文化財保存運動と「地域おこし」〜市民の手作りイベント「南総発見フォーラム」とは
愛沢伸雄 ≪千葉県歴史教育者協議会 会誌第31号(2000年)≫
戦国前期の貴重な文化遺産である里見氏「稲村城跡」の保存運動は、5年目に入った。この運動に取り組んでいる「里見氏稲村城跡を保存する会」(以下「保存する会」)は市民による文化財保存団体として、安房にある里見氏城郭群の国指定史跡化をめざすとともに、地域の文化遺産から地域を学び、文化遺産を後世に伝えていくことを活動方針にしてきた。
1999年11月、「保存する会」代表世話人として私は、歴史研究者の川名登氏ら4名とともに、西暦2000年という節目に南房総・安房地域の歴史・文化をあらためて見つめ直し、歴史的風土を再認識するイベントとして「南総発見フォーラムー花と里見と八犬伝」(以下「フォーラム」と略する)を呼びかけた。この歴史と文化を活用した市民による3日間の手作りの「フォーラム」に、地元県内外から600名近くの参加者があり、いまあるものを活用する「地域おこし」のあり方に一石を投じた。稲村城跡保存運動を振り返りながら、「フォーラム」を立ち上げていった経緯と「地域おこし」との関わりからその意義を紹介したい。
【1】4年間の里見氏「稲村城跡」保存運動の意義
稲村城跡保存運動は1996年3月に始まった。文化遺産破壊という緊急事態に対して、マスコミなどの協力もあり広く市民に訴え運動体を結成した。まず署名活動に取り組み6月には館山市長に2千余筆署名(後に9千余筆)を添えて要望書を、館山市議会には「稲村城跡保存に関する請願書」を提出した。
以来、担当の文教民生委員会では7度継続審議となったが、翌年の12月には全委員の理解が得られ請願書採択となり、本会議でも全会一致で採択された。念願の市道建設計画が変更となり、取りあえず稲村城跡は守られたのであった。
この間地元市民はもちろん、全国各地からさまざまな支援があった。とくに手弁当で支援いただいた中世東国史研究者や城郭研究者の調査研究により、稲村城跡をはじめ里見氏城跡群の歴史的価値は浮き彫りにされ、安房の中世世界の扉が少しずつ解明された。そのなかで「保存する会」では、地域の貴重な文化遺産である「稲村城跡をはじめとする里見氏城郭群」を国指定史跡を求めていく活動方針を決定した。その実現のために地域の人々とともに、「里見の道」ウォーキングや「里見紀行」など安房の歴史・文化を見つめ直すささやかな文化活動を実施してきた。とくに稲村城跡の活用の面では、地元稲地区の方々のご理解をいただきながら、ボランティアによる草刈りや史跡めぐりのガイドなどの活動を続けてきた。
ところで地元の地権者との間で市道問題はいまだ解決していない。長い期間にわたって未解決のまま地権者が不安な状況におかれているので、市当局は責任をもって円満かつ早期に決着つけていくことが望まれる。私は将来の青写真として、地権者や地域の方々の理解を得ながら、市議会や市当局・教育委員会の呼びかけのもと、地元や多くの市民が結集して国に稲村城跡の国指定史跡を働きかける運動体を結成していくことを願っている。その際、他の里見氏城郭群をもつ町村自治体や教育委員会、あるいは地元の史跡化をのぞむ団体などがともに手をたずさえて、知恵を出し合いながら安房地域全体で国指定の史跡化にむけた運動を展開していくことが重要と考えている。そのなかでこそ21世紀にむけて、安房の貴重な文化遺産である稲村城跡をはじめとする里見氏城郭群の国指定史跡化が実現していくものと展望している。
いま館山市総合計画審議会において2015年を目標年次として、基本構想が検討されている。本年2月に出された中間答申をみると、「館山新世紀発展プラン」としてそのの施策のひとつに「(3)交流・交易のまちづくりと館山湾の活用」をあげ、「美しい自然や郷土の文化を活かしながら、訪れる人を温かく迎え、楽しくさせるようなまちづくりを市民ぐるみで進めます」と述べ、「(4)賑わいと憩いと癒しの観光地づくり」では、「海や花などの自然資源や里見氏などの歴史・文化資源を活かすことを基本として・・・南房総の観光資源の広域ネットワーク化を実現し、観光地としての多様性の向上に努めます」と位置づけている。また「ふるさと館山の保全と育成」のなかでも「歴史の中で培われた伝統・文化・・・などを館山が誇る優れたふるさと性をしっかりと守り、育んでいこう」とし、「豊かな文化の継承と振興」の項目のなかで「黒潮や館山湾がもたらした文化交流、里見の歴史、郷土芸能などを後世に伝承すると共に、那古観音堂などの文化財の保存継承を進めます」と述べている。
