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里見氏研究家 故川名氏所蔵の棟札初公開

里見研究深める貴重な資料、14日の記念シンポジウムで紹介

「天文の内乱」に関わった人物を記載

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戦国の世に安房の地を支配していた里見氏に関連する現存資料が少ない中、里見氏研究にとって重要とされる棟札が14日、館山市で開催される「里見氏城跡(稲村城跡・岡本城跡)国史跡記念」の講演とシンポジウムで初公開される。16世紀、稲村城を舞台にした「天文の内乱」に関わった人物に関する棟札で、「その歴史的意義は前期里見氏の時代を考えるうえで極めて貴重な資料」としてパネリストにも名を連ねる千葉城郭研究会の滝川恒昭氏が詳しく紹介する。

棟札とは、棟上げや再建・修理の際に工事の由緒、工事の年月日、担当者などを記して棟木などに打ち付けた板のこと。この棟札は、昨年6月に逝去した戦後の里見氏研究に大きな功績を残した川名登氏(千葉経済大学名誉教授)が所蔵していた。かつて池田村(現・鴨川市)内に所在したといわれる新蔵寺(江戸期に消失か)にあり、その後、村内の阿弥陀堂(現在消滅)に保存されていたという。

川名氏が数十年前、現地の人から寄贈されたもので、里見氏研究で深い親交をもっていた、現在の里見氏研究の第一人者である滝川氏に、生前、遺言のごとく託した。その際、川名氏はその歴史的な意義をさぐり、今後の保存のあり方について善処を願っていたという。

稲村城は、鉄砲伝来(1543年)前の戦国時代前半期の里見氏の城跡で、3代義道(よしみち)が居城とした城。この城を部隊に1533年〜34年にかけて「天文の内乱」が勃発。4代義豊(よしとよ)が分家筋にあたる5代義尭(よしたか)に攻め滅ぼされて機能を停止した。これまでは、内乱の根本的な資料がほとんど残っていなかったが、その出来事に関わった「正木通綱」のことが、享禄3年(1530)に新蔵寺が開山建立されたときの棟札の仲に記載され、長狭庄の代官であったということがわかった。この人物は、里見氏当主で稲村城主であった義通の義弟(妹婿)として、前期里見氏を支えたのではないかと考えられ、前期里見氏との関係の解明につながる資料として期待されている。

今回公開される棟札がそれで、その歴史的意義は前期里見氏の時代を考えるうえで極めて重要な資料。これまで研究者の間でも公開されたことはなく、川名氏も関わっていた稲村城跡保存の取り組みが国史跡指定となったことを記念し、公開に踏み切った。

また、シンポジウムを主催する「里見氏稲村城跡を保存する会」(愛沢伸雄代表)が、当日発行する『里見氏稲村城跡をみつめて』(第5集「里見氏(稲村城跡・岡本城跡)国史跡指定記念号」には、「正木通綱に関する新資料」と題する論文を滝川氏が特別寄稿して、その歴史的価値を紹介している。

滝川氏は「前期里見氏や正木氏がどのようにして安房国内に支配を広げていったのかを推測できる極めて重要な資料であるので、この機会に里見氏や正木氏に関心のある方にはぜひ、見てもらいたい」と話している。

シンポジウムは、「関東戦国史による里見氏」をテーマに市内の夕日海岸ホテルで午後1時から開催。はじめに千葉城郭研究会の遠山成一氏が稲村城跡と岡本城跡について映像を交えながら解説。続いて、戦国史を専門とする峰岸純夫・東京都立大名誉教授、佐藤博信・千葉大名誉教授、滝川恒昭・千葉城研究会の3氏が講演。さらに黒田基樹・駿河大学准教授を加えた4氏をパネリストに館山市立博物館の岡田晃司主任学芸員がコーディネーターとなりシンポジウムが行われる。

参加費は無料で、関心のある市民の来場を呼びかけている。主催者側では「記念誌・記念ハガキ・資料」などを2000円で頒布する。問い合わせは、同会の愛沢代表(090-9688-5799)まで。

(房日新聞2012年4月12日)

12年4月12日 7,211

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