本日の視察について(感想・良かったところ・改善を要するところなど)
☆赤山地下壕跡
・歴史建造物として大変良いと思う。事前の説明もわかりやすかった。手を加えず保存してもらえれば良いと思う。
・表示がもっと必要。
・素材として活用が考えられる。告知していくことが必要。
・初めて広島・長崎・沖縄以外の戦争遺跡を訪れたので感銘をうけました。
・戦争遺産については、鹿児島にはないもので参考になった。
・戦争の歴史がわかる貴重な遺産。もう少し広いといいかも。
・個人的に松城地下壕も訪れた事があったため、比較して見学することができて大変興味深いものでした。
・とても丁寧な説明でわかりやすかったです。
・NPOの方々の活動が素晴らしく観光コンベンションという認識も明確にあり、感銘を受けました。地下壕に入るという稀有な体験。研究者による説明も大変興味深く良かったです。
・戦跡と言えば広島・長崎・沖縄でしたがNPOの方の説明により認識をあらためた。
・貴重なものを見せていただいた。壕の中に説明文などを設けても良いのではないかと思いました。
・穴だった。
・ピースコンベンションについて初めて知りました。
・興味深く見学ができました。子ども達、その他にも見学が対象となっているのは大変良いことだと思います。見学前の説明が大変分かりやすかったです。
・学芸員の方の説明が必要性を大きく感じた。
・NPO法人による事前のプレゼンは大変有効であった。修学旅行等の平和学習に向いている。
・これから国内外の方々に沢山アピールしていって頂きたい。
・こんなに大きな地下壕は初めて見ました。地元の方ががんばって保全しておられると感心しました。
・規模の大きさと説明に感動。
・その大きさにおどろきました。
・かなりインパクトがあり事前の話も非常に分かりやすかった。
・NPOをみなさんがこの地を大切にし、どれだけ愛しているのかがよくわかった。“ピースツーリズム”は今後の日本でも必要となってくる分野だと思う。
・NPOの皆さんの説明がなければ「へぇ」で終わりますが、話が聞けたので楽しかったです。もう一度ゆっくり見たいです。
・愛沢代表の熱い思いがひしひしと感じられました。
・軍事施設があることを知らなかった。観光資源に十分になるが、歴史教育との兼ね合いが難しそう。
・新たな館山のイメージをいただきました。
・戦時下の施設。NPOのピース活動と新しい連携の形の展開に新しい発見をしました。
・当時を再現するような見せ方がいいのではないか。
・NPOの代表の方々による迫力のある説明がすばらしかった。単なる地下壕ということではなく、太平洋戦争の終結の意義。
・非常に興味深く新しい観光魅力としての可能性をもっていると感じた。更なる調査が必要か。
・素材としてより活用すべきもの。(歴史・戦争)
・なかなか経験出来ないことが出来、興味深かったです。
・あのような地下壕が現存しているところが驚きであった。もっと観光客が気軽に来れるようにPRされた方がいいと思う。
・歴史認識が問われる(掘った人は誰?朝鮮人?その後は?)
・初めての見学でした。こんな場所が見られるとは思っていなかった。他には無い場所として魅力があります。
・多少迷路みたいなので、順路がもう少しはっきりしていたらいいと思います。
・あまり知られていないので、もっとPRがあるといいと思う。
・単純な防空壕と思っていました。すごい跡地で驚きました。NPOの方の説明は熱が入り思いが伝わりよかったです。説明者がいないとわからない所だと思います。
・亀山地下壕と同じく平和教育で活用してほしい。
・ボランティアの熱意が伝わりました。衛生面(スリッパとヘルメット)が気になりました。
前略 先日は大変お世話になりました。赤山地下壕が一般公開されていることを知り、とても感心を寄せておりました。戦跡を訪ねるのは暗く重いイメージを持つ人が多いですが、小沢様の熱意に満ちた誠実なガイドで、歴史の現実をしっかりと受け止めて、今自分に出来ることをと思いを深くさせられました。ほんとうにありがとうございました。心よりお礼申し上げます。南房総にこんなにある戦跡をひとりでも多くの人に伝える機会を作りたいと願っております。お好きな釣りをする時間もない程お忙しいようですが、益々のご活躍をお祈り申し上げます。
本日はお世話になりました。
急遽のお願いでありましたが快く引き受けてくださりありがとうございました。
