●南房総の旅プランナー奮闘記●……執筆:浅井信
・・*『旅のもてなしプロデューサー』技編に収録
【1】旅のプランづくり
空間と時間を組み合わせる作業が、旅のプランづくりである。旅する人の喜ぶ顔を思い浮かべながら、遊学先(或いは体験先)や交通、時には宿の組合せプランをわくわくしながら作成することがあった。わざわざ来られる方に限られた時間ではあるが出来るだけ多くを体験してもらいたいと、張り切り過ぎて、あわただしい日程になってしまったことがあった。時間内に収まりきれないものがどうしても出て来て、止む無く割愛せざるを得なくなり、消化不良な気持ちに陥ることもあった。旅程表に書き込むのは最終の作業であるが、そこに至るまでの資源発掘や案内人の育成など如何で、おもしろいプランになるか、そうでないものになってしまうのかが決まってしまった。いろいろなことが起こる。が、「楽しかった!」の一言でプランナーの苦労は吹っ飛んでしまい、達成感を楽しむことができたものだ。
■旅の楽しみ方
旅は複合的なものである。観光素材、足、宿などが旅を構成するものであり、これを包括したもの(パッケージ)が旅となる。時代によって旅はスタイルを変えてきた。そのスタイル(物見遊山型)に変化が生じている。21世紀に入り、観光対象の見直しが各地で盛んに行われており、自分たちの住む地域の光を発掘し磨きをかけて、都会からの人を呼び込もうとするまちづくりがあちこちで行われている。その結果、観光の楽しみ方が拡がりを見せており、観光素材にも思いがけないものも登場してきている。
■旅のプランづくりは観光創造
このテキストで取り上げられる旅のプランづくり論は、既存の観光資源のアレンジという視点ではなく、地域の光を資源化しこれをアレンジして、そして示していこうとする視点で語られている。プランづくりはノウハウに関する技術論だけでなく、地域の価値を高めることにつながる新たな観光創造論として理解していくべきであろう。志を高くもって取り組んでいきたいものだ。従って、プランナーは、おおげさに言えば、次の世代にも引継げる地域の魅力を引き出し、商品化に当っては、法律の規制事項(旅行業法)などを理解した上で、構想をまとめ上げていかなければならない。
■着地型旅行のプランづくり
こういう見かたもできよう。最近、発地型と着地型に別けて旅行を分類するようになっている。発地型は出発地から目的地を巡って元に戻る旅を指し、目的地までの交通は自由とし、目的地の駅などを起点に地域を巡りその点まで戻る旅が着地型と呼ばれる。(注:小旅行と呼ばれる場合もある)このような分類が行なわれるようになったのは、新しい旅の形(ニューツーリズム)が台頭してきてからである。エコ、グリーン(農業体験)、ヘルス(健康)、ヘリテージ(遺産)などと横文字で現わされることの多い新しいツーリズムのことで、既存の観光旅行に対してこのように呼ばれる。旅のプランナーが担当する旅は、この分類で言えば、着地型の分野に当る旅ではないだろうか。
【2】いろいろな顔をもった旅のプランナー
新しく開発された観光資源(プログラム化された観光資源。ここでは目的或いは気づきを意識したものとしてプログラムと呼ぶ)は、人を驚かせるような規模でなく、派手さもなく、一見どこにでもありそうなものなので、遊びながら学ぶか、体験しないとそのおもしろさが判りにくいのが特色だ。そのプログラムを支えてくれるのが素敵な案内人(ボランティアガイドであり、エンターテイナーの素養ある人)の存在であり、彼らを必要としている。これを適当に配することが重要なポイントとなってくる。つまり、コーディネートという役割が不可欠なものとなる。
プランナーは、地域の人と一緒になって観光の可能性を探り、資源を発掘し、案内人と地域団体等との調整役(コーディネーター)としての仕事をこなし、時にガイドを務めることもあるが、プログラム全体を統括する。更に移動のための足を確保し、場合によっては宿と交渉も行う総合企画者(プロデューサー)であると言えよう。この存在が地域を引っ張っていくことになる。
又、旅プランをまとめ上げ、着地(もてなし)側から都会からの来訪客や旅行会社に向かって、これを売り出すための発案、提案する人になることもある。
