“いま”あるものを活かした地域づくりと「地域まるごと博物館」構想
〜明治・大正期の館山における文化交流の一端〜
愛沢 伸雄
安房歴史文化研究会 第4回例会(2010年3月公開講座) 2010年3月20日
はじめに
10余年の市民が主役の文化財保存運動が実を結び、里見氏稲村城跡は、現在「国指定史跡」に向けて、発掘調査や史料研究がすすめられ、館山海軍航空隊赤山地下壕跡は、2004年に整備・一般公開された。翌年には「館山市指定史跡」となり、体験教育の平和学習拠点と位置づけられ、子どもたちの平和学習やさまざまな団体の平和研修、まちづくり視察の場として、年間1万数千人の入壕者になっている。
この間、南房総・安房の自然や風土に根づいている文化遺産など、“いま”あるものを活かした地域づくりの可能性を求めて、これまでの里見氏の歴史・文や戦争遺跡などの調査研究や保存・活用をベースに、あらためて地域の姿を見つめ直してきた。
そのなかで自然環境や歴史的環境の保全だけではなく、農水産などの地場産業の振興をはじめ医療・福祉や雇用など地域課題の解決を図り、地域の人びとが支え合い心豊かな生き方ができる持続可能な地域コミュニティの道を模索している。
現在、地域全体を視野に入れ、地域にある自然遺産や文化遺産を活用していく「地域まるごと博物館」構想の実現に取り組んでいる。この構想にいたった経緯は、子どもたちに地域を伝えていく教材の発掘とその授業づくりであり、“いま”ある文化遺産を活かして地域への関わりを深め、地域への誇りを育む地域づくりにある。授業づくりから地域づくりへの指針は、安房の歴史・文化に息づいてきた「平和・交流・共生」の理念であり、市民が主役となる文化財保存の歩みは、現在NPO法人安房文化遺産フォーラムの市民活動に引き継がれている。
なお、本研究会では“いま”ある文化遺産を活かした地域づくりと「地域まるごと博物館」構想の概要を報告しつつ、現在取り組んでいる地域文化の掘り起こしのなかで、とくに館山に住んでいた明治・大正期の知識人・企業人・画家たちの文化交流の一端を紹介したい。これらの事例は手元に史料があまりなく、痕跡が数少ないので不明のことも多いが、今後、「地域まるごと博物館」を展開していくために、地域の方々からご協力をいただき調査研究をしていきたいと思っている。
1.安房地域の特性をさぐる
(1)安房の特性〜「平和・交流・共生」の理念をもつ安房地域
①「南房総・安房の地域イメージ」
海洋性の温暖な気候に恵まれ、半島性のもとにあって海や山など自然環境が豊かであり、花・食・里山・黒潮など第1次産業に関わり、漠然とした地域イメージ。
②「房総半島南部は日本列島から見ると、どんな地域か」
日本列島のほぼ中心部にあって、関東地域を背後に太平洋世界に突き出た半島として、太平洋世界(黒潮)を通じて海洋民たちの交流の地域であった。また、関東のなかで歴史的に中心政権があった鎌倉・江戸・東京に関わり、江戸(東京)湾の入り口に位置したことで、古代より戦略的な要衝であった。
③「房総半島南部は地理的にどんな特性をもった地域か」
海洋性気候のもとでの降雨量や気温であり、ときに集中豪雨や台風などでは半島としての地域的な特性を強くもっている。そのなかで気候的な特性や植生上の特性を活かした農業形態や花づくり、またマグロ延縄漁や鯨漁、黒潮と親潮の潮目を中心とした豊かな漁場をもち、アワビや海藻などの磯根漁業なども盛んであった。しかし、地学的には環太平洋造山帯に位置し、日本海溝が近く太平洋プレートやフィリピン海プレートの影響を受けた世界的にも地震の多発地帯であり、日本で最も隆起の激しい半島部といわれている。
④「歴史的にはどんな特性をもった地域か」
日本列島の中央部にあったことで、古代より中央政権や地域支配者にとって地政的に房総半島の役割は大きいと認識されていた地域である。古代から中世・近世において、列島の中央部にある関東地域の支配は、江戸(東京)湾と房総半島湾岸部などの要衝を押さえることによって、戦略上はもとより、海上交易において中央政権や地域支配者が関心をもった要衝である(安房神社洞窟・大寺山舟葬墓・翁作古墳・平忠常・源頼朝・北条氏・足利氏・里見氏・正木氏・後北条氏・豊臣秀吉・徳川家康など)。さらに、幕末からアジア太平洋戦争まで対外政策や軍事戦略上、房総半島南部の江戸(東京)湾口部は中央政権と直結していた(幕末の砲台・台場・明治期よりの東京湾要塞砲台群・館山海軍航空隊などの軍事施設・本土決戦陣地関係・米占領軍上陸地など)。