ご案内をいただいた池田事務局長、斎藤さまには大変お世話になりました。
ありがとうございます。
パワーポイントでのわかりやすい解説と共に、現地をめぐらせていただきとても勉強になりました。
私は、横浜の育ちです。広島や沖縄には何度も組合研修により行っていますが、
もっと身近な館山の過去の現実についてはまったく知りませんでした。
これを機会に勉強をしてもっとしていきたいと思います。
今後も定期的に館山を訪問さていただきたいと考えています。
今後も、JR東労組ならびに私たちの田端運転所分会をよろしくお願いします。
このたびの赤山壕のご案内、ありがとうございます。
充実した小冊子と池田さんの明解な解説で、奥行きの深い戦争遺産の
存在が脳裏に焼き付けられました。
地方紙配信のコラムで、ぜひ取り上げたく思います。
益々のご発展とご健勝をお祈りし、ひとこと御礼を申し上げます。
私のミニ・ブログ≪なかもりトピックス≫を送りますので、
目を通して見てください。ご意見頂けたらうれしいですね。
スナップ写真、添付しました。
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日本旅行作家協会会員
テレビ・ラジオ・レジャー記者会
美ら島沖縄大使 薩摩大使(鹿児島県)
(前スポーツニッポン新聞社編集委員)
赤山地下壕、龍のレリーフのある地下壕とも、戦争のためにつくられたものが、地域の人たちによって掘り起こされていることに、大きな力と尊敬の念を感じています。
それは過去ではなく、今も又計画的に着々と進む軍拡が、九条の撤廃を許したら一気に進もうとしている現実をも見せられているように感じました。
そして、すばらしい歴史と文化を学ぶことが出来、青木繁「海の幸」、中村彝「海辺の村(白壁の家)」にも会えて(?)、心豊かな時間を過ごさせていただきました。
本当にありがとうございました。
このたびは本当にお世話になりました。
細かいところまで気を使っていただいて、たった二日なのに
本当に充実した学習ができました。
百聞は一見にしかず、しかもちゃんとした説明を聞かなければ
絶対わからないことよね、など、賑やかに帰りました。
80歳に近いかたも3人いて、疲れたのでは、と心配でしたが
なんのなんの皆元気いっぱい、次の学習は?と夢が広がります。
映画会はきっと選挙後に計画したいと思っています。
またお付き合いください。
磯部さんには県本部を通じてお礼状を送ろうと思いますが
お会いすることがあれば、どうぞよろしくお伝え下さい。
とりあえずお礼まで。本当にありがとう御座いました。
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その節は本当にお世話になりました。
短い時間にたくさん案内を、と努力していただいて、
私たちもいっぱい学習させていただきました。
日本地図を逆さに見るというのは、目からうろこ、
なるほど房総半島の果たす役割が明確になります。
太平洋に面した海の守りであり、漁業の拠点であり、
海外との文化交流の窓口として大切なところだったんですね。
歴史の中で点々と耳にする地名と名前が
この房総半島でつながっていたのが面白かったです。
歴史の勉強はこうあるべきですよね。
戦跡については言わずもがな、
沖縄、松代を歩いて第三の重要地点。
百聞は一見にしかず、行ってよかったです。
もちろんガイドがなければ、通り過ぎてしまうような箇所ばかりです。
ますます皆様のお仕事は大変になるのでは、と思いますが、大切な事です。
どうぞお体に気をつけて、頑張ってください。
平和教育は戦争体験者が少なくなるこれからが正念場、私たちももちろんがんばります。
『赤い鯨と白い蛇』という映画については、秋に取り組みたいと思います。
選挙が一段落したら、と考えています。
その折は又、相談にのって下さい。
磯部さんにも心のこもったおもてなしをして頂いて、新婦人は全国ひとつの親戚、
とみんな喜んでいました。
またきっとお会いしましょうとお伝えください。
...2009年7月10日
政労連関東ブロックセミナー
反戦平和学習会チーム報告内容
(反戦平和学習会での各グループの発表要旨)
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【1班】
