赤山地下壕見学の際、悪天候の中、車まで手配して戴きましてありがとうございました。定例会で、今回の学習会のまとめをしたところ、以下のような意見が出ました。
・アメリカ軍の上陸地点はいまだに生々しかった。
・戦争が終わっても、そのまま基地は残っている。
・足を運び、肌身で感じることは大事なこと。
・館山でも学習を重ね、平和のための活動をしている方々に出会えて嬉しかった。
・市の史跡指定を受けていることはすごいこと。市民の力を感じる。
・地元である千葉のこともしっかり学習しなくてはいけない。これからの活動のヒントを戴いた。
・時間があれば、他の所も見学したかった。
次回は時間をとり、再訪したいと思っています。当日ガイドをしてくださったガイドの方、安房反核フェスティバル実行委員会の皆様によろしくお伝えください。皆様のご活躍をお祈りいたします。
南房総の発展に寄与するNPOの活動に期待
「こころ豊かで平和な地域社会の創造・再生」を目指して、足もとの歴史・文化・先人の知恵等を掘り起こし、市民が主役となる地域おこしや、青少年の健全育成に寄与する」…なんと優しく遠大な目標であろう。
それがしっかりと地域の人々の間に根付き、実践されている有様を目の当たりにした。私達千葉退職教職員の会は、200余名の人達をたてやま夕日海岸ホテルにお迎えした。「全国退職教職員関東ブロック学習交流集会」である。
1日目、愛沢先生の講演は、生徒の授業を潰さないように午後4時頃からに変更した。前半、池田さんが繋いで下さったが、急いで駆けつけた愛沢先生は汗をぬぐう暇もなく、熱のこもった口調で話され、聞き入る人々を感動の渦に巻き込んだ。真に郷土を愛し、平和への願いを地元館山から世界へ発信したいという想いが体中に溢れていた。1時間足らずの講演は皆に惜しまれ、「もっと聞きたい」の声が頻りだった。
そしてまた2日目、戦跡巡りではNPOの方々の活躍が素晴らしかった。先ず驚いたのが、綿密なスケジュールである。7台のバスに分乗した人々を実に効率的にスムーズに安全に配慮しながら見学させてくださったのである。加えて、ガイドさんたちの懇切丁寧な説明、職業訓練校の生徒さんたちの迅速な行動、オプショナルツアーの途中下車の人への適切な処置など、皆さんがNPO活動の趣旨をよく理解し、咀嚼し、体で実践している感じだった。しかも生き生きと楽しそうに—。館山の町のすべてを誇りに思い、生きている館山から平和を、そして地域おこしをアジアに、世界に発信しようという想いが、話しぶりや表情に滲み出ていた。皆、自信に満ちていた。
参加者からたくさんの感想が寄せられた。NPOの方々への感謝の言葉やら、館山に点在する戦争の「生き証人」を大切に保存して欲しいという願いやらである。
これほどまでに地域を巻き込んだ愛沢先生の偉大さもさることながら、その熱意に応えた町の人々や行政も素晴らしいと思う。アジア・世界に繋がる平和な町、南総・館山の発展の原動力となるNPOの未来を心から期待すると同時に、皆で支えていきたいと思う。本当にありがとうございました。感動の2日間でした。
参加したメンバー皆、たいへん関心をもって見学させて頂きました。
自分自身も地元にあんなにすごい要塞があったり、歴史がある事に
今更ながら驚き、また考えさせられる体験でした。
富樫さんご夫妻の丁重なガイドもあって仲間が皆、
有意義な一日を過ごせた事に感謝しております。
今後の皆様の活動にお役に立てる事がありましたら、是非お声かけください。
ありがとうございました。
年末のお忙しい時期,また,荒天の厳しい中,安房科学塾の参加者のために「館山の戦跡」案内をしていただき,とても感謝しています。ありがとうございました。お礼が遅くなり,申し訳ございません。
愛沢さんや池田さんからお話を伺い,胸が熱くなるとともにたまらない衝撃をうけました。できるだけ多くの方々に伝えなければと思い,まずは知人にメールで連絡しております。
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この度は歴博友の会の研修旅行では大変お世話になりました。
皆様のお蔭で、予定していた見学個所もほぼこなすことができ、
有意義な研修になりました。
懇切丁寧なガイドをしていただいた佐藤ご夫妻、岡崎ご夫妻
臨場感のある語り部の松苗さんとスタッフの皆様にも感謝、感謝です。
天候も一時はどうなることかと思いましたが、
文字通り波瀾万丈の変化を見、鏡浦であれほどの波も初めてでした。
帰途にはオレンジ色の夕陽の中で富士山がきれいなシルエットを
描いていました。ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
昨日は、私どもに、貴重な館山に存在する戦争の遺跡を巡る機会を頂きありがとうございました。戦争体験のない私たちですが、あらゆる点で現在進行中の戦争の無意味さを改めて感じます。私たち以上に余りにも平和で、物のあふれた社会で、生まれてからずっと生きてきた生徒たちに(若者たちに)どのように戦争の悲惨さを伝えてゆくのかが私たち大人の使命と考えています。
本当にありがとうございました。ほか5名の者もよろしく申しておりました。