⑤「南房総・安房の人びとは歴史的にはどんな生活・文化を育んできたか」
地域を舞台にした戦乱や戦争、地震・津波・台風などの災害、海の暮らしのなかでの遭難など、個人の力ではどうすることもできない困難な状況が100〜200年のサイクルでおそってきたものの、地域で暮らす人びとはそれを乗り越えてきた。嶺岡山系周辺の「地すべり」という災害をも利用した「棚田」農業や、鯨などと格闘しながら漁獲する「突きん棒」漁法・マグロ延縄漁、さらには自力で海に潜って魚介類の採取や農業や花作りに活かした海藻採集の磯根漁業など、たとえ労働用具などが不備であったとしても、伝承されてきた知恵などを身に付け生活をつくってきた人びとの姿がある。
⑥「南房総・安房の人びとと地域の生活文化」
そこには豊かな地域コミュニティをつくって、励まし合い助け合いながら生きてきた先人たちの知恵が生かされた生活文化をもっている。中央政権の意図的政策によって、あるいは戦乱や災害によって、地域の文化財や古文書が失われてきたものの、たとえば寺子屋などの教育という形を取りながら、人びとの思いや願いを子どもたちに受け継いでいった。また、中央政権での戦乱や災害があったことで、房総半島南部には【平和】を求める【交流】があり、ともに友好を育んでいく【共生】の地であり、漁民たちの寄留の地として、あるいは商人たちの交易地として、さらにはアジア・太平洋世界から漂着した人びとの交流や共生が豊かにおこなわれていたと思われる。そのため地域文化の拠点として神社・仏閣が創建・再建され、そこでは祭りや民俗伝承という形をとって豊かな地域コミュニティ社会を生みだし、子どもたちの教育の場をつくってきたと思われる。
⑦「安房の『地域づくり』において、“いま”ある文化遺産を活かす」
先人たちが育んできた【平和・交流・共生】の理念をもつ地域コミュニティの姿を学ぶとともに、地域の地理的歴史的な特性を活かした生活・文化を掘り起こし、再生していくことがとくに重要といえる。【平和・交流・共生】の理念は、戦乱や災害などを乗り越えていった南房総・安房の人びとのエネルギーの源泉であったことを明らかにし、とりわけ地域の「教育」の力が大きな役割を果たしてきたことを強調したい。
(2)地域コミュニティを支えてきた学校と教育
いわゆる「平成の大合併」という地方自治の行政的な変更は、地域の生活文化の姿を急速に変貌させている。しかし、それに留まらず行財政改革のかけ声のなかで、財政負担の軽減や少子高齢化という理由のもと、大規模な学校の統廃合がおこなわれ、学校再編が急速に進んでいる。
この状況は地域コミュニティの成り立ちのなかで「学校」という存在がどんな意味をもってきたか。これまで地域の歴史にとって「学校」と「地域」の関係が何であるかを問いかける時代はなかったように感じる。地域の顔というべき「学校」がいとも簡単に統廃合され、地域の変貌していく象徴的なような出来事は、まさに地域コミュニティの崩壊を示している指標といえる。
地域のなかで生まれ育まれてきた学校(地域の人びとの「伝統や文化」と読み替えてもいい)の建学の精神が語られずに消え去っていく事態を憂慮せざるをえない。この問題状況を見るとき、地域での「学校の歴史」、とりわけ子どもたちが学習し生活している学校の成り立ち(安房地域の学校づくりをみると、コミュニティの人びとが物心両面で教育を支えていた姿がある)を学習させることが、地域においてアイデンティティを育み、社会的な事象と自分との関係をさぐっていく契機になるのではないか。
ところで、地域にある「学校の歴史」を通して、地域がもってきた歴史・文化そのものを知ることができる。地域に関わるさまざまな情報が集まっていた学校の姿や、学校を建学した人びとやそこで学んできた人びとの生きざまが詰まっているとすると、「地域コミュニティ」を知るうえで、その歴史を解明していくことは重要ではないか。そのことは地域の人びとの思いや実践によって、自己の生きている場と学ぶ場が地域の人びとによって支えられてきたことを実感するはずだ。