・韓国の漁師の方々が「海に生きる男」として日本の漁師を助けたエピソードに感動した。
・千葉に反戦施設があったことを知らなかった。
・日本のアワビ漁師が米国に渡った逸話があったことに驚いた。
・講演をしてくださったNPO法人の方々のご苦労が伝わってきた。
・戦争の歴史があって現在があることを再認識し、歴史を伝承することの大切さを感じた。
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【2班】
・反転図は非常に大きな発見であり、千葉県の大切さが伝わってきた。
・千葉県に非常に長い歴史があることを知って驚いた。
・500年前、江戸時代、里見氏の時代、アワビ漁師のエピソード、千葉県が戦争中に拠点となっていたについて深堀して調査されていることは非常に素晴らしい。
・一人一人の行動を伝えることの大切さを再認識したので、今後に活かしていきたい。
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【3班】
・アワビの大きさに驚いた。
・歴史の証拠となるものを保存していくことは素晴らしい。
・千葉県の戦争へのかかわりの深さを初めて知った。
・講演をしてくださったNPO法人の先生が素晴らしかった。
・大変勉強になったので、今後の組合活動にも活かしていきたい。
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【4班】
・ぜひとも現地に見に行ってみたくなった。
・千葉にこれほど多くの戦争遺跡があることに驚いた。
・講演の中で紹介のあった映画を観ることのできる機会を作って欲しい。
・これからも次の世代がこうした歴史を知る機会を作って欲しい。
・組合としてNPO法人をバックアップするための募金活動を行うことも必要ではないか。
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【5班】
・地元の歴史を通じ、新たなコミュニケーションを図っていけるのではないか。
・研究家の苦労が分かった。一つ一つの積み重ねが業務にも活きると思う。
・千葉に限らず自分達の地元の歴史についても調査してみたくなった。
・不安定な世界情勢の現在、戦争を繰り返すことはないか不安になった。
・国と国との話し合いを通じ、お互い理解することで戦争を回避していきたい。
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【6班】
・館山にこのような歴史があったことを知らなかった。
・里見氏の話は興味深かった。
・講演時間の割には内容が盛りだくさん過ぎた。
・戦争と平和は表裏一体だと感じ、現代社会にも通ずると思った。
・二人の講演者の話しの引継ぎのタイミングが絶妙だった。
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【7班】
・地理的な位置づけによって、千葉県が戦争に引き込まれた背景が分かった。
・なぜ戦争に関わらなければならなかったか分かった。
・これを機会に地域の戦跡・史跡を見直し、子供達にもそのような戦跡・史跡を見せてあげたいし、自分自身も実際に目にしてみたい。
去る5月26日、16名で”じろえむ”にてお話伺い、そのあともさまざまな場所をご案内いただいたうちの一人です。私たちに知らされていなかった、終戦直後のことなど、大変勉強になりました。本当にありがとうございました。
実は、土曜日、別の友人(若い時の知り合いでやはり年齢は似たような仲間)に、安房文化遺産フォーラムの話をしました。若いころ、横浜市青葉台で、「青葉台子どもを守る会」というグループで、勉強会、バザー等を行っていましたが、その主宰者が、2001年突然くも膜下出血でなくなりました。そのあと、彼女をしのんで、毎年「あじさいの会」という食事会を続けています。
このたび、ご主人から「青葉台子どもを守る会」名義の預金が出てきたとの連絡があり、それを、故人の意志並びに私たちの気持ちとして、できるだけ、こどもたちに役立つところに寄付することで話し合いをしました。そのうちのひとつとして貴フォーラムに、わずかですが2万円寄付させていただくことに決まりました。別に、「青葉台子どもを守る会」の古い新聞を参考のために送らせていただきます。
■青葉台子どもを守る会とは...