それでは、プランづくりにどのように取り組んできたか、私のケースを紹介させていただくことにする。
【3】私のフィールドと自己紹介
千葉県館山市。私のフィールドである。東京湾の出入り口、房総半島側の突端に位置する地だ。対岸は神奈川県三浦市。黒潮が蛇行する太平洋と分流が流れ込む東京湾口に面する温暖な地であり、この町の名前はテレビの天気図で毎日目に止まる。明治時代から海水浴客で賑わった地であった。近年は早春の花摘みやいちご狩りに鉄道やバスで訪れる人が増えているが、総じて宿泊客が漸減傾向、入込みは横ばいといった状況。南房総地域は滝沢馬琴が著した南総里見八犬伝の舞台としても知られる。そのモデルとされる戦国大名里見氏のことは余り知られていないが、房総開拓史の神話から関東制覇を目論んだ里見氏に至る輝かしい歴史をもつまちでもある。
このまちで観光プロデューサーを公募していることを知り、私は応募し、旅行会社から転職した。観光地は受入を行う側、私は立場を入れ替えることになった。どの観光地もリゾート法に沸いた時代があった。その後遺症に未だ苦しんでいるところも多くあるが、館山でも、東京資本による大型海洋リゾート基地づくりや漫画を題材にしたテーマパーク構想など、夢のような観光地づくりの青写真が描かれた時代があった。いざ建設に着工しようとした寸前でバブルが崩壊し、観光地は手付かずのままの状態で残されてしまった。大型開発による集客装置の夢が破れ、関係者は元気を無くしてしまっていた。それが外部からの人材の招請につながったのではないか?と推測したものだ。
観光の分野は観光業に係わる人がやるものと、業界の人もまちの人も思い込んでいたところがあった。観光協会の人は泊まってくれる人が観光客であり日帰りの人は余り重要視してこなかった。「地元の人に来てもらっても、な〜のためにならない」、よく投げかけられた言葉だ。口を揃えて「温暖な気候以外は誇るものがないところ!」と言う。一方、旅行会社の方も、全国的に名を知れたA級観光地か、地方の名所などB級観光地への送客に止まり、小さな観光資源をもつ地域には目を向けてくれない。ない、ない尽くしの中でスタートすることになった。以来(平成13年)、前半は職として、後半はボランティアとして観光によるまちづくりにかかわりをもってきた。
【4】旅の楽しみ方が変化している!
旅の楽しみ方が変化しているのを感じていた。名所、旧跡見学だけでは飽き足らなく、お仕着せに満足できない人が、自分に関心のあること(趣味などのテーマ)に興味を抱いて、個人か小グループで出かけるようになっている。いわゆる観光地ではなくとも、どんな地方にも、名も知られていない地域にでも足を向けているのである。
この動きをとらまえて、全国の小さな町々で観光を利用したまちおこしの動きが始まりかけていた。地方のまちでは、人口が減少し、増加も見込めず、少子高齢化社会が広がりを見せていた。都会からの企業の進出は期待できず、商店街にはシャッターを降ろした店が目立つようになっている。まちは都会から訪れる人の増加策を望んでいた。「住みよいまちが、訪れたいまち」、観光まちづくりで良く引用される標語だが、これが切り口だと思った。私も同じ想いを共有する一人だった。
【5】おもしろいよ!地域の光を皆で一緒に探して楽しんでみよう
一目見て判る地域の光(名所、旧跡)はかなり掘り出されているが、未だ未だ地域にはお宝が埋もれている。軸足を目に見える水平軸から過去に遡る時間軸に移して地域にあるものを見てみると、効率一辺倒の成長経済社会や偏見などで捨てられたものや置き去りにされたものが存在していることに気づく。そんなものが地域には未だ残っている。これに注目して辿っていくと、地域の記憶に行き着くことになる。記憶を呼覚ますと地域には共感する人々がいるものだ。それが地元に誇りをもたらし自信となり、新しい地域の光を創り出す力になるのではないかと思った。地域の資源の見直しが必要だと決意した。
地域の資源の見直しとは、資源の再評価であり、言うならば商品の棚卸しと新規開発に当る。先ず頼りにしたのは自分の感性。次に仲間の意見、後押ししてくれたのがその地に住む住民だ。皆でツアーを組んで楽しんでみた。里見八犬伝に因み、名づけて「館山発見伝ツアー」。参加した大勢の人が、共感し、感動した。今まで当たり前と思い話題にも上らなかったものが意外とおもしろい…、こんな素敵な方が住み暮らしていたまちかと…。自分の住む地域にもお宝が存在していたことに多くの人が興奮した。ちょっとした発見の楽しみであり、喜びであった。地域の住民モニターは都会からの観光客の鏡となる存在であったのだ。
