!! 見る 聞く 学ぶ 集う 安房国(あわのくに)再発見 !! 千葉県・南房総・館山まるごと博物館

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貴重な〝学びの場〟をありがとうございました。〝戦跡=過去を知る〟という単純な認識は取り払われ、〝世界への発信地〟という大きな希望と勇気を与えていただきました。愛沢先生をはじめ、皆さんのお力は大きいですね。

桜ふぶきが〝いざやいざや〟と招いてくれます。昨日は25名で宴を楽しみました。今朝、同じ講演に立ち寄りましたところ、ご近所の方から

「館山の戦跡へ行きたいがどう連絡をとったらよいか」

と尋ねられました。早朝、夫と散歩をするとき、「九条のひろば」通信を会員外の方に配布したので、もうご覧になったようでした。

9条世界会議も目前に迫りました。地元としましては、当日の案内役など引き受け、実行委員会も忙しくなっています。

機会ありましたら、またお目にかかりたいと思っています。

08年3月22日 2,564

本日は、大変お世話になりました。代表してお礼を申し上げます。

小学生の頃から住んでいる千葉県で、館山にも何度も行ったことがありましたが、

千倉のお花畑の印象が強く、そのお花栽培の禁止があったとは本当に驚きました。

これから、ゆっくりといただいた資料を読み返し、お話を思い出しつつ

理解を深めて行きたいと思っております。

機会がありましたら是非教会の中高生等にも学びをさせたいと一同話しました。

暑い中、熱心にガイドしてくださった君塚様にもよろしくお伝え下さい。

有意義な1日を、ありがとうございました。

06年7月7日 2,380

先日は、館山での平和学習にご尽力をいただき本当にありがとうございました。

まだ、生徒達からアンケート等はとっておりませんが、

きっと満足度の高いものになったと思います。

これもひとえにNPOの皆様のご協力があってのことだと思っております。

本当にありがとうございました。

また、来年度もどうぞよろしくお願いいたします。

取り急ぎ、お礼まで。

(舘野信彦先生)

06年7月29日 2,673

アフガニスタン・イラクと、アメリカのしかけた戦争に引きずられるように、日本の自衛隊派兵が拡大し、平和憲法の改正までもが堂々と公言されるようになりました。私は、日本がだんだん戦争を仕掛ける国へと変わってゆくようなこの流れに危機感を抱き、60年前の戦争について改めて考えてみようと思い、今回館山市で開かれたシンポジウムに参加しました。


振り返ってみれば、私は過去の戦争について学校で教わった記憶がほとんどありません。アメリカと戦争をして負けたこと、広島に原爆が落とされたことぐらいだったと思います。1985年私が二十歳のとき、そのころ横浜市に住んでいましたが、神奈川新聞に連載記事がのりました。私と同い年の在日韓国人二世の女性を追ったものでした。

なんで日本に生まれ育ち僕と同じ時代を過ごしてきたのに彼女は外国人登録証を持ち指紋押なつをしなければならないのか、なぜ彼女の住む川崎市には在日韓国・朝鮮人が多いのか、そんな疑問が過去の戦争の歴史を学ぶきっかけとなりました。その年はちょうど戦後40周年の節目のとしでした。当時は、戦争の傷跡を風化させてはならない、平和な社会を大切にしよう、そんな空気がマスコミにも社会にもあったと思います。(指紋押なつは1992年、永住者に限って廃止)


さて、シンポジウムに参加して初めて知ったことなのですが、館山市には47ヶ所もの戦争遺跡があり、さらに私の住む三芳村にもわが家から何㎞も離れていないところに、特攻機「桜花」のカタパルト発射台跡が残っているのです。

南房総は東京湾の入口にあたり、「本土決戦」が現実的な状況になってきた戦争末期に最も重要な地帯として位置づけられて、7万人に近い軍隊が配備され、さらには住民、学生、朝鮮人の強制労働も投入されて、燃料タンク基地、地下壕、航空機を隠す掩体壕(えんたいごう)、水中特攻兵器「海竜」基地、水上特攻艇「震洋」基地3ヶ所、魚雷発射基地4ヶ所、航空特攻機「桜花」発射基地などが建設され、8月15日の終戦までにすでにいつでも戦える態勢をほぼ終えていたということです。実はアメリカ軍は1946年3月1日に「コロネット作戦」と呼ばれる関東上陸作戦を予定していました。ですから、終戦がもし遅れたならば、房総半島南部は、1945年3月〜6月の3ヶ月間に日本兵約7万人、住民約1万人が亡くなった沖縄戦と同じ状況になったに違いありません。


房総半島で、本土決戦の準備が進められているのと同じころ、1944年10月に長野県松代(まつしろ)町(今は長野市)で延べ10キロあまりの巨大な地下壕の建設が始まりました。これは松代大本営と呼ばれています。大本営とは、戦時中に天皇が統師した軍の最高統師機関です。本土決戦に備えて、大本営と政府の主要機関を避難させる計画でした。そのうち天皇・皇后の居る場所は御座所と呼ばれて、一般には全く物のなかった時期に特別な建築材料が使われていました。終戦直前の1945年7月末には松代への移転の準備もできていましたが、実現しないまま終戦を迎えました。

前戦の兵士や住民を犠牲にして天皇や軍の指導者達はひたすら生き残ろうとした歴史的事実を示す場所として貴重な遺跡であるとの考えから、現在松代では保存運動と見学者へのガイド活動がすすめられています。