昼食後に、体験した「ウミホタル」の言葉に言い表せない美しさの感激を全世界の人々が体験したら、きっと。。。と思いました。
5・6日の私たち年金者組合小平支部の旅行の際には、いろいろご配慮いただき本当に有り難うございました。夕日海岸ホテルで見せていたがいたウミホタルの幻想的な光には全員が感嘆の声をあげていました。「これを見ただけでここに来た甲斐があった」との声も出ました。戦跡めぐりはあいにくの雨の中で、ガイドの方も大変だったと思います。でも、メインの赤山地下壕は雨に煩わされることなくゆっくりと見学することが出来ました。当時の支配勢力が戦争という国家的プロジェクトにかけた「妄想の産物」なのでしょうか。往路は東京湾横断アクアラインを利用しましたが、これもまた国家プロジェクトの「妄想の産物」でしょう。時代が変わっても支配勢力の発想は、「山を掘るか、海の下を掘るか」程度の違いにすぎないのでは、と思いました。ともあれ、参加者全員、「ガイドさんの説明がなければ、ただの洞穴の中に入っただけに終わっただろう。ガイドのお陰でいろいろと知ることが出来、勉強になっ
た」と、異口同音に感想を話していました。年金者組合安房支部のみなさんとの懇談も大変有意義でした。私たちの小平とは違った環境の中で活動されている経験を聞かせてもらえ参考になりました。6日は、前日とは打って変わった青空で、三浦半島の先端や大島、富士山がくっきりと見えました。道路も空いていましたので予定より半時間早く帰着出来ました。
「また機会があれば訪ねたね」との声も出ていました。
みなさんによろしくお伝え下さい。
ウミホタルの採取に中学生が動員されたというお話は鑑賞会で聞きました。当時、戦争には文字通りすべての国民が総動員されました。私は、岡山県の片田舎で「国民学校2年生」のときに敗戦を迎えたのですが、終戦の前年にドングリ、松の根、ヒガンバナの球根、こんな物の採取に動員されました。松の根は油を採る、ヒガンバナの球根からは糊を作ると聞きました。ドングリは何に使う目的だったのでしょうか。こんなものを集めるようでは戦争に勝てるわけなどありません。私の父などは、開戦当時から「アメリカと戦争して勝てるわけがない」と言っていたようで、「そんなことを言うと捕まるぞ」と、親せきからたしなめられていました。だから8月15日、「敗戦」と知っても、さして驚きはありませんでした。
敗戦の年に入ると、校舎・校庭が軍隊に接収されました。校舎は兵舎になり、校庭には軍馬の小屋ができました。子どもたちは部落にある芝居小屋などに分散して集まり、そこに時々先生が回ってきていましたが、もちろん勉強はできませんでした。軍は山中に壕を掘っていました。その壕がどうなったのか。先年訪れる機会がありましたので、記録が残っていないか調べてみましたが、分かりませんでした。もちろん、赤山のような規模のものではありません。敗戦後、そこに隠匿されていた物資を取りに住民がゾロゾロと押し掛けました。私も父とリヤカーを引いていくらか持ち帰った記憶があります。軍で蓄えていたローソクなどだったと思います。
有事法制が成立した今、戦前と同じように国民を動員することが法的には可能になってしまいました。これを実施させない状況をどうつくるか。切実な課題です。そうしたことからみると、みなさんのNPOの活動は重要なお仕事です。ご健闘ください。
戦争遺跡保存全国大会に初めて参加しました。戦争遺跡の保存に熱心な方々がたくさんいることは驚きでした。基調報告で十菱駿武代表は「戦争遺跡の保存と活用は地域の街つくり計画と組み合わせて民間が提案し、『平和の語り部』となるようにすべきだ」や作家の早乙女勝元さんの講演「平和の語り部としての戦争遺跡」が印象に残りました。
見学した旧海軍航空隊の赤山地下壕は市で整備され、地下壕の壁天井をコンクリートでまくなど、遺跡のあり方と見学者の安全との関係は考えさせられました。
参加して感じたことは、戦争遺跡をどういう観点から保存し、活用するかと言うことでした。戦争遺跡は平和の語り部として保存されるべきです。それは庶民、一般国民の目からでなければいけないということです。戦争遺跡は戦争の悲惨さ、愚かさを語り、戦争を知らない世代に平和を語りかけるものとしてこそ存在するのではないかと強く感じて帰ってきました。
◎戦争の犠牲者はいつも市民と子ども
千葉では海藻を焼いてできる海藻灰を火薬の原料にしようと漁民たちを総動員してカジメ・アラメ採集に走らせ、花を作る農民は国賊と言われ厳しく取り締まられて花畑は芋畑と化し、子どもたちは夜間のゲリラ戦に備えて敵味方を判断するための夜光塗料の原料としてウミホタル採集に従事させられました。花作りを守った方、ウミホタルの採集をさせられた方の証言もありました。全国シンポ交流会では、そのウミホタルの美しい光を実際に見せていただきました。 戦時にはかなり愚かしいことがまことしやかに行われ、罪のない住民や子どもが苦難を強いられます。そして茂原の航空隊基地の建設、桜花四三乙型基地建設、赤山地下壕の掘削など、いずれも朝鮮人労働者が関わっています。全国の戦争遺跡それぞれは何のために誰がつくったのか、そしてそこから何を学ぶかは大きな課題ですが、戦争遺跡保存や調査研究には、市民・子どもの視点を忘れないようにしたいと思います。