【6】フィールドを絞って開発へ
フィールドにはいろいろなものがある。自然領域もあれば、歴史もあり、文化もある。それぞれでフィールドは異なる。自然を資源とする館山の特色は、三方を海に囲まれた海辺のまち。海水浴客が訪れる海辺のまちである。が、夏が過ぎると海辺は閑散とする。浜辺を行き交う人もまばらになる。地元の人の海辺に対する関心も高いものとはいえない。白砂青松の浜と歌われ、全国でも有数の海辺であったそうだが、その面影はわずかな所に残っているだけだ。コンクリートの護岸壁には囲まれていない、陸から海に続く自然のままの浜辺が残されていた。これを地元から見ると、風が強い日には砂が舞い、砂害に苦しむ迷惑な海岸であり、高波が心配な海岸ということになる。だが、これは貴重な海岸と思った。首都圏に接近する手付かずに残された自然、それは今、都会人から求められているものではないのだろうか!そこに活路は見出せないだろうかと考えた。この豊かではあるがどこにでもありそうな自然を、どう評価し、どのように活用していけばよいのか!そうは思うものの実際は試行を繰り返しながら前に進むしか道はなかったが…。都会に暮らした人が地方に対して抱く想い、それは私の感性と重なっており、ここがいつも思案の拠り所となった。
余談になるが、土地の子どもたちが浜辺で遊ぶ姿をほとんど見かけないので、どうしてなのだろうかといぶかしがっていた。海辺の体験プログラムが出来上がり、地元の学校を訪れたときその訳が知った。学校は小学生が単独で浜辺で遊ぶことを禁止していたのだ!私が小さい頃は駆け回った浜辺は、避けねばならない場所となっていた。いつの間にか危険な場所に指定されてしまっていたのだ。海辺の空間は地元ですらこんな状況下におかれていた。
【7】旅のプランづくり具体例:
観光資源には自然資源、歴史資源、文化資源などいろいろな資源があるが、ここでは自然資源の開発と活用というテーマで3つの事例を紹介してみよう。
≪事例1≫ 東京湾のサンゴウオッチングツアー
■東京湾にもサンゴが生息する!
その土地に住む人にとって何らおもしろくもなく、関心も寄せられないことについて、長年にわたりこつこつ調査研究を続けている人が、地元では変人呼ばわりされていることがある。そんな人はどの地域にも必ずいると思う。尋ねて聞いてみると、おもしろい情報を得られることがある。彼らの調査研究にはお宝の発掘につながる情報があり、時代が求めているようなものもあり、思わぬ手掛かりを得られることになる。サンゴウオッチングはそんな変人と知り合って観光プログラム化した例だ。
「館山の海にサンゴが生息している!」この情報は館山の海辺の生物を研究する変人から得た情報である。そのときは、東京湾とサンゴがなかなかむつびつかなかった。私が連想していたサンゴは沖縄の色鮮やかなサンゴであり、まさか?という思いの方が強かった。東京湾の環境イメージは相当回復しているとはいえ、工場や周辺の川から生活排水などが流れ込む海というイメージを未だ拭い去ることができない。でも、それが本当ならすごいニュースではないか!と思った。(後から判ったことだが、館山のサンゴのことは研究者の間ではよく知られていたことで、北限域のサンゴ生息地として国際的な調査も行なわれていた)そう、地域に住む多くの人にとっては当たり前の事実であったのだ。館山の海に棲むサンゴは、日本列島の北限域のサンゴとして有名だった。しかも、その種類は30数種と多種に及び、沖縄の海やオーストラリアのグレイトバリアリーフのものと同種のサンゴが東京湾口からその沖の海中にかけて生息しているというのだ。
■フィールドを調査しよう
