文化財・戦跡を活かすNPO活動で安房の「地域づくり」を
愛沢伸雄 ≪千葉県歴史教育者協議会 会誌第35号(2004年)≫
ここ10年、安房地域に根ざした千葉県歴教協運動の理念を活かすために、また地域に生きる市民の一人として、市民が主役になる「地域づくり」を呼びかけ実践してきた。
今年始め、これまで「地域づくり」の思いや願いを実現させたいと努力してきた市民たちとともに、特定非営利活動法人(以下NPO法人)「南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」(理事長 愛沢伸雄)を設立した。(12月25日設立準備会・1月13日設立総会・2月4日申請書提出・2月17日申請受理・5月13日法人認証・5月26日法人登記)6月末現在、会員は約百名。地域に住む市民を中心に戦争遺跡や文化財などのガイド活動などに取り組んでいる。
ところで、これまで安房の歴教協は「戦後50年」を節目にした平和事業を契機に、戦争遺跡(以下、戦跡とする)の調査・保存をはじめ、地域にある平和学習教材の発掘や平和活動に積極的に関わってきた。また、里見氏稲村城跡保存運動をなかで里見氏の歴史・文化関係など、地域にある文化財の保存・史跡化に関わる地域学習や文化活動を続けてきた。さらには大巌院にあるハングルを刻んだ「四面石塔」の調査研究から始まった日韓交流の事業や、教室から世界へ目をむけた県立安房南高校生徒会と卒業生たちによるアフリカ・ウガンダ支援活動など、学校・地域から国際交流活動に取り組む姿を示してきた。
それらは学校と地域社会を結びながら、地域に根ざして取り組んできたものであり、その結果は、地域の文化運動となり、そして市民らによる「地域づくり」の運動となっていった。これらのことが契機となってNPO法人の設立となったのである。NPO設立の概要やこれまでの地域運動の経緯を紹介しながら、「地域づくり」の理念をNPO活動にどう活かすのか、その将来展望はどうかなどを報告したい。
【1.NPO法人「設立趣意書」概要】
「南房総・安房地域にある海や花などの自然環境、風土に根づく歴史的な文化遺産など、この地域に「いま」あるものを活かした「地域づくり」ができないだろうか。私たちはこの地域を見直し、自然や歴史・文化の保存と再生を願いながら、地域の活性化を図るあり方をさぐってきた。この地域全体を視野に入れて地域がもつ豊かさを見直すとともに、地域にある自然や文化財・文化遺産を活用することで、人々がなごみ心豊かになる地域社会が創造されることを望んでいる。そのような「地域づくり」に関わっていくために、私たちは特定非営利活動法人(NPO法人)を設立することにした。
私たちが活動する地域である南房総・安房は、太平洋に突き出た房総半島南端の地であり、古代より政治や軍事、交易において極めて戦略的な拠点としての役割を担った歴史的特性をもった地域である。たとえば、その一つといえる戦跡をあげても、この地域を通じて、太平洋戦争に関わる出来事に触れられるだけではなく、日清・日露戦争以降、近現代日本の歩みの一端をさぐることができる。地域にある戦跡は、戦争の事実を生き生きと語る実物教材であり、戦争を追体験する場として極めて有効であって、平和教育としてふさわしい素材である。とくに子どもたちの体験学習では効果的な役割を果たしている。
また、南房総・安房は、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の舞台の地として紹介され、フィクションの世界が地域を代表する観光資源となっているが、地域には今も里見氏関連の文化財が数多く残っていることを忘れてはならない。このように南房総・安房の歴史・文化を学び、戦跡や里見氏に関わる歴史的風土を保存・活用していくことで、文化財を活かした「地域づくり」になっていくと確信している。
