元気なまちづくり市民講座に参加して
今回まちづくりについて、現地の方々とこれからのまちづくりについて直接意見を交わし合ったのは初めてで非常に勉強になりました。
福留先生から今までまちづくりは女性が中心だと伺っていたため、今回男性の参加がほとんどであったことに大変驚きました。グループディスカッションをしていて男性も女性も館山が富崎が本当に好きで、これから先に向けてよりよいまちづくりをしていきたいという熱意を感じ、自分も負けていられないと自分なりの意見をぶつけさせて頂きました。若造の意見と否定することなく真剣に受け止め議論して頂けたのはとても嬉しかったですし、もっとたくさんの女性や地元の若者の方が少しでも参加してくれれば絶対にまちは変われると思えました。
帰りの道を車でドライブがてら案内して頂きましたが、館山は本当に魅力に溢れていて海も山も空も花も果実も歴史もどれを取っても観光やまちづくりのための材料が多くあると感じました。リゾート地といっても遜色ないと思います。だからこそ富崎は焦点を絞り、光らせることが重要になってくるのではないかと感じました。
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過日は大変お世話になりました。
皆様のご親切に甘えさせていただきました。
「地域まるごと博物館」構想など複眼的なアプローチに
カルチャーショックをうけました。
翌日の小沢さんもユニークな市民、子どもたちを巻き込んだ
ガイドの構想をお持ちのようでした。
戦跡に限っても、沖縄とは様相の全く異なる館山の一つ一つが新鮮でした。
本当に有難うございました。
今回の企画を担当するにあたり、新聞記事で目にした、従軍慰安婦問題と関連のある千葉県「かにた村」を思い出し、早速問い合わせてみました。館山市にあるNPO法人安房文化遺産フォーラムを紹介してもらい連絡をとったところ、東京湾の対岸にある館山市は見るもの、聞くものが数多くあり是非訪れてみたくなりました。…元支部長の難波マサエさんの合流もあり19名で楽しい学習の旅になりました。
(監事:荻野谷博子)
⇒⇒感想の詳細は、最下段の添付ファイルでPDFを参照ください。
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このたびは、中高YWCA顧問研修会のフィールドワークアレンジをいただきまして大変お世話になりました。ありがとうございました。
戦跡めぐりや座学を通して、安房の文化遺産を次代に引き継ごうとされている活動に触れ、多くを学ばせていただきました。殊に、地元の高校生とともに活動されている様子は、学校現場で生徒たちやYWCAの活動の上で青年たちと一緒に、「正義と平和」を生きる手掛かりを捜し求めつつ活動していく上で大きなヒントを与えていただきました。今後の活動の参考にさせていただきます。
またフィールドのガイドを担っていただきましたお二人の方々のきめ細やかな配慮にもお礼申し上げます。どうぞよろしくお伝えください。
暖かな館山も、一年中で一番寒い時期かと思います。どうぞ皆さま、お身体を大切にお過ごしください。
2年越しの企画がようやく実現、千葉県館山に、今もなお残る戦跡を訪ねる平和ツアーを開催、13分会から22名の参加でしたが、参加した仲間は、それぞれ充実した一日を過ごしました。
愛沢様をはじめ、小沢様、サポートカー運行を含め、貴団体の皆様に大変お世話になりました。おかげさまで行事が大成功に終わる事が出来ました。ありがとうございました。
… …
すっかり日も暮れて、練馬へ戻るバスの中では、みんなで感想を語り合いました。
・館山だけでなく、日本中にこういう戦跡、恐ろしい事が有ったのではないか、
・灯火管制が敷かれ、薄暗い中で過ごしたり、防空壕に入った経験、戦後はひもじい思いをした、
・昭和元年生まれの兄にも赤紙が来て、千葉に応召に行った。兄たちがここにいたと思うと胸が詰まります、
・従軍慰安婦の問題について、ここが発祥の地という事は知らなかった。歴史教育の大切さを感じた、
・帰ったら多くの方に伝えたい、
そのほか、沢山の方が共通して話していましたが、「自分の目で見て、感じる事の大切さがよく分かった。今日はとても有意義でした」
参加した一人一人が、しっかりと、戦争の愚かさ、怖さと、平和の大切さを胸に、帰路につきました。
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先日は大変お世話になりました。
ツアー終了後、「大変よかった」「勉強になった」等の感想が口々に語られました。
千葉に長年住んでいても、知り得ない歴史的背景を積極的に学び、そしてその遺産を受け継ぐ
必要性をあらためて感じることができました。
ご苦労もあろうと思いますが、今回の貴重な経験を私たちの仕事や諸活動にも
活かしていきたいと思います。
取り急ぎお礼を申し上げます。ありがとうございました。
10月16〜17日の「2010年ゆかりを訪ねる旅『館山の戦跡に学ぶ』」に参加し、赤山地下壕、128高地「戦闘指揮所」「作戦室」、「従軍慰安婦の碑」、米占領軍本隊本土初上陸地などを訪ねた。
NPO法人「安房文化遺産フオーラム」の愛沢伸雄代表は、軍部がアジア太平洋戦争時に①首都東京を守る重要な戦略拠点としてさまざまな軍事施設を建設②戦争末期には米軍上陸を予想、本土決戦陣地・特攻基地を造成③真珠湾と地形が類似する特性に着目し特攻作戦の訓練場として活用した事実を軍部作成の諸資料を駆使して詳細に解説した。
愛沢氏は、自らの人生そのものを費やした「房総半島南端の地が果たした歴史的役割の解明」「戦争遺跡を『未来遺跡』に」との熱い思いを汗だくで語ったが、1945年7月17日のポツダム会談と翌日の杉山元参謀総長の動きの指摘はリアルタイムで観ている錯覚をもつほど緊迫した雰囲気を醸し出した。
講演は、「戦争と平和」と「地域づくり」をキーワードに富士見地域に存在した「少年通信兵舎」へと話が及び、私は「地域から平和への発信を」との問題提起に強く胸をうたれたが、有事立法成立など「戦争は周到に用意される」との指摘に改めて緊張感の維持の大切さを痛感させられた。
(後援会ニュース原稿より)