「新月の夜だった。サンゴが一斉に産卵を始め、海の中が白濁してそこに小魚が群れ集まり、ざわめきが起こった。感動的な場面だった!」海に潜って撮影した写真を見せながら、館山湾に浮かぶ沖ノ島沖のサンゴの産卵のシーンを彼は熱く語ってくれた。私も、シュノーケルを通して島の浅い海の底に生息するサンゴを視認し、潮が引いた島の岩礁帯に棲むサンゴを自分の目で確認した。まちづくりのためにこのサンゴを活かしたいものだとの思いが一致し、今では館山を代表するサンゴの民間研究者・保護者として尊敬を集める三瓶雅延氏との間で「サンゴウオッチングツアー」の企画がこうして生まれた。
■沿岸に設定された漁業権
プログラムづくりはフィールドの設定から始まる。フィールドは先ず土地の所有者或いは管理者の調査から始めねばならない。海辺の場合、浜の管理は県が行なっており届出の必要はなかったが、海を活用する際に注意せねばならないことは、漁師さんのことであると教わった。何故か?と当初は思った。地引網漁や磯根での貝の採取などが行われている海岸には漁業権が設定されているのだ。この海でうっかり潜ったりするとサザエやアワビなどの密漁者と間違われて、漁師とのトラブルに巻き込まれることになる。自分たちの資源を密漁する者を漁師は警戒しており、海を活用するためには漁師との信頼関係を構築しておくことが不可欠であることを知り、漁業組合からの了解取り付けに赴いた。こうしてフィールドの範囲を設定することができた。その後、漁師との信頼関係は深まり、活動が活発になるとともに、今では周辺の海を看視する役割まで与えられるようになり、それが海辺の環境保護に貢献する活動として評価されるようになっている。
■安全性の確保が最重要
海の中では何が起こるか判らない。命にかかわる危険も潜んでいる。安全性を確保することは最優先で考えねばならないことである。安全確保の一つの手段として、体験者用の安全用具を確保することから始めた。海中のサンゴを観察できる簡単なシュノーケルや浮き袋などの用具である。又、フィールドで絶えず目を光らせている指導員を配置しておくことも大切だ。指導員の数の確保も安全に係わってくる問題であった。
子どもたちに着用してもらう安全用具が思わぬ結果を残すことになった。両腕を通してジャケットのように着けるものだが、首からかけるものよりも格好がよく、子どもたちは喜んで着てくれた。きっとスマートに見えたのであろう。又、お褒めの言葉を学校の先生から頂いたことがある。泳ぎのできない子どもたちがこのジャケットを着けて泳ぎの練習をすると、早く泳ぎをマスターすることができるようになると誉められた。確かにこの浮き袋を着けて水に浮くと、人が理想的に浮く状態に近い形で海面に浮く。予期しない効果であった。
■海辺の案内人の育成
用具は揃ったが、盛り上げてくれ、参加した人の安全を見守ってくれる案内者(インタープリター或いは指導者とも呼ぶ)がいなければプログラムは成り立たない。初年度は海辺を愛する仲間たちに参加してもらってプログラムを組み立てたが、継続していくためにはもっと多くの指導者が必要となる。広く一般に呼びかけて募ることにし、海辺の達人養成講座をその年の秋に開講した。3泊4日のプログラムであったが、予想以上の応募者があり、仲間を確保することにつながった。こうして準備が整い、最初の年のプログラムには家族客を中心に600人以上の参加があった。ジャケットのお陰で海での泳ぎ方教室も好評だった。サンゴウオッチングは、これまでの海水浴とは違った海の楽しみ方として、夏の館山の人気プログラムに成長している。
≪事例2ウミホタル観察会≫
観光によるまちづくりに、海を愛する仲間達が実施していたボランティア活動を活用した例である。
■館山湾の希少生物
館山には人を曳き付ける魅力のあるお宝が他にもあった。ウミホタル(海蛍)である。平成9年に開通した東京湾の海底トンネルの休息施設の名前が「うみほたる」と命名されていることをご存知の方もおられよう。その名が一躍知られるようになった館山湾の夜行性発光生物のことである。ウミホタルが学術名だそうで、その種は甲殻類(ミジンコ)に属する。同じように発光する夜光虫とは違う種とか。東日本の太平洋岸に広く生息していた生物であるが意外と知る人は少なく、館山の海はこのウミホタルの神秘的な光(マリンブルーと呼んでいる)を見ることができる貴重な海であった。昔からその存在は知られていたようで、戦争中は軍事利用のために、その採取に地元の子どもたちが駆り出された暗い過去もあったとか。(この事実を基に合唱組曲が後に創作されることになる!)