そこで一つめに、地域にある文化遺産を活用して、地域経済を活性化する活動に貢献していきたいと思っている。二つめには、里見氏関連の文化財などを通じて、地域の歴史的な環境を学びながら、地域に生きる市民として文化遺産を後世に伝える文化活動に関わっていきたいと考えている。三つめは、里見氏関連の文化財とともに、地域を見る視野を広げて、海洋に関わる考古・古代遺跡をはじめ、里見氏前史の中世城館跡や近世の陣屋遺跡・海防遺跡、近代の戦跡、産業遺跡など、さまざまな文化遺産の調査研究をすすめながら、房総半島南端にあることでの歴史的文化的特性を学びつつ、南房総・安房の歴史的環境や文化遺産への歴史的認識をより確かなものにしていきたいと思っている。四つめとして、海に囲まれた南房総・安房にある国際交流の痕跡を歴史的な視点からさぐりながら、国際交流の場をつくっていきたいと願っている。とくに東アジアとの交流をみると、地域には歴史的な関わりをもつ文化遺産もあり、東アジア世界の人びととの交流のきっかけにしていきたい。
以上、私たちのNPOは、南房総・安房の文化的歴史的な特性を視野に入れながら、地域の自然や文化遺産を活用していくガイドの活動を中心に、それに関わる事業活動を展開していきたいと思っている。この地域が「花があり、食べ物も美味いし、古代から現代まで歴史・文化遺産が多い」ことをアピールして、地域を訪れる人々の研修や子どもたちの学習が楽しく有意義になるような学習支援を担っていくつもりである。また、安房の自然や文化遺産を紹介するために、さまざまな媒体を利用し情報発信するとともに、充実した研修や学習の場になるように、安房地域独自の学習プログラムを企画して提供していきたい。そのためには文化財・戦跡ガイド養成の教育システムを工夫したり、訪れた人びとにわかりやすいガイドマップを作成する。さらに将来的にはガイド育成に関して、地域に学ぶ若者たちの雇用の場になるように事業を展開していきたいと思っている。」
そこで①地域にある戦跡の調査研究・保存・活用のための事業活動。②地域にある里見氏関係を中心とする文化財の調査研究・保存・活用のための事業活動。③地域の国際交流の痕跡を調査研究・保存・活用する活動をおこない、「特定非営利活動促進法」のなかの「3.まちづくりの推進を図る活動」「4.学術、文化、芸術又はスポーツの振興を図る活動」「8.人権の擁護又は平和の推進を図る活動」「11.子どもの健全育成を図る活動」に該当した活動を考えている。
【2.NPO法人設立の背景】
NPO設立にいたるまでには、この南房総・安房の歴史的特性を深め、文化遺産をまもっていく3つの活動があった。まず「戦跡」に関する活動である。1993年から安房地域の戦跡の調査研究が始まり、機会があるたびに調査研究を公表してきた。1995年、安房地域の市民に呼びかけ「戦後50年・平和の集い」実行委員会を結成し、地域の戦前・戦中の様子や地域の戦跡を調査研究し、延べ約2千余名の参加によって、さまざまな講演会や企画展を開催してきた。
その後も調査研究をすすめながら、貴重な戦跡の保存・史跡化を呼びかけてきた。その間、今日まで全国から約6千名を越える訪問者に対して、安房地域の戦跡をガイドしてきた。また、近年館山地区公民館での郷土史講座を中心に戦跡フィールドワークをおこなってきたが、それをきっかけに調査・研究やガイドの勉強を希望する市民によって、昨年4月「戦跡調査保存サークル」が結成され、現在まで月1回の現地調査や講演会などを実施してきた。そして、2002年に入って館山市は財団法人地方自治研究機構の助成を受け館山市戦跡調査委員会をつくったが、その事業のなかで平和学習の拠点として戦跡を活用する「まちづくり」構想を発表した。この委員会事務局に協力し、戦跡資料の提供や戦跡ガイドなどをおこなったことで行政との共同事業となった。
二つめに「里見氏関連の文化財」に関する活動であるが、1996年に「里見氏稲村城跡を保存する会」の活動が始まり、戦国期里見氏の城郭である稲村城跡を保存を訴え、その史跡化のための活動を続けてきた。そのなかでは里見氏の歴史的研究が急速に進展し、その後、安房にある里見氏城郭群全体の国指定史跡化を視野に、地域全体に活動を広げつために、文化財を活用した地域の活性化の方策を探りながら、里見氏関連文化財を活かす文化活動やイベント事業をさまざまな形で展開することになった。