地域を大切にする感情は、地域の主人公が誰であり、地域を支え地域をつくってきた人びとが誰であったかを学んでいくフィルターになり、その人びとを通じて地域の現実を直視し、平和で民主的で公平な社会=地域コミュニティを創造する気持ちが生まれてくるのではないか。主権者としての市民が主役になって地域課題(たとえば地域の人びとの「伝統や文化」を見直して地域の活性化にいかす)を解決することの意味を知らせていくことは、結局市民社会の担い手になっていく次代の子どもたちに「教育」と「地域」とが結ばれた地域社会(生涯学習)の姿を示していくことになるのである。
また、平和で民主的で公平な地域コミュニティにするためには、いまどんな地域課題があり、その解決をどうしたらよいか、という思考や実践が結びついていく学びが大切である。そのためには生きる場や生活の基盤を直視し、地域に生きていく自己を見直し、日々の地域づくりのあり方を検証していくことが求められていく。
地域の人びとが、直接に世界の経済や政治、平和の危機、環境問題にさらされている今日の国際情勢のもとで、一人ひとりが足もとの地域コミュニティの一員であるとの自覚をまずもつことである。そして、地域づくりに実際に参画して平和で民主的で公平な地域コミュニティの再生にたずさわり、市民主役になった地域活動を実感することが21世紀に求められる地域市民の姿ではないかと思う。
いま急速に日常化している「インターネット」というツールは、居ながらにして地域社会のさまざまな情報や動きが手にでき、市民レベルのネットワーク構築も、より迅速に確実におこなうことができる。従来型の情報伝達とは全く違い、このツールを使いこなすことができれば、これまでとは全く違う地域コミュニティのあり方が生まれるのではないかといわれている。
これまでの伝統的な地域社会が「閉ざされたコミュニティ」になりがちであったのも、個人レベルでの思いや要求だけでは、情報の公開や共有化の扉が開かなかった。地域性のなかで、地方行政や教育機関が公的な存在として権威性を保っていたのも、情報を握っている存在として君臨していたからである。この間の地域における情報化の進展は、情報公開が当たり前となり、オープンになった地域情報は市民活動を活発にさせ、「開かれたコミュニティ」への再生を加速させている。地域の人びとが主役になった地域活動(生涯学習)をすすめるうえで、インターネットなどでの情報伝達が簡便なツールになれば、学校(教育)を支えていた人びとの姿や地域にある伝統や文化を育んできた姿を広く知らしめることができ、そのことが「開かれたコミュニティ」=地域コミュニティの再生につながっていくのではないかと思っている。
2.市民を主役にした地域づくりとNPO活動
(1)地域課題の解決と「持続可能な地域社会」
いま南房総・安房では、豊かな自然や歴史・文化を活かした体験観光交流などの取り組みが注目されているが、少子高齢化や過疎化、中心市街地の空洞化をはじめ、医療や介護、福祉から教育・子育てにいたるまで、合併問題が尾を引くとともに、地方財政難のなかで、住民をとりまく地域課題は日々深刻化している。地域での市民活動は端的に言えば、その地域でおこっている問題・課題を市民が主役となって解決していくことにある。
いま人と人が手をつないで支え合い、暮らしやすい地域コミュニティを築き、「自分たちでできることは自分たちでやろう」という市民の主体的な考え方が生まれている。そこには行政だけではできない、市民だけでもできない、けれどもみんなで手をつなぐことで、地域課題を解決する糸口が見いだせるのではないかという可能性が展望されている。
そこで注視すべきことは、国連が2005年から「持続可能な開発のための教育の10年」として、先人たちの知恵や伝統技術を含め、有形無形の自然・文化遺産などを後世に引き継いでいく、持続可能な社会のあり方を学んでいくよう呼びかけていることである。