■地域の宝を掘出したボランティア活動
ウミホタルは地元の宝、まさに館山の光である。三瓶氏やその仲間達が地元の高齢女性と一緒になって実施していたボランティア活動(ウミホタル観察倶楽部の活動)のことを知り、都会から来る人にも見せてあげたいものだと思った。その思いが、定期的な観察会の開催につながった。以来、5年以上続いているが、毎月第一土曜日の夜、寒い日も暑い日も、お正月も盆も関係なく、暗くなった館山湾の桟橋で観察会を開催するようになった。どの季節でも毎月決まった日に継続して行ったことが、訪れる人にはわかり易く好評で、大勢の人に来てもらう成果をもたらしてくれた。3年目に入った頃から宿泊施設の方も関心を寄せ始め、お客様を夕食後に観察会の会場まで案内して喜ばれるようになっている。
■観光まちづくりに貢献
ボランティアの仲間たちは、美しい海の環境を守るために観察会を開催してきた。採取したウミホタルは観察会の終了後、一匹残らず海に帰してあげている。ウミホタルが生きていくにはきれいな海が必要なのです!と見学に訪れた人に声をかけ、評判を聞いて隣のまちから採取に来た観光の関係者には、見た人に喜んでもったら必ずこの海に戻しましょう、と呼びかけを続けている。
ウミホタルの評判が高まってくると、県の博物館も協力を申出てくれるようになり、今では最大の理解者として展示イベントを通して自らも積極的に活用するようになった。ウミホタルの棲む館山湾に大桟橋の建設計画を進める館山市でも、海辺のまちを活性化するプランの一環として、全国に誇れるウミホタルを積極的に活用しようとこちらも又その活用を目論むようになった。ウミホタル観察会は、館山を代表する海辺の環境イベントに育っている。
≪事例3校外学習、修学旅行の受入れ≫
■修学旅行がやって来る
始めのオファーは、東京の旅行会社を通して私立高校からきた。2年目を迎えた後半のことである。机の上では学習が難しい海辺の自然体験プログラムに魅力を感じてもらったのだろうか、数名の担当の先生が早速現場を見せてもらいたいと東京から館山に来られた。そして、2泊3日の校外学習地に館山が選ばれた。同じ頃、中京地区の旅行会社から中学校の修学旅行の行き先として興味があるとの連絡が入るようになり、プランづくりに追われるようになった。修学旅行の受入は申込があって2年後の受入となる。そのため、プログラムの開発、磨き、雨プログラムの開発などを一定の余裕期間を置いて進めることができた。それが館山体験プログラム50選のラインアップにつながっていった。
■核になるプログラムと多彩なメニュー
海辺のプログラムだけでは、学校や生徒のニーズに応えるには不足していると指摘された。生徒を送り出す学校には体育の先生だけでなく、歴史の先生もおられれば家庭科の先生もおられる。生徒のニーズもさまざま。小学生から高校生を対象にした校外学習や修学旅行を受入れることにより、プログラムの開発が急ピッチで始まった。サンゴウオッチング、ウミホタル観察、ビーチコミング、シーグラス工作体験、ディンギヨット乗船体験、シーカヤック体験…などと、海辺でないと体験できないもの(海辺の自然体験プログラム)の開発から始まり、地元の漁師さんの協力を得た漁業体験プログラム(定置網漁体験、干物づくり体験、魚釣り体験など)へとメニュー開発が進み、野菜づくり、収穫体験など農業体験、防空壕見学、里見歴史体感など平和学習・歴史分野の学習メニューが増えることとなった。海辺の学習活動から地域全体を学習できる領域に拡大し、子どもたち向けの受入れ準備が整っていった。小さなプログラムを連携させて地域をおもしろく見せる方法を修学旅行の受入経験から学んだ。又、宿泊施設との協力で、宿泊学習地としてのイメージも形成されていくことになった。
【8】旅のプランづくりのポイント
■誰に来てもらいたいか?