いずれの柱にも「里見氏の歴史」が置かれ、これまでの市政の方向とは違い、歴史的な特性を活かしたまちづくりの文言が入った。この4年間保存運動のなかで訴えてきたことが市政の構想策定に一定の影響を与えたといえる。地道でも市民による文化財保存運動の果たしてきた意味は大きい。
【2】地域の文化遺産を学び・伝え・活用する文化財保存活動
1998年12月、「保存する会」は会の目的を安房地域全体を視野に入れながら、文化財保存の活動を発展的に捉えていく内容に改正した。まず第一に「里見氏城郭群の国指定史跡をめざす」とともに、第二には安房の文化遺産から地域を学び、文化遺産を後世に伝えていく役割を担うとした。
そして、そのねらいを3点にまとめた。一つ目は「活用する」という点で、21世紀にむけて安房の文化遺産のひとつである「里見氏城郭群」の国指定史跡化をすすめ、安房の歴史的風土の保存・再生の起爆剤とするとともに、文化遺産の活用の場を創造していくこととした。二つ目に「伝える」という点で、地域文化の保存と再生を視点に、里見氏関連文化財など安房を代表する文化遺産をはじめ、安房の歴史的な環境や風土をあらわす文化遺産について学びながら、地域に根ざす市民の立場から後世に文化遺産を伝える文化活動を積極的に展開することとした。三つ目には「学ぶ」という点で、いままで取り組んできた戦国期里見氏城郭群の文化財に加えて、海洋に関わる考古・古代遺跡をはじめ、里見氏前史の中世城館跡や、近世の陣屋遺跡・海防遺跡、近代の戦争遺跡、さらには地域にある様々な構造物の産業遺跡などを調査研究しながら、安房が房総半島南端にあることでの歴史的文化的特性を学びつつ、安房の歴史的環境や文化遺産への認識を広げることとした。その際、安房の歴史が東国史や列島史のなかで、どのように位置づけられるかも視野に入れることにした。
以上のねらいを具体的に実践するために、①安房全体の文化運動・文化活動にするために、市民サイドにたった活動方針を創造していく。② 地域・市民ぐるみの歴史的環境や文化財保護のあり方を考えるためにも、市町村文化財審議会や市町村文化財関係団体、博物館関係者との交流を積極的に図る。地域で取り組む文化活動では、教育委員会などの「後援」を要請する。③従来通り、「保存する会」をあげて集い・講演会・フィールドワークなどに取り組み、一人ひとりの学ぶ力を結集する。そのためにも、会が活性化するように企画・運営を工夫し、参加しやすいかたちを追求するとともに、「年会誌」(冊子)を作成し、会の活動の成果や会員などの調査研究を報告する。④里見氏研究に興味・関心をもつ会員を中心にして、研究者・専門家の協力を得ながら、調査研究の勉強会をおこなう。⑤地域の文化遺産・文化財ガイドブックなどを作成する。⑥その他さまざまな文化遺産に関しても、研究部会あるいは勉強のための部会を組織することも視野に入れる。以上の6点を踏まえて活動方針をつくってきた。
今回の「フォーラム」開催は、会が目的とした「文化遺産の活用の場」となり、「地域に根ざす市民の立場から後世に文化遺産を伝える文化活動」になるだけでなく、「安房の歴史的環境や文化遺産への認識を広げる」役割を果たすものと位置づけ、私は呼びかけ人になった。
【3】国指定史跡化運動と市民による「地域おこし」
