洋画家・青木繁が重文「海の幸」描く
小谷家修復が完成、ノーベル賞・大村さん支援、29日オープン記念館に
(毎日新聞2016.4.25付)‥⇒印刷用PDF
明治期の洋画家で28歳で早世した青木繁(1882〜1911年)が112年前、代表作「海の幸」を描いた館山市布良(めら)の小谷家住宅が2年がかりで修復され、29日から「海の幸記念館」として一般公開される。24日には、住宅の保存に尽力したノーベル医学生理学賞受賞者、大村智さん(80)らゆかりの人が集まって記念式典が開かれ、日本絵画界に大きな足跡を残した青木に改めて思いをはせた。
青木は東京美術学校(現東京芸大)を卒業したばかりの1904年、画家仲間の坂本繁二郎、恋人の福田たねらと4人で館山を写生旅行で訪れ、漁船を多く抱えた名家・小谷家に約50日間滞在した。
その間に描いた「海の幸」は、2列に並んだ10人の裸の男たちがモリで刺したサメを担いで行進する姿を描いた作品。ダイナミックな構図は生命力にあふれ、国の重要文化財に指定されている。
住宅は1889年の布良地区の大火後に建てられ、120年を超える歳月で老朽化が進んでいた。だが、小谷家の人たちが住居として使っていたため修復工事は容易でなく、資金的な問題もあった。
住宅の保存運動が始まったのは8年前。全国の画家や研究者で作り、現在は大村さんが理事長の「青木繁『海の幸』会」と、文化財の保存に努める地元のNPO法人「安房文化遺産フォーラム」が中心となって組織した「青木繁『海の幸』誕生の家と記念碑を保存する会」(愛沢伸雄事務局長)が、小谷家や館山市に働きかけ、県内外で支援を呼びかけてきた。
2年前から始まった工事では、屋根や外壁が修理され、内部も見学しやすいよう整備された。費用は約2800万円。2009年に住宅を市の文化財に指定した館山市が約560万円を予算化し、残りを「ふるさと納税」などでまかなった。大村さんも個人として2度にわたり計500万円を「ふるさと納税」の形で寄付している。
小谷家の当主の福哲(ふくあき)さん(65)は「布良の子供たちに誇りと元気を伝えていきたい」と話し、家の中を案内された大村さんは「ここで絵が生まれたのかと感無量な気分だ。大勢の皆さんと喜びを分かち合いたい」と感激した面持ちだった。
【中島章隆】