誰が、何を、どこで、何時、どのように、いわゆる5W1Hをつかんで、最後にそれを行程表にまとめていくのが、旅のプランづくりの作業となる。とかく見落としてしまいがちなのが、「誰に来てもらいたいのか」という基本の問題ではないだろうか。ここがはっきり判っているケースの場合、プランはスムーズに立てられるし、満足するものができることが多い。校外学習や修学旅行生は対象がはっきりしているが、一般の人の場合は誰に焦点を当ててよいかしばしば迷った。熟年を含む高齢者層、ファミリー層と漠然と考えることが多く、深く考えてみるには相当の知識と経験がいることになる。せっかく作ったのだからとにかく多くの人に来てもらいたいとの思いが強く働き、放置されてしまうことになることがあった。
■来訪者に気づいてもらえれば
新しい観光資源をプログラム化したものは、学んでみたい、楽しみながら納得してみたい、自分の心を満たしてみたいという来訪者側と知ってもらいたい、判ってもらいたいとの地域側の思いを前提にして作られるので、お互いが共通の目線を持っている。そこが既存の観光旅行との違いだろう。お金を頂いて参加してもらうという点ではお客様であるが、お互いに喜び合う合える交流者という側面をもっている。従って、地域側で考えねばならないことは、何を来訪者に気づいてもらいたいのか、そのためにどのように伝えれば良いのか、このことを考えておかねばならない。但し、万人が楽しむ観光である以上、押し付けるようなやり方はよくない。
■悩んだら原点に戻ろう
「どんな人に来てもらいたいのか」、そこを絞り込んでみると、いろいろな問題に対する解決の糸口が見出されるのではなかろうか。例えば、プログラムの価格設定の問題がある。値段を付ける際は悩んだものだ。価格の妥当性のことを考えて値段を付けるのだが、客観的なものが乏しいので、他所の価格を比較しながら、原価を積み上げる方法で値付けすることが多かった。価格は一度決めるとそうそう変更が許されるものではない。来客数が少ない場合などは赤字を背負うことも覚悟しておかねばならない。妥当性のことを考えると頭が痛くなった。漠然とこの問題を考えていても解決策をなかなか見出せない。時間が経って思うようになったことだが、来訪者を明確にすることで、負担してもらうお金(参加費)について、その妥当性に対する回答が見出せるのではないか。
活動の継続性、プログラムの特色付け、或いは、付加価値付けなどの問題など進めていくうちにいろいろな課題が生じてくる。そんな時は誰に来てもらいたいのかという、プログラムの原点に立ち戻って考えてみることは課題を解決するのに参考になるだろうと思うに至っている。
■雨対策も忘れずに
野外や屋外で実施するプログラムの場合、雨や風など天候の都合で中止になることが大いにありうる。この点を考慮に入れておく必要がある。プログラムが中止になる可能性があるということは、旅を計画する人からすると予定が狂ってしまうこともありうるということだし、せっかく楽しみにしておられた人をがっかりさせてしまうことになる。計画を立て訪れる校外学習や修学旅行の場合は代案がないと計画が成り立たなくなる。サンゴウオッチングなどは小雨の場合でも決行したが、ビーチコミングの場合などは浜辺歩きに代わる案を用意して対応してきた。特に、修学旅行など学校行事に取り上げてもらったケースでは、風雨対策プログラムづくりは絶対に必要なことで、それを準備していないと、プランとして採用されないことになる。
情報発信、集客活動も?!
プランは出来たが、お客さんが来てくれないと意味をなさない。情報発信や集客活動は必ずしもプランナーの仕事だとは思わないが、どのように呼びかけて、どのように来てもらえばよいのか、これは受入する側全員に課せられた共通な問題(プロモーション)である。頭の痛い問題であったし、これから大きい課題になってくるものと思う。適当なモデルがないので手探りで進めていくしかないのである。多くの地域で着地型旅行が開発されているが、この新しいツーリズムについては来訪者と地域をつなぐ流通市場が未だ成立していないのが現状だ。これまでの旅行市場のように旅行会社に任せて送客してもらうのか、直接取引が主流になるのか、或いは身の丈にあった需要(特定の団体や地域)を開拓していくことになるのか、会員制を模索するか、どのような形がよいのか先が見えない。国による実験も始まったようで、直近の課題となってきている。