昭和41年4月、この青葉台に電車が開通したとき、ここに住み始めた共働きのお母さんたち数人が保育所を作るために会(保育の会)をつくったのがはじまりです。やがてこの地域にも保育所や幼稚園が出来、子どもたちも成長するにつれて、子どもに関する問題は保育所のみならず、障害をもった子どもたちのこと、カギッ子と呼ばれる小学生たちのこと、数の足りない高校のことなど大きく拡がってきました。そこであらためて「子どもを守る会」と改称し、青葉台地域におけるすべての子どもたちのよりよき環境づくりを目的として協力し、活動しています。
8年に及ぶ活動の中で、「緑区青少年図書館」がつくられるときいて、「青年の会」の方々と手を結んでの署名活動等によって青葉台と市に働きかけ、現在の青葉台2丁目に誘致することが出来ました。そして初めの構想には無かった集会室を加えて貰いたいと要求し、設計変更によって付け加えられ、地域の集会の場として役立っている様です。又、年2回のバザーによって活動費づくりと恵まれぬ子ども達のいる施設と地域への寄付(文庫のロッカー、遊園地の遊具、時計等)をしたり、読売新聞社と和光堂の後援による乳児健診、現在迄48号に及ぶニュースの発行、時々の会員の話し合いなどの活動を行なうほか、別に障害児の問題を考える「さくらんぼ会」、学童保育「ちびっ子の家」などにも会員が取り組んでいます。会に入り、私たちと一しょに話し合ったり活動したりなさいませんか。会費は半年400円です。
…青葉台子どもを守る会(旧・保育の会)ニュース№48(S.50.12.15発行)より
今年度の私たちの旅行会の企画のなかで
フォーラムにめぐり合ったことの幸運を何より嬉しく思うことです。
そして、埋もれていく戦争の記憶、戦跡を、語り継ぎ、広く知らせる活動に
組織的に精力的に取り組んでおられることに深い感銘を覚えると同時に
感謝の気持ちをお伝えせずにはいられません。
過ぎ去った歴史上の事実を淡々と伝える皆様の活動が
戦争のおろかさを鮮やかに浮かび上がらせ、心に刻ませてくれます。
アメリカ軍の膨大な軍事力に対して、たった5機分の戦闘機の格納庫跡だとか
そんなばかばかしい戦争のあり方に当時の地元の人々が飲み込まれてしまったのは
やっぱり、流れに従わざるを得なかったのか
戦争は起こそうとする勢力が大きな流れにならないうちに、抵抗の意思を表明し
行動を起こさなければいけないのですね。
先の戦争での長野の社村の徴兵関係の資料が
当時の政府の焼却命令をすり抜け保存され続けて、多数発見され
公開されたというテレビニュースに接しました。
どこの町でも村でも行われていたであろう消されてしまったその事実が
志を保ったたった一人の役場の担当者によって、保持され続け、日の目を見たこと、
また、そのことによって、戦争にまつわるおぞましいとも言いたい行為の数々を
私たちが知ることができ、また、別の角度から、戦争の忌むべき面を思い知らされた
気持ちがします。
大戦の敗戦の前後で、あまりにも価値観が変ってしまったことで、
人々の道徳観というようなものが、壊されてしまったのではないかと
私は想像することがあります。
私はやっと物心がついたころなので、はっきりしたことは分かりませんが
もし、私が学徒動員などに駆り出された年代だったらと思うと
どうだっただろうと考えるのです。
やっぱり、日々の暮らしを立て直すことで、なんとかやり過ごしたのでしょうか
両親などのことを思い出すとそうだったかな・・・
ま、父親はその後レッドパージに遭ったりしていましたが。
それにしても、無知でいることは、無責任に通じると思うことです。
お忙しいのにわざわざじろえむまでご足労いただき、ありがとうございました。
金久さんも蓮沼さんもじつに素晴らしいご説明ご案内をしてくださり、感謝しております。
どうでしたかとみんなに聞いたら、お話を聞いてよかった、いい企画だったと異口同音に感想を言っていました。
実は今回参加者のわれわれは、戦火から逃げ回った人、満州から引き揚げた人で、
年齢から言って残留孤児になるところだった人など、
幼いころの恐怖がトラウマとして残り、被害者としてしか戦争を考えられない世代ですので、
今回の旅行計画に対しもう戦争の話から逃げたい気持ちがあると言っていた人もいます。
これはどうしようもない気持ちで、私自身5才のとき、船橋で空襲警報下、
妹の乳母車を押した母とはぐれて走ったときのB29の轟音を今でも忘れません。
飛行機の音が怖いという気持ちはこの年になっても消えないのです。
ですから世界の子供たちが戦火に遭ったニュースがとてもたまらないのですね。
今回の房総への旅の案内に、
「私たち自身語り継がなければ消えてしまうもの、なかったとされてしまうものがあることに
愕然とすることがあります。今回の旅行で単なる観光ではない心に残るものを共有できたらと願い」
「めぐりあった安房の戦跡を守るフォーラムの方のお話を伺い戦跡を訪れることにしました」
と書きました。
「石のさけび」のことを知っていた田島さんが一緒に旅行の企画をしたのですが、
彼女は、耳をふさごうとする人に、私たちが本当のことを知ることが
つらい思いをして死んでいった人たちへの供養になるんだよ、と言っていたのが印象的でした。