いま地域に“あるもの”を活かすために、市民の参画と連携によってさまざまな方法と工夫を用いて積極的な情報発信をして、幅広いネットワークづくりと人づくりに取り組んでいくことで、その地域課題にアプローチしていく糸口があるのではないか。そのことは地域活性化につながっていくとともに、市民が主役になった地域づくりを体感することになるのではないか。ただ、深刻化する地域課題を解決していくために、どんな地域コミュニティが求められるかの展望(ビジョン)を示していくことはもちろんであるが、現状のなかで行政関係機関が描いているものと、どう協働関係をとって進んでいくか、また「自分たちでできることは自分たちでやろう」という市民の主体的自主的な意識を構築して、支え合いのあるコミュニティを築くことができるか、さらには市民を主役にした地域づくりのもとで「持続可能な地域社会」への展望を指し示すことができるかが問われている。
(2)市民が主役の地域づくり活動をめざして〜NPO設立の目的
南房総・安房地域にある海や花などの自然環境、風土に根づく歴史的な文化遺産など、地域に“いま”あるものを活かした地域づくりができないだろうか。この地域を見直し、自然や歴史・文化の保存と再生を願いながら、地域の活性化を図るあり方をさぐってきた。この地域全体を視野に入れて地域がもつ豊かさを見直すとともに、地域にある自然や文化財・文化遺産を活用することで、人々がなごみ心豊かになる地域社会が創造されることを望んでいる。そのような地域づくりに関わっていくために特定非営利活動法人(NPO法人)を設立することにした。
「私たちが活動する地域である南房総・安房は、太平洋に突き出た房総半島南端の地であり、古代より政治や軍事、交易において極めて戦略的な拠点としての役割を担った歴史的特性をもった地域である。たとえば、その一つといえる戦争遺跡をあげても、この地域を通じて、アジア太平洋戦争に関わる出来事に触れられるだけではなく、日清・日露戦争以降近現代日本の歩みの一端をさぐることができる。地域にある戦跡は、戦争の事実を生き生きと語る実物教材であり、戦争を追体験する場として極めて有効で、平和教育としてふさわしい素材である。とくに子どもたちの体験学習では効果的な役割を果たしている。
また、南房総・安房は、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の舞台の地として紹介され、フィクションの世界が地域を代表する観光資源となっているが、地域には今も里見氏関連の文化財が数多く残っていることを忘れてはならない。このように南房総・安房の歴史・文化を学び、戦跡や里見氏に関わる歴史的風土を保存・活用していくことで、文化財を活かした地域づくりになっていくと確信している。」
「そこで地域にある“いま”ある文化遺産を活用して、歴史文化が息づく地域づくりのなかで地域経済を活性化しつつ、後継者たる若者たちの雇用に貢献していく活動を創造していこうと思っている。そのためにまず、戦争遺跡や里見氏関連の文化財などを通じて地域の歴史的な環境を学び、地域に生きる市民として文化遺産を後世に伝える文化活動に関わっていきたいと考えている。それらの文化財とともに、地域を見る視野を広げて、海洋に関わる考古・古代遺跡をはじめ、里見氏前史の中世城館跡や近世の陣屋遺跡・海防遺跡、近代の戦跡、産業遺跡など、さまざまな文化遺産の調査研究をすすめながら、房総半島南端にあることでの地理的歴史的な特性を学びつつ、南房総・安房の歴史的環境や文化遺産への歴史的認識をより確かなものにしていきたいと思っている。同時に、海に囲まれた南房総・安房にある国際交流の痕跡を歴史的な視点からさぐりながら、国際交流の場もつくっていきたいと願っている。とくに東アジアとの交流をみると、地域には歴史的な関わりをもつ文化遺産などがあり、東アジア世界の人びととの交流のきっかけにしていきたい。」
