東京退職者の会連絡会主催、3月29〜30日の南房総戦跡めぐりの旅に参加し、大変お世話様になりました。
私は2004年6月に脳梗塞を患いました。
発病前まで、東京退職者の会連絡会の事務局長でしたが、
現在はその任務を退き、「九条の会・流山」など地元の活動を中心に切り替えましたが、
南房総の戦跡めぐりという今回の企画に惹かれ、単独でマイカーで現地入りし、杖歩行で参加しました。
30日の見学は、急な坂の上の現地見学ということで、スタッフの方の格別のご配慮により、
私のため、別途自家用車でご案内いただき、おかげ様で、
フォーラムの皆様の「平和と人権」を守ろうという情熱に深く触れることができ、大変感動しました。
とりわけ、従軍慰安婦の石碑や教会などに、改めて、無残な人権侵害にあわれた人々の無念な思い、
それを受けとめた方々、そうした事実を伝えて下さっている皆様の思いに、強く胸をうたれました。
また、機会があれば、館山を再訪し、皆様にお世話になることもあろうかと存じます。
29日の夕方、ホテル内の集会室で、「日本の青少年に夢が乏しいのはおとなの責任」と
愛沢理事長さんが情熱を込めて述べられた趣旨には、私もまったく同感です。
自分の住む郷土を愛し、地域の隅々から、世界全体を見渡し、平和と人権をすすめ、
人類文化をなお一層進化させていく壮大な夢を、私も描きたいと思いました。
私は昨年4月に、憲法改悪反対をテーマにホームページを開設、
この2月にその「日記」を「日記ブログ」に移行し、
地元・千葉県流山市を中心に、東京都や全国の多方面の皆様との交信を続けています。
この旅で感じた思いを別途、そこに掲載して、全国の皆様に伝えていきますので、ご笑覧下さい。
http://www.geocities.jp/yfqsx494/
今回は本当にありがとうございました。スタッフの皆様によろしくお伝え下さい。取り急ぎ御礼まで。
「館山の戦争遺跡を訪ねて」・平和・交流・共生の地域づくり
四街道市ユネスコ協会主催による第4回研修旅行が、2005年3月17日、市のバスをお借りして会員と市民40名が南房総の館山市(51321人)を訪ねました。
この地は昭和5年(1930)から日本海軍の航空基地が置かれ、重要な根拠地として栄えました。それは陸軍最大の根拠地が、かつて四街道にあったことを思えば、今回の研修旅行はその重要な2点を結ぶ糸口になると思います。先ず県立安房博物館でNPO法人「南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」理事長、千葉県立安房高校 教諭 愛沢伸雄氏の挨拶につづいて、館山の戦争遺跡に関する地図を示しながら、分かりやすく話してくださいました。
午後は小雨降る中、赤山地下壕跡をバスで訪れました。黄色いヘルメットを被りトンネルに入りました。内部は太陽光発電を利用した灯りがついています、我々が見学した地下壕トンネルは250メートルほどですが全体の長さは1,6キロメートルに及ぶほどです。壕内の床には発電機を取り付けた金具がのこっているだけです。でもそこで、戦時中に多くの兵士が飛行機の整備や病人の看護に当たっていたそうです。私たちはよくもこんな暗く狭い所で、空襲におびえながら働いていた兵士たちを気のどくになってきました。この地下壕は沖縄戦の犠牲になった、ひめゆり部隊の悲劇を描いた「ひめゆりの塔」という映画を撮影する際、その舞台になったそうです。それを聞いた時あらためて洞窟の暗い雰囲気に圧倒される思いでした。
そしてバスで少し移動してゼロ戦の機銃の試射場跡を見学しました、今でもその周囲から機銃弾が見つかるそうです。コンクリート製の壁にはいくつもの深い弾痕が残っていました。
畑のすみに蜂蜜の養殖箱が沢山ありました。そのつぎは昭和20年9月3日アメリカ陸軍の兵士3500名が上陸した海岸を訪れました。その場所はかつて海軍飛行艇の基地であった所とのことでした。60年たった今でもコンクリート製のゆるいスロープが残り、表面には濃い緑色の海草に覆われていました。上陸地から数キロ北方に見える大房岬の山なみが、アメリカ兵の背後に映っていたので上陸地点が特定できたのだと、愛沢先生が詳しく説明してくれました。本当に愛沢先生の努力には頭がさがります。先生は四街道の戦争遺跡を訪ねたそうです。
そこで陸の要塞都市である四街道の話におよびました。愛沢先生は是非四街道ユネスコと提携して戦争遺跡の調査を完成させたいそうです。四街道市ユネスコのみなさんのご協力を頂きたいと言っていました。私は今年終戦60周年に当たり今後益々館山市と協同して戦争遺跡の調査を、体験者が元気でいる今こそ、細かく調べていく必要があると痛感した次第です。
