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建設から75年たつ特攻基地(上・下)

特攻機「桜花」下滝田基地

八木直樹(南房総市)

(房日新聞:寄稿2020.8.18-19)‥⇒印刷用PDF

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建設から75年たつ特攻基地【上】

毎年2、3回の草刈り清掃をして保存してきた、わが家の近所にある旧海軍特攻基地跡。

わが家の農作業の遅れから初夏の草刈りが遅れ、15日を前にようやく草刈りをしました。

いつも保存活動をともにしてきた仲間たちと作業を行ってきましたが、この炎天と猛暑の中での作業なので、さすがに親世代の方々を誘うのはためらわれ、妻と2人で作業を行いました。

7月の雨量が多かったせいか、例年よりもセイタカアワダチソウやイタドリなどの丈が長くてはかどらず、1日では終わりませんでした。

それでも、草むらに埋もれていた特攻機「桜花」の滑走路を、何とか見えるようにすることができました。お盆が過ぎてから残りの作業も終えようと思います。

最近はネット情報がさまざま飛び交っているらしく、各地から頻繁にここを見に来る人がいると、近所の人から聞いています。もちろん、現場を見ることは大事だと思いますし、より多くの人にこの場所を知っていただくことも保存活動の目的です。

この海軍の特攻基地から「桜花」が飛び立つことなく、日本の敗戦を迎えたわけですが、「桜花」特攻のための部隊は、実際に鹿児島県の鹿屋基地から10次にわたって飛び立ち、430人の若き兵隊さんたちが戦死し、他に訓練中の事故などによって亡くなった方々もいます。

ですから、草むらから現れた特攻基地を運よく見られた方は、「桜花」特攻で、あるいはあの戦争で亡くなった方々に思いをはせ、その死を悼んで欲しいのです。


建設から75年たつ特攻基地【下】

私はここをはじめ、戦争中につくられた地元の地下壕(ごう)や砲台跡などの戦争遺跡周辺の整備や調査をしたり、地元の戦争体験者の方々からの聞き取りをしてきました。その中で強く感じてきたことは、戦争のことをただ資料から読み解いた「歴史」、あるいは誰かが物語として書いた「歴史」を知るだけでは、戦争の真実は感じ取れないということです。

戦場に置かれた一人一人の人間にとっての戦争体験に触れ、その状況下で戦病死したたくさんの人たちの心中を想像することなく、ただ「歴史」としての戦争を批判し、死者の数だけで戦争を知った気になる人。日本の戦争は正しかったとか、自らを犠牲にして戦った兵隊さんたちのおかげで今の平和があると言いながら、一人一人の置かれた状況やその心情には目をくれようとしない人。戦争を批判する人にも、肯定する人にも、「一人一人の人間にとっての戦争とは何なのか」という深井思いが欠けている人は多いという気がします。

逆に、兵隊さんとして亡くなった人たちの死を悼むという気持ちを持っているならば、日本の戦争の歴史に対する考え方に違いはあっても共有することができということを、これまでいくつかの団体さんとの交流を体験して知りました。

戦場や軍隊を体験した方々の中には、靖国(やすくに)神社の存在を肯定する方と否定する方がいます。私は靖国神社が戦死することを名誉だとされた国家的なうそを維持するための場所であると思って参拝などしませんし、靖国神社の中にある戦争博物館「遊就館」を見学したときにその展示が戦争の真実を覆い隠したものだと感じました。

しかし、だからといって、戦争体験者の方々が靖国神社への親しみや特別な思いを口にされるとき、軍国主義的な思想の押し付けを感じない場合には違和感を覚えません。それは戦争中に青春時代を過ごした人たちにとってごく普通の感覚なのだろうと思うからです。そのような方たちからは「戦争だけはあってはならない」というような言葉を必ずといっていいほど聞きました。

特攻、靖国。今は批判的な立場にいる私が、もしもその時代に青春期を迎えていたとしたら、いったいどう思い、どう行動しただろうか。体験者の方々のお話を聞いたり、ドキュメンタリー映画を見たりするたびに、心の中で問いかけるのです。

(おわり、三芳地区在住、農業)

20年8月19日 880

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