「NPO活動では、南房総・安房の地理的歴史的な特性を視野に入れながら、地域の自然遺産や文化遺産を活用していくガイド活動を中心に、それに関わる事業活動を手作りで展開している。この地域には“花があり、食べ物も美味いし、古代から現代まで歴史・文化遺産が多い”ことをアピールし、この地域を訪れる人々の研修や子どもたちの学習が楽しく有意義になるような学習支援をおこなっている。年間は約150団体(4000人)を超える方々との交流を展開している。」
「安房の自然や文化遺産を紹介するために、さまざまな媒体を利用し情報発信するとともに、充実した研修や学習の場になるように、安房地域独自の学習プログラムを試みている。また文化財・戦跡ガイド養成の教育システムを工夫し、訪れた人びとにわかりやすいガイドブック(「あわ・がいど ①『戦争遺跡』、②『房総里見氏』、③『海とともに生きる人びと』、④『安房 古道を歩く』、「海軍のまち・館山」マップ)を出版・販売している。将来的にはガイド育成に関して、地域に学ぶ若者たちの雇用の場になるような事業展開をしたいと日々努力している。」(NPO「設立趣意書」より)
2004年1月に設立し、5月に認証を得た「NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」は、2008年5月に法人名を「安房文化遺産フォーラム」に改称し、その目的を「南房総・安房地域の自然や歴史・文化遺産をまもり、先人たちが培った【平和・交流・共生】の精神を活かした豊かなコミュニティを目ざし、市民の生涯学習と社会貢献活動による地域づくりを推進する」とした。
NPO法人の目的を達成するため、(1)社会教育の推進を図る活動 (2)まちづくりの推進を図る活動 (3)学術、文化、芸術又はスポーツの振興を図る活動 (4)環境の保全を図る活動 (5)人権の擁護又は平和の推進を図る活動 (6)国際協力の活動 (7)子どもの健全育成を図る活動 (8)前各号に掲げる活動を行う団体の運営又は活動に関する連絡、助言又は援助の活動をおこなうと位置づけた。そして、上記の目的を達成するために、特定非営利活動に係る事業として①地域にある歴史・文化遺産の調査研究とガイド事業 ②地域にある歴史・文化遺産を紹介した書籍等の出版事業 ③その他この法人の目的を達成するために必要な事業をおこなう、とした。
(3)文化財保存運動の経緯〜NPO設立と活動の概要
20年近くにわたって市民が主役になった文化財保存運動を続けてきた。そのなかで市道建設によって破壊される直前でストップさせた里見氏稲村城跡は、地道な文化運動を継続け、今日では里見氏城郭群のひとつとして岡本城跡とともに「国指定史跡」の検討調査がなされ、地元地権者への働きかけも含めて大きく動き出している。かつて破壊されようとした里見氏稲村城跡は、南房総・安房地域にとってのシンボルになろうとしている。
また、数多く点在する戦争遺跡も負の遺産として地域開発のなかで消されていったものの、戦争遺跡の代表ともいえる館山海軍航空隊赤山地下壕跡は保存運動の結果、2004年に館山市によって修復整備後一般公開され、翌年には「市指定文化財」となって、現在では、平和学習の拠点として年間1万数千名が入壕している。
市民が主役となった地域づくりを願って、2004年に【平和・交流・共生】の理念を活かしたNPO(特定非営利活動)法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムを設立し、年間150団体のスタディツアー(5年間で2万名を超える人びとをガイド)と地域文化の再生事業に取り組んできた。2006年には地域づくり活動が評価され、あしたのまち・くらしづくり活動部門で「内閣官房長官賞」を、2008年には千葉県知事より「千葉県文化の日功労賞」を受賞した。また、2008年度からは法人名を「安房文化遺産フォーラム」と改称し、地域づくりと生涯学習の視点からの人づくりを視野に入れた「市民大学」の創設を呼びかけている。なお、2009年6月の文化財保存全国協議会第40回京都大会では、文化財保存の活動に顕著な団体として「第10回和島誠一賞」が授与された。
(4)生涯現役で活躍する「長寿社会」のなかで
