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「戦跡からみる安房の20世紀」(2000年)


最終回 「戦争遺跡の史跡化と活用」


【戦争遺跡に安房の歴史的特性をみる】

二〇世紀は、まさに「戦争の世紀」であった。

この連載では、安房が日本列島のほぼ中央に位置し、太平洋に突き出た房総半島先端部を占め、かつ東京湾口部にある軍事戦略拠点という歴史的特性のなかで、日本近代史とどう関わってきたかを戦跡や戦争関連事項を通じて探ってみた。

戦後五十五年が経過し、安房のおいても戦跡の風化と破壊がすすんでいる。二十一世紀を見据えて、安房の歴史的特性を示す貴重な歴史資料である戦争遺跡を史跡指定にするなど、保存対策をとりつつ、地域振興につながる活用策の検討を行政当局に望みたい。


【千葉県第一号の戦跡文化財】

先般、富浦町文化財審議委員長生稲謹爾氏より、大房岬にある東京湾要塞関連構築物を史跡指定にする旨のお話を伺った。安房の戦跡を調査・研究する一人として、貴重な戦跡は史跡指定にし保存・活用がなされることを念願していただけに、二十一世紀を目前にして、前向きに取り組んでこられた関係者の皆様に深く敬意を表したい。

正式に史跡指定になると千葉県では第一号であり、全国でも九番目となり、全国に安房の戦争遺跡の一端を紹介する大変良い機会になっていくと思う。

私はこれまで何回か大房公園内で戦跡フィールドワークを実施した。また県北の子どもたちの野外学習では、大房岬の自然的環境とともに、歴史的環境としての戦跡を案内しながら、地域の視点から歴史を実感させることを試みてきた。

大房岬にある東京湾要塞の一部をなす大房砲台跡やその関連施設跡、探照灯施設跡などの戦跡が史跡指定になることを契機に、平和学習教材のひとつとして活用されることを期待したい。


【沖縄県南風原町から学ぶ】

いまから一〇年前、沖縄県南風原町は全国に先駆けて、戦跡である「南風原陸軍病院壕」を町指定史跡とした。この壕は「ひめゆり学徒隊」が看護活動した病院壕として有名である。

当時、町では運動公園計画用地内に病院壕がかかり、その保存の有無が問題となった。沖縄戦の戦跡が法的には文化財指定基準の対象時期に該当せず、既存の法律で病院壕を守ることは不可能と思われた。しかし、文化財審議会は検討に検討を重ねた結果、最終的に沖縄戦の戦跡を文化財に指定できるように、町条例で指定基準を改正し、保存と史跡指定を決めた。

この「南風原陸軍病院壕の南風原町文化財指定」報告書によると「壕は戦争の悲惨さを教える生き証人」であり、「二十一世紀になると体験者から聞き取りすることはほぼ不可能」となるので「壕を保存すれば、半永久的に語ってくれるし、追体験する上でも有効」と述べ「指定と保存・活用が必要である」と指定の理由説明がなされている。

現在、沖縄では一般の観光コースだけでなく、戦跡コースを平和学習のためにめぐる学校や団体が急速に増えており、修学旅行でも年間数百校が、南風原陸軍病院壕をはじめガマと呼ばれる洞窟に入って、沖縄住民の戦場体験を追体験する平和教育を実施している。


【戦跡保存と史跡化のために】

一九九五年、原爆ドームの世界遺産登録に関わり、文化庁は文化財保護法を改正し、指定基準を近代まで拡大した。史跡指定の時期は当面、第二次対戦終結ころまでの戦跡、その他政治に関する遺跡で歴史的・学術上価値あるものとした。

遺跡や遺物は文字記録などとは違って、実物であるので適切な説明があれば、具体的で説得力があり、教育的価値は高い。

一般に軍事機密であった戦跡は、記録が未公表であったり、また戦争直後に秘密保持のため構築物が破壊されたり、さらには戦時中の記録が抹消されたので、歴史的な解明が難しい。ゆえに戦跡そのものが基本的史料であり、歴史的軍事史的な視点から俗論などを批判する学術資料になり、戦争の歴史的事実を解明していく有力な手段となる。


【戦跡にふれる体験を】

地域にある戦争の傷跡を掘り起こし研究・調査していくと、戦跡は戦争の事実を語る、実に素晴らしい実物教材とわかる。戦跡は保存するだけで公開・活用しなければ意味がない。戦争を追体験する場として、平和教育に活用することが大切である。

ところで私は現在、里見氏稲村城跡保存運動を通じて、安房の歴史的特性を視野に入れながら、地域の地場産業や文化遺産を活用しての地域振興プランを提起している。たとえば中世であれば、戦国期里見氏の城郭群やその関連文化財を活用した「南総里見八犬伝」の里として、全国どこにもない「地域おこし」が可能と思っている。

「花があり、食べ物も美味いし、古代から現代まで文化遺産が多い」安房がアピールできる、さまざまなウォーキングやドライブ、観光などのコースをつくる際に、保存状況が良く見学可能な戦跡をいくつか入れてはどうかを提案したい。

とくに子どもたちの学習旅行・体験学習では平和学習を組み込んでもらい、安房では戦跡にふれる体験ができることをPRしてはどうであろうか。他の地域では簡単に真似のできない企画である。戦跡案内の際に適切な説明がなされると、子どもたちは安房という地域に強烈な印象を持つはずである。


【戦争遺跡は未来への遺産】

「世界遺産条約」には、世界の人々が異なる歴史や文化をお互い尊重し学び理解するなかで世界の平和発展の礎にしていこうという理念がある。戦跡を地域にある平和をめざす文化遺産にするためにも、「負の遺産」であるので文化財としてなじまないとか、関係者がまだ生存していて歴史が浅いので時期尚早という見解を私たちは乗り越えていくべきであろう。

いま二十一世紀を目前にして、戦争体験のない「親世代」が大半になり、そのもとで育った子どもたちに戦争や平和をどう語り継いでいくかが問われている。戦争体験の「風化」がすすみ、語り部も数少なくなっただけに、戦争遺跡を「生き証人」として、その存在をして戦争を語らしめる未来への遺産としたいものである。


【安房から反核平和の声を】

館山では毎年八月に、核廃絶と世界平和を願う人々が実行委員会をつくり、地域に根ざした平和のつどいが開かれる。講演会や展示会では毎回学ぶことが多い。多年にわたって取り組んできた関係者の皆様のご努力に頭が下がる思いである。

この二十七日(日)九時より十七時まで、館山コミュニティーセンターを会場にして、実行委員会・館山市被爆者同友会主催、館山市・同教育委員会などを後援に、二〇世紀最後の「安房反核フェスティバル」が開催される。

催しの内容は例年のように原爆写真展をはじめ、安房の戦跡写真展や映画「子どもの頃戦争があった」「きけわだつみのこえ」の上映、十九歳のとき長崎で被爆した米田チヨノさんの講演会などとなっている。

二〇世紀最後の年を生きている今、戦争と平和の意味を考える機会として、気軽に参加されることを願っている。

09年3月12日 9,072

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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