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戦火の記憶:戦後75年(1945→2020)

地下壕に眠れる龍

東京新聞2020.7.29‥⇒印刷用PDF

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太平洋戦争末期、戦況悪化の中で「本土決戦」に備え、沿岸部を中心に武装化が進んだ。その最前線にあった千葉県館山市に、荘厳な龍のレリーフが彫られた地下壕(ごう)が残っている。戦後75年を経て、閉じ込められた「洞窟の龍」は今、何を語りかけているのだろうか。

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◆千葉・館山 本土決戦の最前線

懐中電灯を頼りに、ぬかるんだ地面を長靴で一歩ずつ前に進む。道は狭く曲がりくねっている。掘りかけの状態だったり、セメントの袋が積み上げられたままの場所もある。

入り口から三十メートルほど。壕の最も奥に突き当たった。天井を見上げると、現れたのは約三メートル四方の龍のレリーフ。射抜くような鋭い目と、荒々しい背中の文様が今にも襲い掛かってきそう。

龍の口元からは、一本だけ電気コードのようなひも状のものが五十センチほどだらりと垂れ下がっている。赤や黒色の銅線が束ねられ、龍の髭(ひげ)を形作っている。七十五年前の3D表現? どこかユーモアさえ感じる。

「すごい緻密さですよね。『洞窟の龍』は今もずっとここで生きているんです」。地元の戦跡や文化遺跡の保存活動をしているNPO法人安房文化遺産フォーラム(事務局館山市)事務局長の池田恵美子さん(59)が感嘆する。

水中特攻兵器の「海龍」「伏龍」、木製グライダー型の特別攻撃機「神龍」など海軍の兵器には「龍」が使われたものも多い。池田さんは言う。「海軍の象徴でもあった龍を、なぜここに彫ったのか。余裕があった証拠か、勝つために必死だったのか。証言が一切出ていないのです」

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◆制作経緯不明 「歴史知る機会に」

館山は当時、戦闘機パイロットを養成する「館山海軍航空隊」(館空(たてくう))や、整備員を養成する「洲ノ埼海軍航空隊」(洲ノ空(すのくう))が配備された主要な軍都の一つ。この地下壕は、洲ノ空の一角にあり、洲ノ空部隊が造ったと伝わる。館空近くにある赤山地下壕は市指定史跡に登録されているが、この壕に名前はない。標高一二八メートルにあることから本土決戦の作戦図に「一二八高地」と記されているだけだ。

壕の中には、「昭和十九年十二月竣工 戦闘指揮所」の石額が掲げられた部屋もあった。「作戦室」と書かれた部屋や天皇の写真を飾ったとみられるくぼみも残っていた。

戦史叢(そう)書などによると、大本営は四四年七月、「本土沿岸築城実施要綱」を示し、沿岸砲台や抵抗拠点となる陣地の建設を命じている。だが、資材不足で建設できない地域も多かった。

一方、房総半島南部は東京湾要塞の要。明治大の山田朗教授(日本近現代軍事史)は、「館山は戦略的に、早い段階から地下壕が造られていた可能性がある。龍のレリーフもその一つで、装飾に力を注ぐことができたのではないか」とみる。

「洞窟の龍」の謎に迫ろうと、防衛省防衛研究所の史料閲覧室や国会図書館の資料を探したが、決定的な資料は見つからなかった。

壕にはもっと多くの部屋があったようだが、地下水がたまったり崩落して、今は入り口近くしか進めない。老朽化も激しいが、現場に立つと当時の空気を感じることができる。池田さんは「龍をきっかけに、戦争を考える機会にしてもらえたら」と呼び掛ける。

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壕は私有地で立ち入り禁止だが安房文化遺産フォーラムでは、「平和学習」が目的の団体向けにツアーを受け付けている。問い合わせは事務局=電0470(22)8271=へ。

1944年6月、サイパンなどマリアナ沖での惨敗で、日本は太平洋での制空・制海権を事実上失った。大本営は同年7月に、年末までに沿岸砲台や抵抗拠点となる陣地の建設をするよう命じた。千葉県九十九里町の片貝海岸から上陸する米軍を、同県の東金市や旭市飯岡などの丘陵地で迎え撃つ作戦だったといわれる。東京湾を一望できる鋸山(富津市、標高330メートル)を最後の抵抗陣地にするため、東京湾兵団を主軸に数万人の決戦部隊を配備していた。

@8 文・木原育子/写真・由木直子

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7月29日09時55分 435

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

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