「里見氏城郭群の国指定史跡をめざす」運動を展開するためには、何と言っても地域の人々や行政当局に、どのように働きかけていくかという長期的で具体的な取り組みが求められる。「保存する会」では、まず市町村の文化行政・地域振興の長期計画を吟味し検討して、「新しいもの」(テーマパークなど)に頼るのではなく、地域の文化遺産など「いまあるもの」を活かしての地域振興が図られるように、地域に根ざした市民の立場から提案することが必要と考えている。そのためには「国指定」史跡があることで市町村振興や地域の活性化につながっている全国的な事例や、「地域おこし」や史跡指定公園などに活用・整備している具体的な情報を提供することが重要である。と同時に、行政当局を巻き込んで運動を大きくすすめていくためにも、全国の「国指定」史跡化の方法を学び、安房地域での史跡化のプロセスや「国指定」のプランなどを地元・地権者や市町村当局・教育委員会に提案していく力量をもたねばならないだろう。今後「国指定」をめざして広域市町村間での連携をとったり、各自治体間の文化行政との兼ね合いを調整するということになれば、文化財保存団体として「保存する会」が果たす役割は大きいかもしれない。
いま安房地域では雇用・過疎化・高齢化などさまざまな問題を抱え、地場産業の花や海産物だけではない地域振興策のあり方を各自治体は模索しつつある。地域のさまざまな情報や知恵を集約して、いまこそ歴史的な風土や文化財を活かした「地域おこし」や「まちづくり」を提起する時期が来たのではないか。この4年間市民の立場から地道に文化財保存運動を続けてきた私たちには、各安房郡市町村行政関係者や市町村議会、各市町村教育委員会をはじめ、商工会議所・青年会議所・観光協会、さらには地元のライオンズやロータリーなどの会員に文化財を活用した「地域おこし」を積極的に働きかけることにした。
【4】「南総発見フォーラム-花と里見と八犬伝」とは
史跡化運動の意義を知らせるために、まず地域の文化遺産など「いまあるもの」を活かす地域の活性化を訴えてみることにした。安房全域に広く呼びかけ行政からの支援をうけつつ、地域に根ざした市民によるイベントを企画した。それも里見氏の文化財を活かした手作りの「地域おこし」を市民のボランティアで運営するとした。
99年10月の終わり、2000年という節目を目前にして、南房総・安房という歴史的風土をあらためて見つめ直し、地域の多くの人々が安房を認識する機会として、地域の文化遺産を活用した「地域おこし」としての「南総発見フォーラムー花と里見と八犬伝」の開催を提起した。5名の呼びかけ人の気持ちがひとつになり、その取り組みは5つの団体が共催して実行委員会を結成するという形でスタートした。期間は南房総の花の季節である2月11日から3日間、安房地域の歴史・文化の再発見をイメージし、かつ親しみやすい名称ということで「南総発見フォーラムー花と里見と八犬伝」と名付けた。
まずこのイベントの収支結果を報告する。収入では入場料や広告協賛金を中心に約250万円という設定通りの数字となり、心配された赤字にはならなかった。当初より交流会の飲食費を含む8000円という入場料(「里見サミット」「八犬伝の世界」のみ3000円)は、この地域の実態からみて高いのではないかと指摘された。最終版までやはり市民には今一歩の売れ行きであったが、当日は予想を超えすべての席は埋まった。支出面ではイベントに関わった方々のボランティア精神が発揮された。とくに招待者には宿泊・交通費の配慮をいただいたり、交流会費やイベントの支出も最小限に抑えられるとともに、当日の運営はすべて手作りで50名を超えるボランティアが支えてくれた。
結局「フォーラム」の参加者実績は、日程の第1日目(2月11日)「滝田城跡」現地見学(80名)とシンポジウム(120名)では、約150名が参加し、第2日目(2月12日)の「里見サミット」「八犬伝の世界」でも約360名、うち180名が夜の「里見交流会」と参加予想を大きく超えるものであった。第3日目(2月13日)「里見紀行」(史跡めぐり)でもバス2台となり里見氏の関係者を中心に約80名が参加した。3日間全体では、約590名と当初の見込み400名を大きく上回り、数からみても市民の手作りイベントとしては、多くの方々より大成功という評価を得た。
【5】実行委員会での取り組み
