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「館山の戦争遺跡を訪ねて」・平和・交流・共生の地域づくり

四街道市ユネスコ協会主催による第4回研修旅行が、2005年3月17日、市のバスをお借りして会員と市民40名が南房総の館山市(51321人)を訪ねました。

この地は昭和5年(1930)から日本海軍の航空基地が置かれ、重要な根拠地として栄えました。それは陸軍最大の根拠地が、かつて四街道にあったことを思えば、今回の研修旅行はその重要な2点を結ぶ糸口になると思います。先ず県立安房博物館でNPO法人「南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」理事長、千葉県立安房高校 教諭 愛沢伸雄氏の挨拶につづいて、館山の戦争遺跡に関する地図を示しながら、分かりやすく話してくださいました。

午後は小雨降る中、赤山地下壕跡をバスで訪れました。黄色いヘルメットを被りトンネルに入りました。内部は太陽光発電を利用した灯りがついています、我々が見学した地下壕トンネルは250メートルほどですが全体の長さは1,6キロメートルに及ぶほどです。壕内の床には発電機を取り付けた金具がのこっているだけです。でもそこで、戦時中に多くの兵士が飛行機の整備や病人の看護に当たっていたそうです。私たちはよくもこんな暗く狭い所で、空襲におびえながら働いていた兵士たちを気のどくになってきました。この地下壕は沖縄戦の犠牲になった、ひめゆり部隊の悲劇を描いた「ひめゆりの塔」という映画を撮影する際、その舞台になったそうです。それを聞いた時あらためて洞窟の暗い雰囲気に圧倒される思いでした。

そしてバスで少し移動してゼロ戦の機銃の試射場跡を見学しました、今でもその周囲から機銃弾が見つかるそうです。コンクリート製の壁にはいくつもの深い弾痕が残っていました。

畑のすみに蜂蜜の養殖箱が沢山ありました。そのつぎは昭和20年9月3日アメリカ陸軍の兵士3500名が上陸した海岸を訪れました。その場所はかつて海軍飛行艇の基地であった所とのことでした。60年たった今でもコンクリート製のゆるいスロープが残り、表面には濃い緑色の海草に覆われていました。上陸地から数キロ北方に見える大房岬の山なみが、アメリカ兵の背後に映っていたので上陸地点が特定できたのだと、愛沢先生が詳しく説明してくれました。本当に愛沢先生の努力には頭がさがります。先生は四街道の戦争遺跡を訪ねたそうです。

そこで陸の要塞都市である四街道の話におよびました。愛沢先生は是非四街道ユネスコと提携して戦争遺跡の調査を完成させたいそうです。四街道市ユネスコのみなさんのご協力を頂きたいと言っていました。私は今年終戦60周年に当たり今後益々館山市と協同して戦争遺跡の調査を、体験者が元気でいる今こそ、細かく調べていく必要があると痛感した次第です。

愛沢先生は定年を待たずに3月で退職、これからはNPO活動を通して、子どもたちに平和を伝える運動を進めていく覚悟であると話していました。その原動力はユネスコです。心の中に「平和のとりでを作ること」が第一に上げられます。学校に十分伝わっていないので、これからユネスコを一生懸命に勉強して、平和をどう作り上げていくか、1人ひとりが深く考え、先人の智恵を伝えていくことが重要であると思います。例えば花作りの人は花を守り、地域の今あるものを保存しよう。このことが今求められているのです。先生は力強く話されました。

05年3月17日 2,173

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

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