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(日本経済新聞・文化欄2005.5.11付)

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●首都防衛館山の秘密基地
.〜南房総の旧軍遺跡を調査、地域から戦争を見る

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NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム

理事長:愛沢伸雄


小高い山の中腹にぽっかり開いた真っ黒な口。懐中電灯を手に中に入ると、総延長二キロメートルに及ぶトンネルから冷気が伝わってくる。「ここ赤山(あかやま)地下壕は旧海軍航空隊の秘密基地だったんです」。私の説明を聞きながら、左右を見回すガイドツアーの参加者たち。六十年前の戦争が、まるで昨日の事のように思えてくる。

房総半島の南端、千葉県館山市。お花畑に海水浴と、首都圏の観光スポットとして知られるこの土地も、戦前は首都・東京を防衛する要塞(ようさい)になっていた。一九三〇年に館山海軍航空隊が置かれ、四一年に落下傘兵などの特殊部隊を養成する館山海軍砲術学校ができた。戦争末期には本土決戦の主戦場の一つとして、約七万人の兵力が集結していたという。


本土決戦に備え指揮所

今でものどかな丘に戦闘機を隠す「掩体(えんたい)壕(ごう)」が眠り、静かな海辺には特攻艇「震洋」の発進台が残る。地元の高校の社会科教師をしていた私は十五年ほど前から館山と戦争のつながりに着目しこうした「戦争遺跡」の調査を続けてきた。

きっかけは社会科の授業研究だった。授業で地元の歴史を取り上げようと、従軍慰安婦だった女性が暮らしていた市内の福祉施設を訪れた時、慰安婦の慰霊碑のほかに大きな地下壕があった。

聞くと本土決戦に備えた戦闘指揮所という。地下壕の一室には「作戦室」の額があり、隣部屋には天井にコンクリート製で三メートル四方の龍のレリーフがかかっていた。こんな軍事施設があったなんて。戦争中、館山はいったいどんな場所だったのだろう」。疑問がむくむくとわいてきた。


住民から聞き取り

本格的に調査を始めたのは九三年。学徒出陣五十周年の節目だったので、地元有志で住民から戦争の話を聞いた。この時、館山に全国でただ一カ所、航空兵器の整備要員を養成する「洲ノ﨑海軍航空隊」があったことなどが分かった。写真を添えて展示会を開いたところ、来訪者が口々に「今後も続けるんでしょう?」と言ってくる。

こちらも聞き取りを通じて、埋もれた歴史がまだ出てくる感触があった。「よし、やってみよう」。九四年に地元住民約百五十人が参加する実行委員会を作り、資料と証言の収集を始めた。

戦争中、館山にどんな軍事施設があり、住民はどうかかわったのか。「地域から戦争を見る」をテーマに、特に住民からの聞き取りに力を入れた。事前に防衛疔の防衛研究所図書館などに通い、南房総の戦闘記録をつぶさに拾って整理。それを基に証言を集めた。

例えば米軍が硫黄島上陸の事前作戦として館山周辺の航空基地に大規模な攻撃を仕掛けた時のこと。「四五年二月に千機ほどの米軍機が館山に来たらしいけど」と尋ねると、「そうそう、あの時は機銃掃射が激しくてね」と話が始まる。ぼやけた記憶の輪郭が徐々にはっきりしてくる。

当時中学生以下の子どもだった人の証言に、率直で興味深いものが多かった。わずか十四、十五歳で海軍の「特別年少兵」となり、地元砲術学校で厳しい訓練を受けたという人がいた。機密が多かったためか、それ以上の年配の人は口の堅いケースがままあった。


戦時中は花作り禁止

もちろん、聞き取りだけでは分からないこともある。館山湾を見下ろす赤山の地下壕はその代表格だ。三〇年代から秘密裏に整備が始まったとされるこの壕は、単なる防空壕ではない。館山の航空隊はハワイ真珠湾攻撃で脚光を浴びた航空母艦と航空機を主体とする機動部隊の訓練地だった。発電機を使い、堅牢なコンクリート造りの部屋も備えていたこの地下壕には、艦載機や無線通信の極秘開発にかかわる施設が置かれていたのではないか。実態の解明は今後の大きな課題だ。

昨年、私は調査にかかわってきた仲間と一緒に、特定非営利法人(NPO法人)「南房総文化財・戦跡保存フォーラム」を設立し、市内に約五十カ所ある戦跡のガイドを始めた。

冬から春にかけ一面に咲く花畑。「実は戦時中、花作り禁止令が出て、農家では種苗を命懸けで隠しました」。夜光性のウミホタルも「軍が夜襲用の発光塗料にするため、中学生に採取させていたんです」……。

約三十人いるガイドの説明を聞いた人は、意外な事実に「へえ、ほう」と感心してくれる。住民が語ってくれた戦争の歴史を、この活動を通じて少しでも多くの人たちに伝えていきたい。

(あいざわ・のぶお=南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム理事長)

05年5月11日 6,889

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

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