南房総・安房では、人口の3割を大きく超えた超高齢者の地域社会、いわゆる「長寿社会」になっている。「生涯学習の観点にたった『少子高齢化社会の活性化』に関する総合的研究」(聖徳大学生涯学習研究所:福留強所長)では、これからの地域活性化を担う団塊世代を中心としたシニア層を生涯現役で創造し続ける世代と位置づけ、老人や高齢者に代わる呼称として「創年」という概念を提唱している。実際、豊かな経験や知恵をもつ、この「創年」は、多の世代よりも地域への関心や地域学習の意欲が比較的高いといわれる。
もし地域の「創年」たちが、これまでの教養的なものの公民館講座の枠から一歩外に出て、地域の歴史・文化を伝える「語り部」という存在になれば、長寿社会のもとで一人ひとりが地域づくりに参画する市民活動の姿を示すことになる。つまり、持続可能な地域社会の担い手として、長寿社会で活躍する「創年」たちの市民活動に注目することが重要ではないかと思う。
この20年近く取り組んできた戦争遺跡や房総里見氏などの文化遺産を学びながら、また任意の文化団体や公民館でのサークル活動を通じて、地域文化の再生や地域づくりのあり方の具体的な市民活動に取り組み、それをベースにNPO法人をつくった。現在、戦争遺跡などの文化遺産を活用した子どもたちの平和学習や総合学習のガイド、あるいはさまざまな団体の平和研修(ピースツーリズム)や地域づくり視察などのスタディツアー・ガイドを実施している。その取り組みに参画しているのは、いわゆる「創年」であり、人生体験が豊かなメンバーがガイドとして、生涯現役で活躍したいという意欲が極めて高く、積極的に社会貢献活動に取り組んでいる。
3.「地域まるごと博物館」構想と地域づくり
(1)地域コミュニティの交流拠点と生涯学習まちづくり
南房総・安房の歴史的環境や文化遺産から見える地域像と、先人たちが培った【平和・交流・共生】の精神を学び、市民が主役となってそれらを活かした生涯学習による地域づくりをすするために、まず、その展望の時間軸に「創年のたまり場/市民大学」構想をおいた。また、地域という面の軸には「地域まるごと博物館」構想として、地域コミュニティの人びとと連携を図りながら、支えあう地域社会や交流文化を育んでいくことを考えている。そこでNPO活動のなかに、そのモデル的な取り組みを紹介したい。
今日、豊かな知識や知恵をもった団塊世代を中心としたシニア層を生涯現役で活躍し続ける創造的世代=「創年」は、生涯学習の視点から地域づくりの新たな担い手である。地域をより深く学んだ「創年」は、「地域まるごと博物館」のいわゆる地域の“学芸員”であり、新しい教育観光のガイド(インタープリター)といえる。
生涯学習や自己実現の場である「創年のたまり場」は、を結ぶ交流拠点であるとともに、地域課題を解決し活性化を図るために市民と企業や学校・行政がつながる場となっていくはずである。地域に関心や誇りをもった市民が、それぞれの得意分野を活かした社会貢献活動を前提とし、社会教育の場として「創年」の市民大学につなげていきたい。(前出「福留」構想に学ぶ)
a.「平和・交流・共生」の精神が活きる持続可能な地域づくり活動として
●「地域まるごと博物館」構想を広がりの地域の面を軸に
●「生涯教育と人づくり」構想を流れのある時間を軸に
b.若者の雇用の場づくりと地域コミュニティの再生
● 廃校舎を使って人材養成のための「市民大学」創設
●「お試し」移住者たちや都市・農村交流の子どもたちのために場を提供する
(2)「平和・交流・共生」の理念が活きる「地域まるごと博物館」構想
今日、市民自らが主役となって「地域づくり」を考える時代となり、市民活動(NPO)がどんな役割が果たしていくかが問われている。そこで忘れてならないのは、持続可能な地域づくりの観点をもって、平和や人権、環境や歴史・文化を守り育てていく地域社会の創造をすすめていく姿勢ではないかと思っている。それとともに地域に育つ次代の子どもたちには、地域に平和や人権、環境や歴史・文化を守っている市民(NPOなど)たちがいることを実践的に示していくことが重要である。