それまですすめてきた里見氏の歴史研究のための「シンポジウム」や講演会、イベントとしては規模を拡大し、全国の里見氏関係者を集めた「南総発見フォーラム」(後「里見まつり」とタイアップし「里見まつりフォーラム」)や「里見ウォーキング」、地域の文化活動として、里見氏の城跡間を結ぶ歴史の道を歩く「里見の道ウォーキング」や、ミニ講演と寺社・城郭見学をつなげた「里見紀行」など、さまざまに工夫した事業を数多く主催・共催して、延べ1万人近い人々が関わるような取り組みをしてきた。
三つ目の国際交流の面では、2001年の「日韓交流年」にあわせて、日韓交流をあらわしたと思われる文化財-館山市大網の大厳院にあるハングルを刻む「四面石塔」(県指定)を活用して、「四面石塔の謎」を解明する日韓の歴史研究者共同のシンポジウムを開催したり、小中高の教師、高校生を招請して歴史教育実践のシンポジウムをおこなって、地域の人びとと交流する機会をつくってきた。
以上の三つの活動は、南房総・安房地域を中心に10年近くにわたって取り組んできたが、その成果も目に見えるようになってきた。2003年12月25日、これらの活動に学びながら、さらに地域の人びとがもつ知恵と思いを広げて、少しでも地域社会に貢献したいと願う市民たちによって、NPO法人設立の準備会が開催された。
私たちは、これまで取り組んできた戦跡や里見氏関連の文化財の保存・史跡化に関わる文化活動、さらに国際交流などの経験を生かして、関係行政機関や地域の歴史・文化関係団体、そして何よりも「地域づくり」という志を同じくする人びとと力を合わせて、地域の歴史・文化、そして平和を学びながら、これまでの国際交流などをさらに発展させて、地域の人々がもっと心豊かになっていくNPO活動の創造を願っている。そして、2004年1月13日、NPO設立総会に至ったのである。
【3.NPO活動と「地域づくり」の理念】
21世紀に入って、政治や経済、文化活動の場として「地域」に目が注がれるようになった。だが地域の市民活動のなかで、市民自らが主役になった「地域づくり」がおこなわれているだろうか。一般的には相変わらず行政当局が計画した公共事業のもとで、行政主導の「地域づくり」「まちづくり」がおこなわれてはいないだろうか。
世界的には20世紀末から大きな潮流となって成果を上げてきたNGO活動の影響のなかで、欧米を中心に伝統的な市民運動のひとつとして、NPO活動が活発に展開してきた。その動きは日本にも波及し、社会活動としてNPOの役割は大きく評価され、福祉分野をはじめ、さまざまな分野で着実な活動を積み上げてきた。
近年のNPO法制定に関わって、地方自治体では市民参加型の行政施策に、NPO法人の育成を積極的に図り、なかでも「地域づくり」の分野では、NPO法人の取り組みを財政的にも支援するようになってきた。施策的には行政のスリム化や財政の縮小という動きがあるが、行政とNPOとの協働的な事業が増えている現状といえる。
これまでの市民活動の反省のうえに立って、NPO活動が果たしてきた歴史的な役割を学ぶとともに、市民自らが主役となって「地域づくり」に関わるとは、どんなことなのかを考える時期にきたのではないか。そのなかで忘れてならないのは、平和や人権、環境や歴史・文化をまもり育てる「地域」を創造していくという姿勢である。そして次代の子どもたちに、それらを伝えていく役割が「地域」が担っているということを自覚する必要がある。そのために「主役になる市民」に求められるのは、「地域」を分析する力であり、そして足元の自分を見つめながら「自己・地域・日本・アジア・世界」に視線を広げ、そして自分に戻ってくる世界史的な視座を身に付けて、広い視野から「地域」のあるべき姿を読み取っていくことである。さらに付け加えたいのは、「地域」を通して世界を見ていく歴史的な認識をもって、しかも「地域に根ざした生き方」を実践する市民の姿を示していくことが大切と思う。
