内村鑑三を宗教家に導いた漁業家・神田吉右衛門業績を紹介
アワビの富を分配、漁民教育も
17日 館山で講座
(朝日新聞2013.2.15付)‥⇒印刷用PDF
日露戦争で非戦論を唱えたキリスト教思想家・内村鑑三(1861〜1930)に宗教家の道を進ませたのは、館山市布良(めら)の漁業家、神田吉右衛門(1834〜1902)だった。日本キリスト教団南房教会の市民講座で17日、吉右衛門の業績が紹介される。
元県水産試験場の「イワシ予報官」で館山市在住の平本紀久雄さん(73)は昨年10月、大学時代の友人から「神田吉右衛門てどんな人?」と聞かれた。友人は内村鑑三の研究者で、鑑三は札幌農学校(現・北大)を出て水産伝習所(現・東京海洋大)教官だった1890年夏、漁業調査で布良を訪れ吉右衛門に会った。
ある日、吉右衛門が「アワビを繁殖させ、漁船を改良しても漁師は助けられない。漁師を改良しなければダメだ」と嘆いた。鑑三はその言葉に衝撃を受け、辞表を出して宗教家へと転身したと書き残している。
旧富崎小学校には「神田君碑」があり、吉右衛門の業績が記されている。アワビを村の共有財産とし、村の大火やコレラ流行でも対策の先頭に立った。アワビ漁の収益で道路や漁港を整備し、残りは村民に分けた。富崎村の村長も務めた。
平本さんは、館山市立博物館に残る神田家資料も調べた。富崎村の決算書などのほか、「水産談話会議事録」が3年分見つかった。村長をはじめ船主、船頭らが集まり、船頭を認定し猟期や給料を決め、遭難対策、新しいエサ、遭難保険などを議論した。議事録には「永久保存」とされていた。
当時の布良は、日本一のマグロ水揚げを誇り、全国から視察が絶えなかった。
吉右衛門の葬儀には大人から子供まで数百人が集まったという。平本さんは「漁民教育にまで力を入れた、すごい人物がいたことを多くの市民に知ってもらいたい。とくに布良の人が語り伝えてほしい」。
17日午後2時から館山市上真倉の南房教会(0470・23・9910)で平本さんの講演「内村鑑三の進路を変えた布良の神田吉右衛門翁」がある。無料。