開館式
-日時=2016年5月12日(木)午後4時
-場所=金熙秀記念_秀林アートセンター
開館特別展=河正雄コレクション
-舞踊家崔承喜写真展LEAP&EXTENSION
*連絡先=韓国ソウル特別市洪陵路118秀林文化財団事務局
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2016年4月24日(日)館山市立富崎小学校で、
青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅のオープニングセレモニーが開催されました。
小谷家住宅修復基金にご尽力いただいたNPO法人青木繁「海の幸」会理事長として、
ノーベル賞受賞された大村智先生はもご多用のなかご来場いただき、
250名の参加者とともに盛大に慶びを分かち合いました。
11時からの式典では、小谷家でテープカット・記念植樹をし、
小学校の祝賀会では、
「海の幸」のヒントとなったといわれる布良崎神社のお神輿や、相浜神社の囃子
安房節保存会の踊りなど、大変盛り上がりました。
4月29日から5月8日までは特別公開とし、その後は土日のみの公開となります。
入館料(維持協力金)200円ですが、
友の会(年会費2,000円)会員は、入館無料です。
第21回安房地域母親大会
映画『疎開した40万冊の図書』&金高謙二監督トーク
【日時】2015年10月10日11日(土日)
【会場】館山市コミュニティセンター第一集会室
【スケジュール】
・13:30〜15:20上映会『疎開した40万冊の図書』
・15:30〜16:20金高謙二監督トーク ‥‥館山海員学校(現館山海上技術学校)卒業‥
【同時開催】
・パネル展示&解説・ワークショップ
・親子ピースカフェ
【主催】第21回安房地域母親大会実行委員会
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テーマ=戦跡と文化財を活かしたまちづくり「館山まるごと博物館」
※見学会(バスツアー)はA・Bコースとも満席になり、締め切りました。
【日時】2015年9月5・6・7日(土日月)
【会場】千葉県南総文化ホール小ホール・館山市コミュニティセンター
【主催】戦跡保存全国ネットワーク
【共催】NPO法人安房文化遺産フォーラム
【後援】館山市・館山市教育委員会・館山市観光協会・千葉県歴史教育者協議会
【プレイベント】
・見学会:赤山地下壕ガイドサービス
・映画会『赤い鯨と白い蛇』
【全体会】
・語り『富田先生の青い目の人形』松苗禮子(実行委員長)
・講演『「平和の文化」と戦後70年の祈り」河正雄氏
・パネルディスカッション
【分科会】
・第1分科会=保存運動の現状と課題
・第2分科会=調査の方法と整備技術
・第3分科会=平和博物館と次世代への継承
・特別分科会「米占領軍の館山上陸と直接軍政/証言者のつどい」
【フィールドワーク】
・Aコース:館山まるごと博物館
・Bコース:大房岬要塞群・特攻機「桜花」下滝田基地
【各参加費】・案内チラシにてご確認ください。
【参加申込】・〆切=8月15日(土)
・下段より申込書を取り出し、メールまたはFAXで送信後、参加費の振込をお願いします。
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証言者のつどい(戦跡学習会:3回)
①6月28日(日)15:30〜 (A会員総会終了後)=館山地区公民館
1930年生まれ、戦時中に館山市船形在住だった西村榮雄(よしお)氏は、旧制安房中学に在学中、軍事施設作りに関わった勤労動員の日記を保持している。館山市那古地区の川崎空襲跡の惨状を目撃するなど、鮮明な記憶を証言する。 父の西村迪雄(みちお)(陸軍少将・鎮海湾要塞司令官)は陸軍士官学校15期で、同じ船形に在住していた同期の多田駿(はやお)(陸軍大将・反東條派・1941年予備役)と親交があった。なお、赤門病院の芳名録に参謀総長梅津美治郎(よしじろう)の署名があり、終戦直前の7月23日に館山を訪れていることがわかった。その後、ミズーリ号の降伏文書に調印することになった梅津が、なぜ来館したのか謎である。彼もまた陸士15期の同期であった。
②7月 5日(日)13:00〜 (赤山ガイドサービス終了後) =館山地区公民館
1927年生まれで赤山の前で生まれ育った高橋博夫氏(元館山市教育長)は、館山海軍航空隊の建設と拡張工事に伴い自宅を2度転居させられている。赤山地下壕の建設は日米開戦前から始まっていたと証言。1944年7月旧制安房中学5年時に船橋の日本建鉄に勤労動員。1945年3月卒業、教員不足のため西岬村東尋常小学校の代用教員に勤務。降伏調印の翌日、外務省館山終戦連絡委員会の担当者とともに自宅から米占領軍の上陸を目撃。4日間の「直接軍政」のとき、自宅横に米軍の衛兵所と機関砲が置かれたことで、米兵との交流があったとのこと。戦後は、子どもたちに教科書の黒塗りを指導しただけでなく、小学校に直接米兵を連れていき、地理や英語の模擬授業をおこなったという貴重な体験をもつ。
青山学院水泳合宿所は、1926年に赤山の麓に開設され、生徒たちは夏の時期に柏崎の浜で水泳訓練をしていた。しかし赤山地下壕の建設に伴って1941年12月に海軍より譲渡の話が出され、すぐに閉鎖となった。青山学院高校の佐藤隆一教諭が、学校側の記録や写真から分かった調査を報告する。
③7月21日(火)13:00〜 (終了後にNPO運営委員会) =館山地区公民館
房総南端の布良(館山市)は幕末の一時期に砲台が置かれ、明治には海軍布良望楼(1894年)が建設された軍事的な要衝である。マグロ漁で栄えた漁村で海難事故が絶えなかったため、帝国水難救助会布良救難所(1903年)が開設され、救難所の看守長は村議の小谷喜録が務め、布良望楼とともに沿岸警備の役割を担っていた。日露戦争開戦となった1904年、画家の青木繁は友人3人と布良を訪れ、小谷宅に40日逗留し、重要文化財『海の幸』を描いている。隣接して館山海軍砲術学校(1941年)が開かれ、戦争末期には本土決戦体制として布良陣地が構築された。小谷喜録の長男・希六は徴用漁船「海幸丸」で就漁中に機雷にあたり亡くなっている。戦争と関わりの深かった漁村の状況について、1928年生まれの船大工・豊崎栄吉氏ら布良の人びとと語り合う。