また私たちのNPO法人を通じて、例えば地域にある戦跡から「平和」を学ぶことで、「地域から平和をもとめる生き方」を考えることができる。その実践からは、自己の意見を表明し行動する「地球市民」の姿勢を示すことができ、「地域に根ざす」という点では、NPO活動をいま自分がここに存在し生きているとの実感をつかむ機会になると思っている。そのなかで「平和」創造を自らのものにするためには、「平和」を心に刻み、地域に生きる生徒や市民と世界の人々が手を結んでともに「平和」創造に貢献していく意思を表明していきたい。
もうひとつ「地域づくり」の理念を考えるうえで大事なのが、歴史的想像力をもって地域を歴史的にみていくことである。なかでも地理的歴史的特性を見ていく目を磨いていくために、歴史のフィルターを通して「地域」を見ていく目とともに、歴史のスパンを長くして「地域」を見ていく目、そして世界史や日本史から「地域」の歴史を構造的にみる目が必要であることを指摘したい。
【4.地域の特性を「地域づくり」にどう活かすか】
南房総・安房地域の「いま」ある文化遺産を活かす「地域づくり」を考えるために、地域がもつ自然や歴史・文化を見直し、その特性を浮き彫りにして、文化遺産を活かす活性化の視座を紹介したい。
まず一つ目に「南房総・安房の地域イメージはどうか?」何と言っても気候に恵まれ、半島性のもとで海や山など自然環境が豊かであり、花・食・里山・黒潮など第1次産業に関わったイメージが強い。しかし地域イメージは漠然としており絞り込まれていない。
二つ目に「房総半島南端部は日本列島から見ると、どんな地域といえるか?」まず日本列島のほぼ中心部にあって、関東地域を背後に太平洋世界に突き出てた半島として、太平洋世界(黒潮)を通じて海洋文化の交流があった地域である。また、関東のなかで歴史的に中心政権があった鎌倉・江戸・東京に関わり、江戸(東京)湾の入り口に位置したことで、古代より戦略的な要衝であった場所である。
三つ目に「房総半島南端部は地理的にどんな特性をもった地域であるか?」降雨や気温には海洋性の気候の影響を受け、台風などの通過が多いので一時的な豪雨などの地域的な特性をもっている。そのなかで、気候的な特性や植生上の特性を活かした農業形態や花づくり、また黒潮と親潮の潮目をもった世界4大漁場のひとつであった漁業の歴史、さらに古代よりアワビ・海藻など豊かな磯根漁業がおこなわれている。しかし、地学的には環太平洋造山帯に位置し、世界的にも地震の多発地帯で、日本海溝が近く太平洋プレートの移動で、現在も日本で一番隆起している半島部である。
四つ目に「歴史的にはどんな特性をもった地域であったか?」まず日本列島の中央部にあったことで、古代より中央政権や地域支配者にとって地政的に房総半島の役割は大きいと認識していた場所である。また、古代から中世・近世において、列島の中央部にある関東地域の支配は、江戸(東京)湾と房総半島湾岸部などの要衝を押さえることによって、戦略上はもとより、海上交易において中央政権や地域支配者が関心をもった重要な地域であった。(大寺山舟葬墓埋葬者・翁作古墳埋葬者・平忠常・頼朝・北条・足利・里見・正木・後北条・秀吉・家康など)さらに、幕末からアジア太平洋戦争まで対外政策や軍事戦略上、房総半島南端部・江戸(東京)湾口部は中央政権と直結していた。(幕末の砲台・台場・明治期よりの東京湾要塞砲台群・館山海軍航空隊などの軍事施設・本土決戦陣地関係・米占領軍上陸地など)
五つ目に「南房総・安房の人びとは歴史的にはどんな生活文化を育んできたか?」地域を舞台にした戦乱や戦争、地震・津波・台風などの災害、海の暮らしのなかでの遭難など、個人の力ではどうすることもできない困難な状況が100〜200年のサイクルでおそってきたものの、地域で暮らす人びとはそれを乗り越えてきた。また嶺岡山系周辺の「地すべり」という災害をも利用した「棚田」農業や魚と格闘しながら獲物を得る「突きん棒」漁法、さらには自力で海に潜って魚介類の採取や農業や花作りに活かした海藻採集など磯根漁業など、労働用具などが例え不備であったとしても、伝承されてきた生活の知恵などを身に付けて生活を支えてきた。
