首都圏証言シリーズ「戦争と9条」
館山で平和の文化学ぶ旅
安房文化遺産フォーラム事務局長:池田恵美子
(しんぶん赤旗2018.8.24付)‥⇒印刷用PDF
千葉県房総半島の南端にある館山市は海と花の町で有名ですが、戦時中、数々の軍事施設が建設されました。戦争遺跡の保存や継承に加え、地域の文化、自然を通して平和を学ぶ旅(ピースツーリズム)を発信するNPO法人安房文化遺産フォーラムの池田恵美子事務局長(57)に聞きました。
(小酒井自由)
館山は、地図を逆さにして見ると、弧を描いた日本列島の頂点にあたります。古くから、海路の拠点として人びとが交流した地でした。江戸期に建立された、ハングルの平和祈念碑や、遭難救助記念の日中友好碑もあります。
まちを要塞化
一方、帝都防衛のための「東京湾要塞」として、砲台など様々な軍事施設が次々と建設されました。
現在の海上自衛隊館山航空基地は、かつては館山海軍航空基地(館空)でした。短い滑走路と風の条件を生かして、タッチアンドゴー(離着陸)訓練が行われ、「陸の空母」と呼ばれていました。
館空で訓練した部隊は、中国重慶などへの無差別爆弾攻撃や、ハワイ真珠湾攻撃に投入されたと考えられています。
館空に隣接した赤山地下壕跡(館山市指定史跡)は、日米開戦前から作られたという証言があり、平和学習の拠点として年間約4万人が訪れます。
本土決戦に備えた、人間魚雷「回天」や特攻艇「震洋」の基地など、多くの戦争遺跡が今も残っています。
戦争末期には、「花作り禁止令」が出され、花畑は、サツマイモや麦畑に変えられました。花の球根や種は焼却され、取り締まりも厳しく行われました。
その時、命がけで球根や種を隠し守った農民のおかげで、戦後の花作りが再びはじまったのです。
また、終戦直後には本土唯一、4日間の直接軍政が館山に敷かれました。
館山の平和学習では、多面的な「平和の文化」を学ぶことができます。
平和のとりで
私たちは、こうした歴史や文化、自然などを「館山まるごと博物館」と呼び、ピースツーリズムのまちづくりを進めています。毎年、国内外から訪れる約100団体を受け入れ、ツアーガイドを実施しています。 館山を訪れた人たちが、それぞれのまちでも歴史文化を掘り起こし、ともにピースツーリズムの輪を広げていきたいです。
憲法9条は平和のとりでです。けれども、この国は再び誤った選択をしてしまうかもしれません。そんなとき、花が禁止された絶望の中でも、花の種子を守り抜いた農民たちのようになりたいと思います。
憲法には、9条の他にも大切な条文がたくさんありますね。
とくに、前文や25条に基づいた、命と生きる権利を守るために、医療や福祉をもっと大切にしていってほしいと願っています。
(了)