるうえで重要な内容を伝えるものになっています。

さらに教育熱心な小谷家では、明治初中期の段階で、兄の源之助は慶応義塾幼稚舎に、弟の仲治郎は水産伝習所に就学させています。金澤屋当主であり兄弟の父・小谷清三郎と母・たよの多数の書簡からは、夫婦で水産業に取り組んでいた姿や子供たちの教育に対する考えも見えてきます。

来たる11月3日(文化の日)には、渡米したアワビ漁師のふるさとをめぐるウォーキングを開催します。10時に旧七浦小学校(現・七浦診療所)駐車場を出発し、仲治郎の菩提寺である長性寺で墓参と寺子屋講座を開催します。寺子屋講座ではアメリカで紹介されたNHK番組と視聴と、古文書研究の状況を報告します。参加希望者は、健康に留意しマスク着用のうえご集合ください。

20年11月1日 866

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

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