取り組みの経過を簡潔に報告する。99年10月24日(日)に呼びかけ人と共催5団体代表が集まり、第1回の実行委員会を開催した。まず事業の趣旨や企画運営の概要が承認され、実行委員長・事務局長などの組織体制が決定された。以後11月の第2回目は名称や日程・内容が決定し、具体的に仕事をする事務局体制が確認され、12月の第3回目は最終的に企画内容と日程の調整がなされた。このときに各自治体をはじめとする後援や協賛の団体がほぼ出そろった。年が明けて1月の第4回目では、広報や財政関係を確認し、当日の運営方法を決定し、後日各係の打ち合わせをおこなうこととした。
また、この間事務局会議は12回開催され、実行委員会で決定された方針の具体化をすすめるとともに、日程・企画を綿密に検討し実行委員会に図ってきた。この実行委員会事務局は、「保存する会」事務局スタッフが中心となっていたので、いままでのスタイルを踏襲する形で運営をすすめた。
ところで、地域に根ざした市民の立場からの「地域おこし」であると地域の人々から理解されるために、多くの関係各団体に後援を要請し、「フォーラム」参加も依頼していった。その結果、千葉県の企画部文化国際課からの賛同を得たことで、後日千葉県知事からのメッセージをはじめ、千葉県の後援や県の文化・観光関係機関の後援を得ることができた。また「地域おこし」の意味からも地元各自治体にはとくに丹念に足を運び、安房郡市11市町村長や関係部署、教育委員会・教育長を直接訪ね、「フォーラム」開催の趣旨や意義を伝えた。その際、各自治体関係者の参加依頼と広報誌の案内掲載も同時にお願いした。後援依頼の活動で特筆されることのひとつに、従来の「保存する会」の活動では思うように出来なかった商工観光関係者や商工会議所関係団体、さらにはロータリーやライオンズ、青年会議所などの関係者との接触が図られるようになったことである。地元のロータリーやライオンズの例会に招かれミニ講演をしたり「フォーラム」案内の機会を得たことは、いままでにないことであった。
次に広報活動をあげると、まず地元房日新聞(安房地域のみで3万部)や千葉日報などを中心に全国紙の地域版や通信社に案内掲載を依頼した。なかでも、房日新聞の新年元旦号で一面を埋める「フォーラム」特集が掲載され、安房全地域に浸透するきっかけとなった。また、手作りポスター100枚や案内チラシを1万枚配布しただけでなく、地元広告会社の協力を得てインターネットのホームページを開設したことも画期的であった。さらに、プログラムの協賛広告依頼でも短期間で35件(47万円)を確保できたことは、この間の保存運動の成果といえた。里見寺社関係者や全国里見一族交流会、県内外の里見関係者の名簿を約1000名分を作成し、招待状や「フォーラム」案内状を郵送したことは地味な作業ではあったが参加を募るには確実な方法であった。
実行委員会をみると、会場となった「たてやま夕日海岸ホテル」専務酒井氏や、「日本交通公社(JTB)団体旅行千葉支店」岩瀬支店長は極めて重要な役割を果たした。酒井氏は日頃、青年会議所の副理事長として地域の商工・観光振興に骨を折っているが、このイベントでは当初より「フォーラム」成功のために利益ぬきで動いてくれた。今後「地域おこし」の良きパートナーとして大いに期待している。また岩瀬氏には安房の歴史を活かした地域振興・観光のあり方を学んだ。旅行社の立場を超えて個人的な支援を受け、JTBのブランドで観光情報センターや千葉県広報関係、新聞社・通信社イベント欄などに働きかけてくれた。
【6】安房の歴史的風土を活かした「地域おこし」
3月5日の最終の第5回実行委員会において、私は事務局長という立場から「南総発見フォーラムー花と里見と八犬伝」の取り組み状況やその成功の意義について総括をした。まず、取り組み状況を4点にわたってまとめた。
①呼びかけや具体的な準備期間が3ヶ月あまりであった割には、各共催団体の協力で 企画の内容が充実していったとともに、千葉県や安房地域の自治体はじめ文化、商 工観光関係団体に後援依頼を積極的に呼びかけ従来にない成果をあげた。また、実 行委員会に参加してきた団体代表・個人のこの取り組みに対する熱意は大きく、と くに会場となった「たてやま夕日海岸ホテル」の利益を度外視した全面的なバック アップがあった。さらに古いデーターをも使い、全国の里見氏ゆかりの寺社や関係 者に参加を促すかなりの数の手紙を送ったことで、短期間ではあったが3日間のな かで全国をはじめ千葉県内より数十人の参加があったと思われる。