横浜市港北区日吉でも戦争遺跡の保存運動が行われていますが、マンション建設のため危機にさらされています。慶應義塾大学日吉キャンパスの下に延べ2.6㎞もの地下壕があります。地下壕とつながった地上の寄宿舎には連合艦隊の司令部が置かれ、地下の電信室では1944年9月から終戦までの海軍の作戦状況が手に取るようにわかっていたそうです。

慶應義塾では約3千人の学生が出陣して2千人以上が亡くなったといいます。


私たちは農業で暮らしています。農業は届けた作物を食べている人たちの平穏な日々を支える仕事だと思います。一方で年で暮らす人たちは、非常事態となれば日々の食事をとることさえ困難になることは、戦中戦後の歴史が教えてくれます(だからこそ現在の日本の食糧自給率40%は大変危ういことであって、年に暮らす人たちこそ、衰退する日本の農業の現実とこれからどうしたらいいかということを考えて欲しいと思うのです)。そんなわけで、農業の現場にいると戦争と平和について考えてしまいます。

過去の歴史事実と現在の政治の動向に無関心でいると、いつの間にか言いたいことも言えない世の中になってしまうのではないか、そんな心配をしています。皆さんも子どもたちの未来に責任を持つため、一緒に考えませんか。

04年8月22日 4,056

先日はたいへんお世話になりました。たいへん充実した見学会ができ、皆感激でした。

すぐにお礼をしなければと思っていたのですが、

なかなか感想をHP上にUPできず、遅くなってしまいました。

学生が、感想をUPしましたので、のぞいていただければ幸いです。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/tsu-bousou/houmon/houmon.htm


毎年というわけにはいきませんが、メンバーの入れ替わりを考えると、

3年ごとぐらいには出かけていきたいと思います。

その節は又相談をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。

なお、「房総の文化」の授業に関しては、後期が始まる頃に連絡を致したいと思います。

こちらもよろしくお願いいたします。

08年6月1日 3,250

お陰様で充実した探検ネットのツアーになりありがとうござました。

佐藤さんご夫妻にもとても良いガイドをしていただき、ありがとうございました。

よろしくお伝えください。

私たちがどのように次世代に語り継いでいくかで、

今後の平和問題を左右していく鍵になると思います。


習志野にも陸軍習志野学校があり、毒ガスの実験場でもありました。

今、調査して毒ガスの埋蔵はないとほぼ出ましたが、

私たちにはまだまだ多くの疑問や、不安が残ります。

弾薬庫の上が公園になっていたり、

その中に何もないことを確認したとか、しないとか?

保育園の150cm下には厚いコンクリートが張られているので、

その下は調査していないし、とても不気味ですが、

これらを掘り起こすとなると、莫大なお金もかかるそうです。

まして、以外や地元の方々が、「この地に毒ガスは埋蔵されていない」というのです。

そして、それらの話題にふれることすら嫌がります。

いろいろな問題が出たときには、

その地域の方々だけで終わらせることではないと思いますが、

土地の評価額やお金がからんでくるようなので、難しいことです。


そんな中で。館山のNPOの方々は大変なことを成し遂げて、

すばらしいと思います。

私にもできることがありましたら、お手伝いできたらと思います。

また、いろいろ見させていただきたく、伺いますが、

今後ともよろしくお願い申し上げます。

お世話になり、本当にありがとうございました。

05年7月3日 2,659

今回の企画を担当するにあたり、新聞記事で目にした、従軍慰安婦問題と関連のある千葉県「かにた村」を思い出し、早速問い合わせてみました。館山市にあるNPO法人安房文化遺産フォーラムを紹介してもらい連絡をとったところ、東京湾の対岸にある館山市は見るもの、聞くものが数多くあり是非訪れてみたくなりました。…元支部長の難波マサエさんの合流もあり19名で楽しい学習の旅になりました。

(監事:荻野谷博子)

⇒⇒感想の詳細は、最下段の添付ファイルでPDFを参照ください。

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11年1月22日 11,307
「地域の物語」からアイディアが生まれた—地域づくりフォーラムに参加して-

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12年2月5日 7,730

先日は戦跡めぐりのガイドをありがとうございました。

特に最初の座学でのお話が大好評でした。

和田町の「ネイチャースクール」も体験農業の講師に、

大勢の農民に登場していただき運営しています。

これも和田と都会との橋渡しをしている都会のNPO

の強い提案によるものです。

しかしながら人前でのお話は、ある程度の技術が必要です。

その点、池田さんは内容も声の大きさも大変適正との

参加者からの評価です。

高齢者の方々のほとんどは、地域への強い想いがあるのですが、

実際に行動をするのは、小沢さんのようによそから来られた方が

比較的に熱心なのも和田も同様です。

皆さんも大変多忙の毎日であろうと思いますが、

ますますのご活躍振りをお祈りいたします。

まずはお礼まで。

06年8月23日 2,396

お忙しい中、館山の歴史についてきめ細かな講演をいただきましてありがとうございました。

また、フィ-ルドワ-クまでしていただきましたこと、本当に感謝しております。

館山に長く住んでいながら、目から鱗の思いで聞いていました。

お体に気をつけて頑張ってください。

07年8月1日 2,490

特定非営利活動法人(NPO) 安房文化遺産フォーラム

旧称:南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム(2008年5月に現在の名称に変更)

〒294-0045 千葉県館山市北条1721-1

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