そのためにも社会的使命や地域課題をもって動く市民活動(NPO活動など)のなかで、地域づくりのために積極的に行動する市民たち、つまり地域づくりの主役になって行動する市民たちは、足もとの地域の姿を分析して地域課題をさぐる力が求められている。そこでは足もとの自分を見つめながら「自己・地域・日本・アジア・世界」に視線を広げるとともに、再び世界から自らに戻ってくることを意識した世界史的な思考をもった考察力や想像力が必要である。広い視野から地域コミュニティのあるべき姿を読み取り、地域を通して世界を見ていく社会的歴史的な認識力をもつことで、「地域に根ざした生き方」が可能になるし、かつ「持続可能な地域づくりを視野にいれた生き方」も可能になって、世界性のある実践活動が可能になってくると思っている。
いまNPO法人安房文化遺産フォーラムの活動を通じて、たとえば地域にある戦跡にふれることで「平和」の問題を学ぶことができ、そのうえで「地域から平和をもとめる生き方」も考えることができる。そこから自己の意見を表明し行動する「地球市民」としての姿勢を示すことができ、「地域に根ざす」という点では、NPO活動を通じて「いま自分がここに存在し生きている」との実感をつかむことができる機会をつくっている。私自身は平和創造を自らのものにするために「平和を心に刻み」ながら、NPO活動を通じて地域に生きる市民や子どもたちと一緒になって、具体的な「平和の文化」の素材を掘り起こし、【平和・交流・共生】の理念がわかりやすく伝える取り組みを心がけている。
もうひとつ、地域づくりの理念を考えるうえで大事なのが、歴史的想像力をもって地域コミュニティの存在を歴史的にみていくことである。なかでも地理的歴史的な特性を見ていく目を磨いていくために、歴史のフィルターを通して「地域」を見ていく目とともに、歴史のスパンを長くして「地域」を見ていく目、そして世界史や日本史から「地域」の歴史を構造的にみる目をもつことが重要であると指摘したい。そのなかから自ずと「持続可能な地域社会」の姿が見えてくるのではないかと思っている。
(3)世界の人びとと交流するためにユネスコ「平和の文化」の視点を
ユネスコは、第二次世界大戦の反省を踏まえ、国際理解教育の名で世界平和のための教育を立ち上げた。その基礎になったのがユネスコ憲章で、その前文には「戦争は人の心の中で生まれるものだから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」と記載されている。国連は1986年を「国際平和年」にするとともに、ユネスコは国際平和会議を開催して、人間こそが平和をつくっていく主人公ととらえ、人間に対する限りない信頼と希望を宣言した。1989年、「人の心の中の平和に関する国際会議」において、初めて「平和の文化」という概念が使用され、あらためてユネスコ憲章精神が見直された。1995年のユネスコ総会では「平和、人権、民主主義のための教育宣言」を採択し、1997年国連総会決議によって、2000年を「平和の文化・国際年」と定め、翌01年から10年間を「世界の子どもたちのための平和と非暴力の10年」と決議した。
「平和の文化」理念は、平和へのアプローチを人間中心において、「平和の砦」を築いた人間に平和の創造を期待している。そして、生命の尊厳や人権尊重を基盤にした「平和の砦」を自らの心に築いた人間同士が連帯し合うことを求めている。国連総会が「平和の文化に関する宣言」を採択した際に、ユネスコでは世界に向けて「平和の文化」を築いていくとは、一人ひとりにどんなことを願っているかを「わたしの平和宣言」で示した。
① わたしはすべてのいのちを尊敬します。
② わたしは暴力を拒否します/使いません/許しません/なくします。
③ わたしはみんなと分かち合います。
④ わたしはわかるまで耳を傾けます。
⑤ わたしは地球環境を守ります。
⑥ わたしは連帯を再発見します/再構築します。