②高額の入場料を取るイベントは初めてのことであったので、販売対応や体制に取り 組みについて詰めの弱さがあったが、一部自治体からの応援があったり、最終版に 他のイベントのノウハウをアドバイスされるとともに、支援協力を受けたことで大 きな励みとなった。結果的には数十名が当日に参加してきたことは財政的には大き かった。
③運営では実行委員会方式を取り、4回の実行委員会で企画運営の大枠と広報活動を 決定し、12回の事務局会議で財政・企画・運営の決定事項の確認と実務的対応を 展開した。とくに事務局体制などの面では、この4年間の稲村城跡保存運動のノウ ハウが活かされ、事務局会議をこまめに開催し経過状況を確認しながら計画策定の 微調整をおこなった。準備段階・当日・片づけなどでは、「里見氏稲村城跡を保存 する会」事務局員や会員などを中心として、50名を超えるボランティアが参加し たことに感謝したい。
④JTBのノウハウを得たことで短期間のうちに県レベルなどの広報活動やマスコミ 関係への対応がすすんだ。また、地元新聞社の元旦号の特集やインターネットHP 制作会社の支援、系統的に各新聞社への働きかけなど、いままでにない広報活動を 展開した。とくに館山市立博物館の企画展や里見氏関連書籍の出版の報道などが「フ ォーラム」と重なり、外部から見ると官民一体で動いている様相を感じさせたこと は効果的であった。さらに当日の「滝田城跡見学会とシンポ」では三芳村当局・教 育委員会から、「里見サミット」の招待者接待では館山市当局から支援をうけた。 とくに教育行政関係者には三芳村教育長からのバックアップ、千葉県知事よりのメ ッセージや県文化国際課々長の特別参加(後援者代表挨拶)などは、安房郡市自治 体や関係機関のインパクトになった。
次に、「フォーラム」成功の意義を3点にまとめた。
①文化財や史跡を活用したイベントに関心をもつ人が増えている状況、やり方によっ ては多くの人を集めることができるとの従来からの私たちの主張が一定証明された といえる。今後の文化財保存と活用について、とくに中世の安房里見氏の歴史・文 化財を歴史的に再考するとともに、「地域おこし」のイベントに活用する姿を示し た。
②従来型の観光地づくりだけではなく、安房地域の文化遺産や歴史的風土を活かした 視点を踏まえた地域振興のあり方にも一石を投じた。この間館山商工会議所や館山 市観光協会の後援、ロータリー・ライオンズ・青年会議所関係者の支援もあり交流 の機会があったことは従来にない動きで、今後に協力関係の面で大きな成果と思う。
③文化財保存運動と「地域おこし」が市民のボランティアであっても一定の成果をあ げることができた。千葉県、安房郡市11市町村・教育委員会の後援とともに千葉 県や地域の商工観光関係団体の後援を受けた取り組みのなかで、一定の成果をあげ たことは今後の安房地域の「地域おこし」をすすめていく上での一助になると思わ れる。
かって私は房日新聞紙上で次のように呼びかけた。「安房の歴史的風土がどのように育まれてきたかを理解することなしに、21世紀を見据えた地域文化の保存と再生はない。まちづくりや地域づくりには、さまざまな視点からの見解がある。その際、忘れらてならないのは、歴史的風土への共通認識があって、はじめて議論も実りあるものとなる。」
いま南房総・安房地域はすでに高齢社会となり、21世紀を目前に過疎化問題や地場産業の育成、地域振興策のあり方で行政当局の方針は大きくゆれている。ともすると従来型の公共事業中心の発想で、企業誘致や地域リゾート開発という方向にシフトしがちになる。私たちは地域に根ざした市民の立場から見つめ、歴史的な環境や歴史文化を活かした地域のあり方を今後も文化財保存運動から提起していくつもりである。