元気なまちづくり市民講座に参加して
今回まちづくりについて、現地の方々とこれからのまちづくりについて直接意見を交わし合ったのは初めてで非常に勉強になりました。
福留先生から今までまちづくりは女性が中心だと伺っていたため、今回男性の参加がほとんどであったことに大変驚きました。グループディスカッションをしていて男性も女性も館山が富崎が本当に好きで、これから先に向けてよりよいまちづくりをしていきたいという熱意を感じ、自分も負けていられないと自分なりの意見をぶつけさせて頂きました。若造の意見と否定することなく真剣に受け止め議論して頂けたのはとても嬉しかったですし、もっとたくさんの女性や地元の若者の方が少しでも参加してくれれば絶対にまちは変われると思えました。
帰りの道を車でドライブがてら案内して頂きましたが、館山は本当に魅力に溢れていて海も山も空も花も果実も歴史もどれを取っても観光やまちづくりのための材料が多くあると感じました。リゾート地といっても遜色ないと思います。だからこそ富崎は焦点を絞り、光らせることが重要になってくるのではないかと感じました。
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千葉歴教協ニュース「なかま」448号=2012.1.28発行
・千葉集会へようこそ
・第4回実行委員会の議論から==楳澤和夫(千葉歴教協事務局長)
・石井さんの社会科教育の源流を学ぶ==柄澤守(現地事務局長)
・魅惑の千葉市分韓国旅行==江崎広章(千葉支部)
・東日本大震災を経験して==市立習志野高校3年・Mさん
・高麗大学校で「福島の戦後史」の授業をして(2)==三橋広夫(千葉支部)



里見氏城跡、国史跡に正式決定
稲村と岡本 復元整備に本格始動へ
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戦国大名里見氏が本拠としていた、館山市の「稲村城跡」と、南房総市富浦町の「岡本城跡」が24日、国史跡「里見氏城跡」として正式に指定された。先の文化審議会の答申を受け、同日付で官報告示されたもので、これにより両市教委は、史跡として保存管理と整備活用を目的とした保存管理計画を策定。合わせて公有地化をはかりながら復元整備へ本格始動する。
里見氏は、戦国時代から江戸時代まで10代約170年にわたって房総半島南部を拠点とした一族。初代義実(よしざね)が白浜城(南房総市)に本拠構えて以降、その時々の状況に応じて本城を移動させている。
稲村城は16世紀前半、3代義通(よしみち)が居城とした城で、4代義豊(よしとよ)が5代義堯(よしたか)に攻め滅ぼされた「天文(てんぶん)の内訌(ないこう)」の舞台となった城。館山平野中央部南辺の丘陵端に位置する。丘陵先端部にある主郭(しゅかく)は、東と南の二辺に高さ約3メートルの土塁(どるい)を持ち、北と西の斜面は、丘陵の側面を掻き落とし障壁とする切岸(きりぎし)手法を駆使し、防御とする。主郭の規模や切岸の範囲は同時期の房総半島の城の中では抜きん出ている。
岡本城は、義堯の孫義頼(よしより)が16世紀後半に本拠とした城。現在の東京湾を望む丘陵上につくられ、城跡の規模は東西約600メートル、南北約300メートルに及び、この地域の城の中では抜きん出た規模を持つ。中心部分は3つの曲輪(くるわ)からなり、山頂の主郭の北東に広がる曲輪は、港としての機能を持っていたと推定されている。
こうして里見氏城跡は、房総半島における中世山城の変遷や、この地域の社会・政治情勢を知る上でも重要であるとして指定に至った。
(房日新聞2012.1.25付)