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この度はとても素晴らしい見学会をありがとうございました。
正直、こんなに楽しい見学会になるとは当初想像もしていませんでした。
と言うのも、やはり扱っているものが戦争の遺産ということもあり、
見学会に思想が絡み、説明も方向性を強要されるような
偏った説明をされるのではないかと心配していたのですが、、、
実際は、座学は一方的に歴史を詰め込むのではなく、
雑学を交えた楽しいお話でとてもバランスのよさを感じました。
(これでしたら万人に勧めることができます)
また戦跡自体は、、、
これほどまでに綺麗な状態で残っているとは
全く想像していなかったのでまさに驚きでした。
今まで戦跡はいくつか見てきたのですがこれほど戦跡が密集し、
かつ綺麗な状態の戦跡を見たことがありません。
まだ今回の見学会の内容を頭の中で整理できていませんが、
これはもう、是非他の戦跡も見てみたくなりました。
今後宿泊込みのプランも検討しつつ、
永くお付き合いさせていただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
足もとの地域から平和を考える—館山の戦跡にビックリ—
〜都教組事務職員部ニュース№20(2006.2.20)
昨年は東京にて全教関ブロ交流集会が開かれ、みなさん方におたくさん参加していただきましたが、今年は千葉の館山で開催されました。東京からは都教組16名、都障教組1名、都庁職都立学校支部1名の計18名が参加、全体で50名の集会となりました。
NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムの愛沢伸雄理事長と池田恵美子事務局長より記念講演をしていただきました。午後は同じNPOの方にガイドをしていただき、米占領軍上陸地点、館山海軍航空隊赤山地下壕跡、戦闘機用掩体壕などをまわりました。
皆さんも館山に戦跡があるなんて、と思われると思いますが、愛沢さんたちのお話や戦跡めぐりをしてみて、首都を守るためにこんなにも館山が重要な拠点として位置づけられていたことにビックリしました。
昭和20年9月2日、東京湾上の選管ミズーリ号にて降伏文書調印式がおこなわれましたが、翌3日、米軍3,500名が上陸用舟艇を使って上陸。4日間でしたが、館山市を「直接軍政」下におきました。本土では唯一です。すべての学校は閉鎖され、市民の外出も午後7時から午前6時まで禁止されました。
館山には、航空戦略の拠点・館山海軍航空隊がおかれていました。近くに赤山地下壕がありますが、そこは天井も高く、発電所・病室・電信室・奉安殿も完備され、合計した長さが1.6Kmもある本格的なものです。しかも建設にあたっては一切民間人を使わず、秘密裏にすすめられました。現在もすぐ近くに海上自衛隊館山航空基地があり、この地下壕とはつながっているとか。
あのウミホタルが戦争に利用されていたのも初めて知りました。生徒にウミホタルを採集させ、それを粉末化し、夜間のゲリラ戦に備えて敵味方を班別する夜光塗料にしたそうです。
憲法9条が改悪されようとしている今こそ、戦跡を保存し、子供たちに語り継いでいくことが大切なんですね。
「館山にこんな顔があったのか」、今回のフィールドワークに参加して、まず率直な感想でした。白浜の海岸や観光の町というイメージから、館山の歴史や懐の深い地域性や人間性を知り、館山という町が近しく好ましく感じられるようになりました。
「かにた婦人の村」が売春防止法の制定とともに作られた施設だということも初めて知り、施設を作り運営するために全身全霊を傾けて努力された深津牧師、その志しをついで現在まで施設を守る天羽施設長をはじめとする、多くの人たちの善意が施設を支え、発展させてきたのだということを知り、深く感動しました。城田さんという入所者の切実な願いに応えるために、建設された「噫従軍慰安婦の碑」は施設の小高い山の頂上に建立され、「従軍慰安婦」という重い過去を抱えて生きてきた女性たちの嘆きや無念を空に向かって、解き放っているように思えました。
(中略)
3月24日(日)のフィールドワークは、熱意が周りを動かしていくことを教えてくれました。企画し、案内してくださった皆さんに心から感謝します。
(町田市・細野龍子)
この度はたいへんお世話になりました。
きめ細かい説明で分かりやすく、とても為になりました。
会員一同口をそろえて「館山に来てよかったね!」
と申しております。勉強になりました。
どんな理由があっても戦争は駄目です。
私自身「憲法九条やまとの会」に参加しておりますし、
I女性会議でも全国的に運動しております。
どうかこれからも頑張ってください。
まずは御礼まで。草々
連れて行っていただいた〝ホタル〟がとてもきれいでした!