人権や民主主義を世界平和のキーワードとするユネスコ憲章の理念が生きた「平和の文化」社会の実現、つまり一人ひとりの心に「わたしの平和宣言」を築いていくための平和学習がどうあればよいか。21世紀に入っても、世界を見ると貧困・飢餓をはじめ、経済的格差の増大や地球環境の悪化、そして人口問題などが深刻化している。さまざまな課題が地球的規模となり、世界の人びとが協働していかなければ、一国だけでは解決できない時代となった。国家間に戦争がない状態が平和であるとの認識から、地球的規模の問題が解決されていくことなしには、結局、真の平和はないという認識が共有されるようになった。貧困・飢餓や環境の悪化、人権侵害・抑圧など、人間が人間らしく生きることを妨げている社会構造を多角的に分析することで、さまざまな紛争や戦争の原因を探ることができる。同時に争いの火種は除去できるし、課題の解決への展望があることを示してきた。その希望を子どもたちに伝えていく役割が平和学習にあるのではないか。
一人ひとりの日々の暮らしや生き方に、地球的規模の課題を解決していく核心があり、「平和の文化」を築いくいく基盤がある。「わたしの平和宣言」にある平和や人権を尊重する考え方や行動は、人間としてあたりまえのことであり、地域に生きてきた先人たちも願ってきたことである。自分が生きる地域に「平和の文化」の痕跡を見いだし、その歴史的な素材を活用した平和学習のあり方を探ってみたい。
これまでの平和学習では、戦争の悲惨さを教えるために教材に工夫を加えたり、戦時中の遺品収集や戦争体験の伝承を取り上げてきた。それらのことは、戦争体験の継承を通して戦争の悲惨さを学び、平和の大切さを発信する人を育てていくうえで、大きな役割を果たしてきた。ただ「戦後60年」が過ぎ、戦争体験の継承という点で地域に住む体験者から「生きた証言」を聞く機会がなくなり、これまでの学習のあり方を検討する時期になったのではないかと思っている。
南房総・安房地域には、豊かな自然と古代から現代までの文化遺産に身近にふれることができる。自然遺産ではサンゴ礁・ヒカリモ・ウミホタルなど、文化遺産では古代「海食洞穴遺跡と横穴墓・安房国府」、中世「源頼朝から里見氏まで(棚田・祭り)」、近世「ハングル四面石塔・万石騒動」、近代「自由民権運動・東京湾要塞砲台群・花作り」、現代は「ウミホタル採集・花禁止令・戦争遺跡・米占領軍上陸地」など、すぐにでも活用できる学習素材は多い。NPOでは“いま”あるものを活かした持続可能な地域社会とは【平和・交流・共生】の理念をもった地域コミュニティ、つまり歴史に彩られた南房総・安房の地域を活かしていくことであると考えている。地域に住む人びとが訪れてきた大人や子どもたちとともに交流する「教育や研修」の地を構想している。とくに【平和・交流・共生】を育む地・安房で【平和の文化】を学び、「心に平和の砦を築く」学習の場を提供していきたい。具体的には、関係行政機関や地域の教育観光文化団体との協働関係を積み重ね、今まで関わってきた戦争遺跡や里見氏をはじめ地域にある有形無形の文化財を保存・史跡化の文化活動に活かすことであり、将来的には子どもたちの総合学習や平和学習を中心に各種団体の平和研修の場としての「地域まるごと博物館」(エコミュージアム)を展望している。そのためには市民活動グループが中心となって人材養成の「市民大学」を誕生させ、地域に暮らす若者たちをはじめ地域の人びとに新しい雇用の場をつくり、「コミュニティ・ビジネス」として地域経済に貢献していきたいと思っている。
NPO活動を通じての地域づくりは、地域に住む市民たちが核となって生まれた21世紀の新しい市民参画型の試みである。私たちのNPO設立の理念が求めている地域文化の再生と平和創造をめざす地域づくりのため、また先人たちが育んできた【平和・交流・共生】の理念が生きる地域社会を創造するため、多くの志しをもった市民らと協働して、市民が主役になった地域づくり活動を地道に取り組んでいきたいと思っている。
● 事例紹介
1.医療・転地療養・文化交流
〜長沼守敬・辰野金吾・坪野南陽〜長沼家住宅調査
渋沢栄一・福原有信・川名博夫・古市公威・穂坂与明
川名正義・浅井忠・青木繁・中村彝
2.安房の教育と児童自由画運動〜倉田白洋・山本鼎
3.水産伝習所と安房中学校
〜勝海舟・柳楢悦・嘉納治五郎・柳悦多・柳宗悦・本田存
4.安房の水産業
〜関澤明清・鏑木余三男・正木清一郎・小谷仲治郎・岡本一平
5.万里小路通房のネットワーク〜堀田正倫・跡見花蹊・高山恒三郎