そして、そこには豊かな地域コミュニティーをつくって、励まし合い助け合いながら生きてきた先人たちの知恵が活された生活文化をもっている。中央政権の意図的政策によって、あるいは戦乱や災害によって、地域の文化財や古文書が失われてきたものの、たとえば寺子屋などの「教育」という形を取りながら、人びとの思いや願いは子どもたちに受け継がれてきた。また、中央政権での戦乱や災害があったことで、房総半島南端部は友好や平和を求める交流の地となり、漁民たちの寄留の地であったり、商人たちの交易地として、さらには太平洋世界から漂着した人びとの交流が豊かにおこなわれていたと思われる。その結果、地域文化の拠点として神社・仏閣は再建され、そのなかで祭りや民俗伝承という形で豊かなコミュニティー社会を生みだし、子どもたちの「教育」の場もつくられていった。
「地域づくり」では「いま」ある文化遺産を活かすことを主眼にしているが、そのために先人たちが育んできた「交流・平和・コミュニティーの理念」を学び、地域の歴史的な特性を活かす生活文化を再生し、掘り起こすことが重要である。なかでも南房総・安房の人びとの「交流・平和・コミュニティーの理念」は、戦乱や災害などを乗り越えていった人びとのエネルギーの源泉であったことを明らかにし、とりわけ地域の「教育」の力が大きな役割を果たしていたことを伝えていきたい。
さらに、中世城郭や幕末の砲台跡、東京湾要塞など要塞地帯にある軍事施設に関わる戦跡、本土決戦に関わる砲台跡・陣地跡などを通じて、地域に生きる人びとの暮らしや生活文化とどう関わっていたかを探り、地域から戦乱や戦争の様子を伝えるとともに、とくに地域の人びとの生活の視点で、アジア太平洋戦争に関わる戦跡の姿を地域の歴史のなかに描くつもりである。
【5.NPO活動の将来展望】
南房総・安房は、豊かな自然と古代から現代までの文化遺産に身近にふれることができる。自然遺産ではサンゴ礁・ヒカリモ・ウミホタルなど、文化遺産では古代「海食洞穴遺跡と横穴墓・安房国府」、中世「源頼朝から里見氏まで(棚田・祭り)」、近世「ハングル四面石塔・万石騒動」、近代「自由民権運動・東京湾要塞砲台群・花作り」、現代は「ウミホタル採集・花禁止令・戦争遺跡・米占領軍初上陸地」など、すぐにでも活用できる素材が多いといえる。
私はいま「交流・平和・コミュニティーの理念」をもった「歴史に彩られた南房総・安房」の舞台というイメージを人びとに示しながら、訪れる方々のための「教育と研修」の地にしたいと考えている。とくに「交流・平和」を育む地としての「地域づくり」構想をNPO活動の将来展望として描いている。
NPOを通じての「地域づくり」は、地域に住む市民たちが核となって生まれた21世紀の新しい市民参加型の試みである。私たちNPO設立の理念が求めている地域文化の再生と平和創造をめざす「地域づくり」のために、先人たちが育んできた「交流・平和・コミュニティーの理念」のある地域社会のあり方を学びつつ、「地域づくり」のノウハウを蓄積している行政関係者をパートナーとして、とりわけ多くの志しをもった地域の市民らと協働して、実り多い地道な取り組みにいていきたい。
また、関係行政機関や地域の観光文化団体から支援を受けながら、今まで私自身が関わってきた里見氏の文化財や戦跡などの保存・史跡化の文化運動の実績を生かし、今後子どもたちの総合学習や平和学習を中心に各種団体の平和研修など、年間10万人を迎えたいと願っている。
いま地域の市民たちによる文化財・戦跡ガイド(インタープリター)事業をNPO活動の緊急課題にし、ガイド養成やガイドブック・パンフレット作成に取り組んでいる。早く地域に暮らす若者たちをはじめ、希望する市民たちの新しい雇用の場にもなるよう基盤をつくり、またコミュニティー・ビジネスの面からも地域経済の活性化に貢献したいと考えている。