ありがとうございます。
2008年6月1日日曜日に館山へバス見学に行きました。その報告と学生の感想を記載します。今回は、千葉県立安房博物館、館山海軍航空隊赤山地下壕、128高地戦闘指揮所地下壕、かにた婦人の村、大厳院四面石塔を訪問しました。また今回の見学会では、NPO法人 安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄・池田恵美子氏他)にガイドをしていただきました。
昨年完成した館山自動車道を使い、安房博物館に着きました。そこでは、ガイドをして下さるフォーラムの方々が大勢で出迎えてくれました。そして、フォーラムの概要や沿革、今日の日程などを説明していただきました。
最初の安房博物館では、素潜りや捕鯨などの漁業の道具や風習、実際に使われていた船などを中心に見学しました。また交流先のアメリカ合衆国カリフォルニア州モントレーに関連する展示物も見学しました。その中で英語で書かれた万祝いは他のと異彩を放ち目に留まりました。その後、ウミホタルの発光観察を行いました。テレビなどで見たことのある人もいましたが、ウミホタルが発光した瞬間には歓声が上がりました。
地元の食材をふんだんに使ったお弁当と鯵の唐揚げを海を眺めながら食べた後、本土決戦用地下壕に向かいました。ここでは一般的な地下壕と決戦用地下壕との違いが印象に残りました。防空壕はあくまでも市民の防衛のためであり、決戦用地下壕は軍部が使いました。そのため、壕内には発電所や電信室、病室などがあったそうです。
次に、128高地戦闘指揮所に向かいました。ここは敵上陸を阻止するための抵抗拠点の一つだと考えられています。中には「戦闘指揮所」や「作戦室」の看板がありました。また、ある小部屋の天井には龍が彫られていました。龍のひげが垂れているのを発見し、そこから龍と判明したとのことですが、よくあの暗い中見つけたもんだと感心しました。
かにた夫人の村では、従軍慰安婦の碑と教会を見学しました。慰安婦の辛い過去を聞いた時には、今までの従軍慰安婦に対する考え方が一変しました。そして、この施設の建設・運営に尽力した人々の理念や行動力には頭が下がる想いでした。
最後の四面石塔は、東西南北にハングル、篆字、漢字、梵字で「南無阿弥陀仏」と書かれている石塔のことです。このような石塔は、日本に二つしかなく、大変珍しいものです。しかし、建立された理由はいまだ不明で、何のために作られたか話題になりました。
今回の見学会では、各々が様々な事を学ぶことができたと思います。そんな中私は、文化を残し公開することの大切さを学びました。今回の訪問先のいくつかは、「館山の観光イメージにふさわしくない」という理由で、取り上げられにくいとのことでした。このような埋没しやすく、しかし大切な文化を残してアピールされているのが、今回お世話になったフォーラムの方々です。我々房総地域文化研究プロジェクトも千葉の文化を研究する者として、見習うべきだと考えさせられました。
先日はたいへんお世話になり、ありがとうございました。
赤山壕、そしてかにた村と、お母さんたちにとっては驚きの連続だったようです。
従軍慰安婦の碑については、言葉を失っておりました。
お母さんのひとりが、
「同じ千葉に住むものとして、こういう事実を知ることができたのは本当に良かったです。」
と言っておりました。
ガイドの方のご説明も判りやすくありがたかったです。
また「子どもををつれてきてあげたい」とも言っていたお母さんもいました。
しれもももっともなのですが、わたしとしては、まず「大人」にもっともっと知ってもらいたいと思います。
子どもももちろんなのですが、子どもに託す前に、
まず今生きている大人たちに知ってもらいたいなあとも思うのです。
大人も子どもも、両方、多くの人に知っていただければと思います。
歴史事実、そして貴法人の活動を、より多くのかたに知っていただくために、
公民館も微力ではありますが、お手伝いできればと思います。
またご案内をお願いすることもあるかと思います。
引き続きよろしくお願いいたします。
また逆に何かこちらでお手伝いできることがありましたら、遠慮なくご連絡ください。
このたびは本当にありがとうございました。
ガイドのみなさんにもよろしくお伝えください。
それでは、取り急ぎお礼まで。